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no movie no life

・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

「松ケンが好きだ!」と言ったら「サンバ」のほうの松ケンと勘違いされましたが・・・松山ケンイチくんですよ。「デスノート」のL役で一挙にファンです。


さて、松ケン演ずる菊名ワオは音大・ピアノ科に入学すべく奮闘中の浪人生19歳。毎日毎日小さな商店を営む実家の2階の部屋でピアノを弾く。一方、ピアニストの父を持つ成瀬うた(成海璃子)は中学生、13歳。彼女は天性の音楽センスに溢れ、難解なピアノをいとも簡単に弾いてのける「神童」。しかしピアノを弾く気になれないでいる。そんな2人が出会い、奏で始めた「音楽」とは。


言葉を最小限にしている。
蝉の鳴き声、川のせせらぎ、都会の雑踏・・・そして圧倒的なピアノの音。
人間は、言葉というものを持っているが、それを使わなくとも、相手の気持ちを分かることが出来る。以心伝心・・・と言うよりは、もっと奥深いもの。
そしてそれは、音楽を通してより鮮明になる。


うたが急にピアノを弾きだした―まるで命を惜しむかのように。
心配するワオにうたは言う、「大丈夫、私は音楽だから」。
そしてラスト、2人の会話が秀逸。通じ合う気持ち。
ハーフ・ソウル。こんな人とめぐりあえる人間は、どれ位いるんだろう?


でも話はちょっと極端だ。
来日したピアニストのエピソードは、「プロとしてはどうなのさ?」と思いたくなる。


私は実は、うたの同級生の男子の方が好きだ。ほのかに恋心を抱く男子は言動が不安定なうたが心配で、無言でついてゆく。叶わない相手と知りながらも、相手のことを大切に考える気持ち。交わす言葉は無い。それでも・・・


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「障がいを持った子は、呪われた子だ・・・」
そんな考え方は、きっとガーナだけではなく、日本にも、世界にもあったのではなかろうか。


アフリカ、ガーナ。アフリカの中でも豊かな国と言われるこの国で、障がいを持って生まれた子どもは親からも見捨てられる運命にあった。物乞いをし、施しを受けて生きてゆく生活・・・そんな中、エマニュエルは右足に障がいを持ちながらも、母親の強い信念で、健常者と同じ、普通の暮らしをすることが出来ていた。あるとき、エマニュエルは決意する・・・障がい者がこんな状態ではいけない、何かしなければと。彼は、ガーナを自転車で一周する旅に出た。・・・実話である。

(2007年6月から全国順次ロードショー)


障がいを持った人と出会うとき、人は心のどこかで「自分はこうでなくてよかった」と無意識に思ってしまうのではないか。でも、生まれつきと言うばかりではなく、例えば事故などで障がいを持つことになる可能性は誰にでもある。


エマニュエルは障がいを持ちながらも弟妹を育てるために働いた。そう、障がいを持っていても、社会的責任を果たしていくことは当然なのである。しかし、社会は、政府は、そのことを理解しようとしない。


差別や偏見と言うのは、被害者になってみないとその痛みはわからないかもしれない。足を踏んだ方は踏まれた方の痛みに気づかない。でも、そのときに痛いと叫ばなければ、ずっと足を踏まれ続けたままだ。
本作は障がい者の話ではあるが、例えば一昔前の女性差別だって同じことだ。今だって、差別が全く無いとは言えない。でも、誰かが最初に声を挙げたのだ。


エマニュエルは、自分が今後何をすべきかを考えている。常に自分の果たすべき役割を遂行しようとしている。自分の使命に向かって歩む彼の姿は本当にすがすがしい。国連のアナン事務総長(ガーナ出身)とも対談する。


自分が「エマニュエルのような人間」になることは不可能かもしれない。でも、エマニュエルを援助したり、他の何かで貢献できることあるかもしれない。人の力は底知れない。


自分に出来る、何かをしよう。そう思うはずだ。


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原題「game6」。といえば、メジャーリーグファンには通じるらしい・・・


