白目の多さがニガテなので、綾瀬はるかに好意を抱けない。
むしろ本名「蓼丸(たでまる)綾」に興味を抱かずにはいられない。
が、「~丸」という姓は、「薬丸」のように他にも存在するのだから、慣れれば平気なはずなのだ……
その綾瀬が演じる"新島八重"という武家の娘にスポットライトが当てられる奇妙な時代がやって来た。
桜のように散りたかった女。
ああ恐ろしい……
これは結局、サムライ・ウーマンなどと美化できるようなものではないと思う。
所詮は、職業軍人の一種なのではないか。
つい最近、NHKの「BS歴史館」でも、新島八重は取り上げられた。
そもそも、こんなマイナーな企画に、作家・島田雅彦が、なぜ出演していたのかが疑問だ。
ほとんど発言もせず、自らの立場を明らかにもせず、気取った白縁のメガネをきらめかせているばかり……
とはいえ、主君第一の封建主義者(新島襄や八重を含め)は、唯一神を奉るキリスト教に、何か通じるものを見出すのだろう、という趣旨の意見を述べていたのは、悪くなかったとおもう。
が、同時に、すかさず松本健一が、島田の見解に疑義を挟んだのは、少なからずスリルを生んだ。
腰の低さだけが持ち味の美熟女・渡辺真理アナ(45)には、制御しづらい緊張の瞬間であった。
番組内で、新島八重は終始(容姿も含め)美化されていたが、苦し紛れに彼女を「ハンサム」と弁護した夫・新島襄とのあいだに子は無く、あまり語られない以前の別の男性との短い結婚も不毛だったらしいのだから、きっと、八重という女性には、充実した社会活動の代わりに生活が無かったのだろう、とオレは思う。
ひょっとして、フェミニズム的な視点から、こうしたハンサムな?キャリア・ウーマン的女性が見直されているのだろうか。
だが、それは困った話だ。
この女軍人・八重と同じように、キャリア・ウーマンには、生活の潤いが無いのではないか?
軍人・八重にうってつけの夫・新島襄、いわば虫も殺さぬ宗教家が、現代のキャリア・ウーマンの前に現れる保証は無いのである。
うーむ、なんだか、フェミニズム論になってしまった。したくもない話だ。
別に、内田樹お得意のフェミニズム批判をかじったわけではないが……
とにかく、女がサムライ(軍人)をやる勇ましい姿と、熾烈な出世競争に乗り出すキャリア・ウーマンが重なってしまって、オレはあまり感心しないのである。
おたく(マニア)だったら「生活」(幸せな家庭)があるか?
という疑問がある。
しかしこれも、あやしいもので、結局、生活というのは、もっとも失われやすいものなのかもしれない。