no movie no life -37ページ目

no movie no life

・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

ただのサクセスストーリーとはとらなかった。


サンフランシスコで医療機器のセールスをやっていたクリス(ウィル・スミス)だが、機器が売れず、働けど働けど貧乏な生活。ある日、家賃が払えないためにとうとうアパートを追い出され、妻も出て行った。そこから、クリスは息子クリストファー(ジェイデン・クリストファー・サイア・スミス)との生活のために、超一流証券会社を目指すことに決める。しかし、6か月の無給の研修期間に採用者は1人と言う難関。・・・実話に基く。


原題「the PURSUIT of HAPPYNESS」。PURSUITは「追求」だ。


今日寝るところがない。駅のトイレ?ホームのベンチ?
食べるものがない。子どもがお腹をすかせている。どうする?


駅のトイレにトイレットペーパーをひきつめ、眠る息子を抱いて涙を流すクリス。
その涙に表れている最大のものは・・・「みじめさ」ではなかったろうか。
「何故、(独立宣言を書いた)ジェファーソンは幸福の『追求』としか書かなかったのか・・・僕は、幸福を『手にする』ことはできないのか?」


お金が無いことは、辛い。
人生でお金が一番大切ではないにしても、生活していくうえで少しのお金は必要なのだ。
それがないということは・・・人間を残酷なくらい、精神的に追い詰める。


この映画でもそう。普段は穏やかでユーモアに溢れたクリスでも、時にイライラし、爆発もする。6か月間と言うのはギリギリのラインだったのではないだろうか。


「貧困」ってこういうことなんだ、と思う。
必要なお金が払えない。お風呂なんて入れない。電話もかけられない。友人からの誘いも断る。孤独。
そして、働ける人はまだいいかもしれないが、働けない人はどうなる?病気になったら?
リトル・ミス・サンシャイン 」でも書いたが、挑戦するチャンスすら与えられない人間もいるのだ・・・


日本も「格差社会」と言われて久しい。
憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」は文章だけのものとなってしまうのか。生活保護等、社会的弱者と呼ばれる人々への援助金の金額もカットされてゆく・・・


主役のウィル・スミスはこの映画のPRのために日本の総理大臣を訪れた。
努力すれば夢が叶う、チャレンジすることが大事などと言ううわっつらならいらない。
もっと、社会の底辺を見てほしい。そう思う。


ブログランキング に参加しています 

記録よりも、あの局面で「上体を上げた」勇気に白旗。


ニュージーランドに住むスピード狂のバイク乗り、老人バート・マンロー(アンソニー・ホプキンス)。オートバイ最速の世界記録を破るため、愛車「インディアン」とともに長年の夢であったアメリカ・ボンヌビル塩平原で行われるレースに向かおうとする。が、なかなかスムーズには事は運ばない。なんたって初めてのアメリカ。愛車とともに旅をし、人々の優しさに触れながら、彼はなんとかレース会場にたどり着いた・・・。実話に基く。


バートが出会う人たちはみんな良い人々だなあ、フツーこんな良い人ばっかじゃないよなあ、などとつい思うが、「地球の裏側(NZ)から夢のためにやってきた」という彼の熱意と、純粋な人間性がそうさせるんだろうね。彼は誰にでも心を開き、語る言葉は差別なく温かさに満ちている。お礼の言葉がとても多いことにも気付かされる。


彼がボンヌヒル塩平原にたどり着いたときの、涙ぐんだ顔が印象的。数々の記録が生み出された、聖なる地。自分が今やっとここに立てた。後は挑戦するのみだ・・・


しかしこの愛車「インディアン」がまたすごい。自己流で改造に改造を重ね、軽量化のため余計なものは一切も無い。自分も、防御服は着ないで、シャツとズボンとメットのみ。そうしないと、愛車に「入る」ことが出来ない。はっきり言って観てる方が怖い。だって身体の背中部分がむき出しなんだから。