1986年、ニューヨーク。劇作家ニック(マイケル・キートン)の公演初日。周囲の人間は、無事に公演を出来るか、辛口批評家で有名なスティーヴン(ロバート・ダウニー・Jr)にどう批評されるかを気にしていた。しかし、ニック本人は同日の「レッドソックス対NYメッツ」のワールドシリーズの優勝をかけた試合が気がかり。なんたって彼はレッドソックスの大ファンなのだ・・・そしてレッドソックスはずっ~と優勝から遠ざかっている。

公演の出来ばえは?スティーヴンの批評は?そして試合の行く末は如何に!?


これは・・・メジャーリーグを良く知ってる人でないとちょっと理解しづらいかもしれない。
でも私はヤンキースの(と言うか松井選手の)ファンで最近メジャーリーグを見てるので、雰囲気はつかめます。


NY在住ながらヤンキースかメッツのファンでない、ましてやボストン・レッドソックスのファンなんていうのは異端中の異端。でもニックは小さいころからレッドソックス一筋、どんなシーンも記憶している。レッドソックスは何故かワールドシリーズでNYに勝てない。でもニックが好きなのは、レッドソックスには「負ける美学」があるからなのだ。そして、ニック自身、負けるのではと思っていながら試合を見ている。


ところが、出会った初老の女性タクシードライバーとその孫から言わせれば、「何故チームの勝利を信じないの?」と不思議がられる。そうなのだ。どうしてはじめから「ダメだ」などと思うのか?そこから、ニックは人を、チームを、信頼しようとする。


私はサッカーJ2、モンテディオ山形のサポーターをやってるので、この辺の気持ちも凄くわかる。惨敗すると「次の試合なんか行くか!」と思うのだが、次回にはちゃんとスタジアムに足を運んでしまう自分がいるのだ。それは、やっぱりチームを愛してるから。信じてるから。今度は勝つと言うことを。そして、同じチームを愛する仲間はかけがえの無い人々だ。


レッドソックスが負けるなんてわからない。批評家スティーヴンが演劇を酷評するなどとは決まっていない。なのに、みんな最初から逃げ腰になる。


バラバラだったニックの人生のかけらがつなぎあわされてゆくその軌跡。「Life is baseball」、その言葉が奥深い。野球は大逆転もあればサヨナラ負けもある、いわば不条理なスポーツ。これまでの努力が報われるとも限らない。でも、だからこそ、人はこのスポーツに魅せられるかもしれない。


この映画ではニックが何度もタクシーに乗るのだが、NYの道路は渋滞、そしてタクシードライバーの人種やかつての職業も様々。ドライバーはNYにいながら、どこか異端的な存在に見える。NYのレッドソックスファンと同じように。


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あの日、彼女が涙を流さなかった理由。

ダイアナ元皇太子妃がパリで交通事故で亡くなってから葬儀までの1週間を中心に、クィーン・エリザベス2世の心の内に迫った作品。ヘレン・ミレンは本作品でアカデミー主演女優賞を獲得。

一般の上流階級を思わせる居住空間。アットホームな家庭。孫思いの祖母。散歩したり、自分でジープを運転して遠出したり。しかし、彼女ら一族には選挙権はない。

神と国民に全人生を捧げる運命にある女王。
Duty the first,Self the second.(任務が第一であり、自分はその次)。
彼女は常に自分を抑えて生きてきた。涙など、感情は出してはいけない。それが彼女が理解する「威厳」なのだ。

しかし、ダイアナは「Self the first」だった。いや、ダイアナだけではなく、普通の人々は皆そうだ。しかしそこが皮肉にも国民と乖離している部分なのだ。

実際に、彼女の意向は何ひとつ通らない。演説の草稿ですら政府のチェックが入る。決まった物事はもう覆らない。

彼女が涙を流したのはワンシーンだけである。その涙はどんな意味を持つのか。彼女は一人になったとき、彼女自身に帰る。そのとき見つけた美しい鹿は彼女の憧れの形だったのかもしれない。広大な大地を自由に駆け回る鹿。

