1804年、レザノフ来航、日本史で扱うとなると、あまりに壮大な話になり、収拾がつかないということで、避けられがち。
しかし、いったん取り上げられるとヒジョウに面白い。
NHK・BS歴史館「シリーズ 外圧(2)“衝撃!もうひとつの“黒船”~ロシアが新たな日本の扉を 開いた!?~”」ってのをやっていたので、興味津々鑑賞した。
深刻でいて爽やかさもある陰気な美熟女・渡辺真理を司会に、権威らしき東大名誉教授・藤田覚、最近ひっぱりダコのざっくばらんな磯田道史、そしてロシア通(?あるいは野次馬?)の島田雅彦、という3人のゲストが語り合う。
聞き慣れない「露寇事件」という呼称で押すのがNHKの方針なのか、観てはいないが以前の『さかのぼり日本史』でも、同様に「露寇事件」という呼び名でとりあげていたようだ。
元寇との対比なら「露寇」だけでも良さそうなのに、うしろに「事件」を付ける……
とにかくニコライ・レザノフという男に惹かれてしまい、急ぎいろいろ検索する羽目になった(ウィキペディア中心(笑))。
もちろん、日本の小説では有名な『おろしや国酔夢譚』(井上靖)が、大黒屋光太夫らを描いており、また、『菜の花の沖』(司馬遼太郎)が、高田屋嘉兵衛の目からゴローニン事件等を描いている、というのも周知の話(だが、いずれも読んではいない)。
しかし、はるばる日本にやって来て、お粗末な幕府一流ののらりくらり外交で追い払われ、樺太・択捉・利尻を攻撃するに至ったレザノフという悲劇的人物の物語は(あってもいいのに)無さそうである。
(ただし、ロシアには、彼を題材にした“ロック・オペラ”があるようだ。1980年製ロシアン・ロック・オペラ…これもヒジョーに気にかかる。)
露米会社なるシベリア・アラスカの毛皮貿易を牛耳る企業があり、ラッコの毛皮を中国に売りさばいて儲けを出すシステムがあったという話は、この番組で、はじめて知った。
「露米~」という響きが新鮮だし、ラッコの毛皮がそんなに貴重でよく売れるものだったとはねえ、しかも中国に。
その企業幹部におさまっていた下級貴族出身の実業家・政治家レザノフは、経営戦略の一環として、南米まわりで長崎・出島に向かう。(ちなみに、当時のロシアはナポレオン相手に大苦戦。)
来日までに日本語をマスターしており、交渉力もあったようだが、日本との貿易交渉に失敗、帰途、スペイン領カリフォルニアでも貿易交渉に失敗する。
(ただ、日本がレザノフを追い返したのは、べつに日本の外交が成功したというわけではないだろう。なのに、さすが日本、これで一安心、といった感じで回顧されがちに思う。オレには、そのあたりがキモチワルイ)
レザノフの苦難に満ちた生涯は、悲劇的としか言いようがない。
サンフランシスコでは、総督の娘(15歳)と恋に落ち、婚約しておきながら、とりあえずロシアに帰国する途中、シベリアで病死してしまった。享年42歳(1807年)。
サンフランシスコの少女は、彼を待ち続けたまま、誰とも結婚せず、尼として生涯を送ったという。
といったあたりもまた、メロドラマにうってつけの素材なのだが……
で、問題の「露寇事件」、晩年のレザノフが、カリフォルニアからロシアへ帰る途中で発生した。
1806~07年。日本側の死者は、3人+α、だが、その噂は日本中を駆け巡り、大虐殺が起こったかのようなイメージとして流布したらしい。
これにあわてた幕府は、北方警備に力を入れ、送り込まれた弘前藩の侍たちが、想像を絶する酷寒の地でバタバタ死んでいくという事件もあったという。
(番組では、「鎖国」というコトバに語弊があるということが、語られていたが、学者好みの極めて瑣末な問題だろう。)
そのレザノフの残した『日本滞在日記―1804‐1805』(岩波文庫)が、1994年にはじめてロシアで公刊されたというのが不思議な話で、理由を知りたいところだが(やはり冷戦がらみか?)、この邦訳も2000年に、やっと出たにもかかわらず、訳者は大島幹雄というサラリーマン(?)なのである。
学術的な意味で“日本史”にインパクトを与えようかという重要文書なのに、一体どうしてだろうか。
そりゃあ日本史学者にロシア語ができる人間などいないことは予想できるが、それなら誰がこれを訳すべきか?適任者が他にいなかったのか?
岩波書店のやることもヒジョーに不可解である。
オレは歴史番組を見るたびに、次から次へと疑問が沸いて困るのである。
……