そして、加速していく中、さらにスピードを上げるため彼は「上半身を上げ、頭を上げた」。
怖い!と私は心の中で叫び思わず顔を覆った。バートのゴーグルは吹っ飛び、目は開けていられない。足はエンジンの熱でやけど状態だ。
しかし・・・時速300キロを越えるスピードの中、そのとき彼が感じたものは何だったのか・・・
スピードの神に愛された、絶頂感だっただろうか。


映画の中で実年齢は出てこなかったが、彼は当時63歳だったらしい。
狭心症を患い、いつ発作がきてもおかしくない身体。ニトログリセリン(薬)を常備していた。


人間の夢と可能性は際限が無いことに気付かされる。若くても、歳をとっていても。
「夢の無い人間は野菜と同じだ」。そして「人生は時に危険と言うスパイスが伴う」ことも。


彼の最大の幸せは、記録樹立ではなく、きっと「インディアン」と出会えたことだったと、私は思うよ。


ブログランキング に参加しています 

「勝ち馬、負け犬」。そんな言葉を見事に拭き飛ばしてくれた映画だった。


9歳のオリーヴが、繰り上げ優勝でカリフォルニア州のミス・コンテスト「ミス・リトルサンシャイン」に出ることが決まった。父、母、祖父、伯父、兄と一家揃って黄色いポンコツバスでカリフォルニアへ出発!果たしてオリーヴは、優勝できるのか?


キャラが立っている。
勝利主義者の父、麻薬中毒で精力バリバリの祖父、自殺未遂したゲイの研究者の伯父、ニーチェ崇拝で口を利かない兄、それらをナントカつなぎとめようとしている母、そして「ミス・アメリカ」に心酔するオリーヴ。


でも、みんなカリフォルニアへの珍道中で「負け犬」になっていく。なんとかミスコン会場に滑り込みセーフだったものの、「ミスコン」なるものを初めて観た男性陣は唖然としてしまう。こんな舞台に、大事なオリーブを立たせられない!


この家族の中で一番真実を吐いてたのは、途中まで口を利かなかった15歳の兄ドウェーンだ。
「この世界はミスコンと同じくらい馬鹿げてる。」
「僕の妹を採点なんかさせてたまるか!」


でも、オリーヴは最後まで舞台に立つことを選ぶ。それは、勝つためではなく、ダンスを教えてくれた死んだ祖父のためであった。(まあ、そのダンスと言うのも想像がついたんだけど・・・苦笑)愛に溢れたステージだった。


「これが出版されれば、金が入ってくる、勝ち馬になれる」と言う父、しかし金がすべてなのか?
「僕は全米一のプルースト研究学者だぞ!」と叫ぶ伯父。しかし、その権威が何になる?
「ミス・コンテスト優勝」その一時の美貌と栄誉が何になる?
多くの人間が「勝ち」と思っているものは、脆く儚い。


「本当の負け犬とは、負けることを恐れて挑戦すらしない人間のことだ」と爺さんは言った。
確かにそうかもしれない。しかし現実には、挑戦することすら出来ない人間もいる。その機会すら与えられない人間も。・・・


人生において、勝ち・負けの定義は本当に必要なのだろうか?

「僕の妹を採点なんかさせてたまるか!」

そう、少なくとも、他人には採点されたくない。
採点なんか、しなくたっていい。


ブログランキング に参加しています 

久々にドカーンと来た、心が震えるほどの重厚な作品。これだから、映画はやめられない。


「ヴィスコンティ生誕100年祭」(2006)が山形にもやってきた。
上映期間は1週間。どれにしようかと迷うことも無く、「ルートヴィヒ」だ。
ヴィスコンティ作品について観ているのは・・・


昔、劇場鑑賞したのが「家族の肖像」「山猫」「地獄に堕ちた勇者ども」(かな?)
ビデオで観たのが「郵便配達は2度ベルを鳴らす」「ベニスに死す」。
「ルートヴィヒ」は興味がありながらもビデオ2巻という長さに怯んでいた。
いや、怯んでいて正解だった。まさかスクリーンで観ることができようとは。


「ドイツ三部作」のひとつといわれる本作は、バイエルン王ルートヴィヒ2世の孤高の人生を描いた大作だ。今回の完全復元版は上映時間約4時間。インターミッションが入る映画は、「風とともに去りぬ」以来、2度目だ。


