ロバート・アルトマン監督の遺作となった本作。
しかし、ハタと気づけば・・・この監督の作品、どれも観てない(汗)
ミネソタ州フィッツジェラルド劇場。30年以上にわたり、毎週ラジオの公開生放送が行われてきた番組「プレイリー・ホーム・コンパニオン」が、大手企業によるラジオ局の買収と共に終わることになる。今宵は、その最終放送・・・何かが起こる、そんな予感を含みながら劇場の幕が上がる。
観ていて、観客席を映すのを最小限にしているのがわかる。
つまりこれは、今、この映画館がフィッツジェラルド劇場であり、我々はショウを観に(聴きに)来た客であり、そして一部始終を知る最後の目撃者でもあるのだ・・・。
『事件はリアルタイムで起こっている』という人気ドラマ「24」さながらに、ラジオ番組は始まり、そして終わる。
驚きはまずほとんどシナリオなど無しに番組が進んでいくところ。
CMも司会者(ギャリソン・キーラー、本物の司会者)が語り(歌い)、シンガーたち(メリル・ストリープ、ウディ・ハレルソンら)の歌う曲もその日になって決まったりする。
時間が余るからもう1曲・・・なんてこともある。
でも、そうやってずっとやってきたんだろう。
そんないつもどおりの様相を呈しているのだが、やはり最後は最後。
どんなふうに締めくくろうか?司会者やシンガーたちの思いが交錯する。
いつもどおりに笑って終ろうじゃないか。いや、リスナーたちに感謝の言葉を言うべきだ・・・。
そして、予期せぬ出来事が起こる。
去るものは去り、デヴューする(はめになる)ものもいる。
始まりと終わり。出会いと別れ。生と死。老人と臨月の妊婦。
それは対極のようでありながら、実は一緒なのかもしれない。
ヒトと同じように、番組も、劇場も、フィッツジェラルドの胸像も、思いが通った生き物だ。
「老人が死ぬのは悲劇ではない・・・」と語る天使はその象徴のような気がする。
生と死の狭間の存在。
そして、「開けるドアもあれば、閉めるドアもある」。
メリル・ストリープやリンジー・ローハンらのナマ歌が聞けるのもこの映画の凄いところ。
メリル・・・「プラダを着た悪魔」のクールなミランダ役からは想像できない。歌本当にうまいのね。
次回作を用意していたと言うアルトマン監督だが、奇しくもこれが遺作となった。
「死と再生」の映画、「今宵、フィッツジェラルド劇場で」。
監督のメッセージが、心に沁みる。
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