マスコミによる王室批判や王政支持率を気にする女王。それは内閣を率いるブレア首相も同じだろう。劇中のブレアは、女王の重さの一端を理解できた少ない人間のひとりかもしれない。

しかし、マスコミのバッシングに対して女王は反論できない。彼女の発言はオフィシャルであり、まさしくdutyだから。
彼女は涙を流すことを許されない存在なのだ。
ダイアナでなく、例え夫が死んでも、公人である限り女王は涙は見せないのではないだろうか…?

日本も天皇制を保持する国。マスコミによるバッシングなどは、同様であると思う。でも日本では作れない映画だろうな…。

この作品がどの程度事実に肉薄しているかはわからない。
しかし…王冠を載せている人間の圧倒的な孤独を、ダイアナ元皇太子妃の事件によって一層浮彫りにさせた映画ではないだろうか。


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探しました・・・レンタル屋。やっと見つけました、ビデオ。
そんなにも、ガエル・ガルシア・ベルナルが見たかった!!
公開が迫る注目の「BABEL」アレハンドロ・ゴンザレス・イリャニトゥ監督作品。
ビデオ見てからだいぶ時間が経過してるんですが・・・思い出しながらのレビューです。


ひとつの交通事故を中心に、3つのストーリーが展開してゆく。


兄と弟の確執は、兄の若い妻と子どもがいることでヒートアップしてゆく。義理の姉と「許されない」関係を持った弟は、兄との生活から逃れようと、飼い犬で闘犬し金を稼ぐ。しかし、ある日犬が撃たれるというアクシデントから、交通事故を起こし、報いであるかのように自らも重傷を負う。また、愛する人の気持ちをも失う。


人気モデルは不倫の末に結婚したが、交通事故に巻き込まれて足を失う。夫はかいがいしく看護してくれるものの、毎日、ビルにかけられた自分の看板を自宅の窓から眺め、心のよりどころとしていた愛犬もいなくなってしまい、ヒステリーに陥る。自分の愛していたものはなんだったのか?


自分の思想のために人生を費やし、妻と娘を省みなかった孤独な男は殺し屋となり、年老いてはたくさんの犬とともに生活することで癒しを得ていた。しかし偶然知った妻の死をきっかけに娘を探り当て、彼の心の中に郷愁が満ちる。もうひとつあるはずたった別な人生。一方、彼は目撃した交通事故で瀕死の犬を助けたが、その犬は恩も知らず彼の飼っていた他の犬全てを噛み殺してしまう・・・。


全てに共通するのは、自分の目的を達成する報いとして大切な何かを失うという観念・・・仏教的な観念だが、因果応報を思わずにはいられない。


特に血の繫がり・・・兄と弟、親と子どもの関係は、切ろうとしても切れない、それこそ血生臭さを感じる。それは、最後のストーリー中、兄が弟の殺人を依頼する「カインとアベル」の場面設定で、再び鮮明に浮かび上がる。

しかし、人間は皆カインの末裔。その「原罪(業)」を背負いながら生きてゆくのだ・・・


そして、全編に亘って介在する犬。犬は、人間に可愛がられ、利用され、そしてあるときは本能のままに生き、罪の意識なども感じずに同種を殺す。この映画では、人間とは対照的な存在である。


全く関係の無い人たちが絡まりあい、また緩急ある展開と時間軸をずらすことで観るものを画面に惹き付ける。
そして行ったこともないメキシコの乾いた空気が、自分の胸をも焼け付けるように感じさせる。


最後に。
義理の姉に恋焦がれる弟を演じたガエル・ガルシア・ベルナルがやはり良い!
彼の映画デビュー作であるが、他の役者陣を上回るような不思議な魅力がある。


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