「国民にとって、私たち王族は見世物に等しい。記憶になど残りはしない。暗殺でもされなければね。」
ルートヴィヒ(ヘルムート・バーガー)の愛した女性、従妹でもあるオーストリア皇后エリーザベト(ロミー・シュナイダー)のセリフ。


暗殺はされなかったけれど、ルートヴィヒ2世は、当世ばかりか後世の人々の記憶にも色濃く刻み込まれた人物となる。ルートヴィヒには、人を惹きつけて止まない何かがある。監督のヴィスコンティこそが一番心酔したのではないかと思わんばかりに、彼がどんな姿になろうとも、魅力的に映し出す。そして、そのためなら惜しむものは何もないと思うほどの、厳しい冬や宮殿や城でのロケの敢行。彼が作った3つの城だけでも、本当に圧倒させられる。

脚本も秀逸。私にもっとオペラの知識があればより理解できただろうに。口惜しいことだ。


そして・・・主役を演じたヘルムート・バーガー。彼しかいないのではないかと思うほどに、美貌もさることながら、その演技は本当に繊細だ。顔に手を当てる仕草はなんとも印象深い。虫歯で歯が真っ黒になり、顔が青白く目はうつろ。撮影当時は20代後半だったろうが・・・


19歳でバイエルン国王となり、愛する女性と結ばれることは叶わず(しかしそれは自己愛のようにも感じられたが)、政治や戦争から目をそむけ、結婚もせず、音楽や芸術に傾倒し、自分の気に入る美しい役者や従者たちを従い、自分の世界(城)を作りだす。その世界は・・・エリーザベトが高笑いするほどに尋常さを越えている。


なぜ、バイエルン王は「こうなった」のだろうか。最初から「こうだった」のだろうか。
正気と狂気の境は、きっと自分でもわからないだろう。

それでも、ルートヴィヒとある程度親しいデュルクハイム大佐が「王は狂っているのか」と言う閣僚の質問に対して、「王の狂気を望む誰かがいたのではないか」というセリフにはドキリとした。


確かに、当時「回りの国中が全部親戚」と言うほどに同盟のための結婚が繰り返された。バイエルン王だけが結婚をせずに済むものだろうか。しかも王だけの力で3つも贅沢な城を作らせることは出来ない。国庫からの支出が莫大なのにそれを許させていたのは何故なのか。圧倒的な孤独を許していたものはなんだったのか。最大の不幸は・・・おそらく彼を真に愛した人はいなかったということだ。そして彼自身も。


そして退位から謎の死に至るまで。彼は呟く。「雨は止まないだろう。二度と」


エンドクレジットには愕然とさせられた。死に顔を映し続けるとは・・・こんなのってあるだろうか?

ヴィスコンティに感服するしかない。


ルートヴィヒは、自分が死んだら城は破壊せよと言ったそうだ。しかしながら・・・皮肉にも今もって現存し、特に有名なノイシュバンシュタイン城はバイエルン地方の観光収入にもかなりの貢献をしているという。


この映画を観て、私も彼が作った3つの城に行ってみたい衝動に駆られている。

ルートヴイヒの遺志に添わないことを、許して欲しい。


ブログランキング に参加しています 

と言っても映画のレビューではないんですが・・・
ここんとこ諸事情 でレビューがアップできない状態でした。
おいおい書いていきます。
また、この間コメント、TBいただいた方ありがとうございます!
これまたおいおいお返ししますんで・・・遅れてすみません。


ところで、今日またすごい映画と出会ってしまった・・・
「ルートヴィヒ(完全版)」です。「ルキノ・ヴィスコンティ100年祭の」。(100年は多分去年なんだと思いますが・・・)
日本でたった1本のフィルムが、山形にもやってきたわけです。


ズドンとお腹に来るような重みのある映画。
これ観たら今回の「マリー・アントワネット」なんて、軽いわ~(比較してはいけないのね汗)


たまに出会うんですね、こういう映画。
それは人それぞれ違うと思う。


でも・・・これがあるから、映画鑑賞は止められない!のです。