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no movie no life

・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

スパルタ・レオニダス王の吐く「This is Sparta!」を聞いたとき、映画「ブラッド・ダイヤモンド」の「T.I.A」・・・「This is Africa」を思い出した。全く逆の意味で。


「スパルタ」と言えばスパルタ教育と言う言葉があるほど厳しい軍事教育で有名な古代ギリシア都市。アテネと並ぶ古代ギリシアポリスの代表的存在だが、訓練で鍛え上げられた「スパルタ戦士」300人が、レオニダス王(ジェラルド・バトラー)の下にペルシア軍100万人と戦う紀元前480年の「テルモピレーの戦い」と言う史実をもとに映画化。何故スパルタ戦士は300人しかいないのか?どのように鍛え上げられるのか?そしてたった300人が100万人に仕掛ける戦略とは?


率直な感想・・・といえば、面白かった!
殺戮シーンが多い中で、「面白い」と言うと誤解を受けそうだが、人命を軽視してると言う意味ではない。
生まれた時点で選別され、7歳で家庭から切り離され、成人の儀式では山に放り出され、生き残ったものだけが一人前の戦士となる。そして彼らが妻を娶り、子どもが生まれる。それは徹底した優性遺伝だ。そしてたたき上げられた精神、プライド。王とはその塊であるのだ。レオニダス王の吐く「This is Sparta!」がその表れ。


ペルシア帝国が領土拡張のためにギリシアを度々襲うのはその以前からある。アテネ軍が勝利した有名な「マラトンの戦い」もそうである。そしてスパルタにやってきたペルシア帝国の使者・・・「隷属か、死か。」その選択にスパルタ王自身の迷いはない。


屈強な身体、身にまとう武器、徹底した統制、信頼関係。無駄なものはない。そこになんだか「美しさ」を感じてしまった。特に「盾」の使い方。


そしてそういったものを「マトリックスに匹敵する映像革命」と言うコピーの語るとおり、よく描かれていると思う。人間の身体がどうやって槍や刀だけで戦っているのか。それがこの映画の最大の見せ場なのだ。飛んでくる矢や、次々と繰り出されるペルシアの奇襲。映像的には迫力満点、エンターテイメントだったと思う。


ただ、ペルシア帝国を圧倒的に不気味に、グロテスクに描いているんだよね。そこまでする必要があったのかな。現代のペルシアの流れを汲む某国はどう思うだろ?奇想天外な「武器」もねえ。なんだか風の谷のナウシカの巨神兵を思い出しちゃった。それと、スパルタ戦士の身体がみんな同じで・・・TVゲームを見てる感覚に近いかも。


それから、ペルシアの使者がスパルタ王妃に言った「女がなぜ口を出す」と言う言葉を、王は「侮辱」と捉えていたけど、そういう考え方は、本当にあったのだろうか。王妃すら議会での発言権すらないのに、ここでの女性の地位はどうだったんだろう、とちょっと疑問に思った。


しかし・・・人間と言うのは太古の昔から、殺しあって生き残ってきたのだとつくづく思う。
それは、人間の本能なのかもしれない。
「人を殺してみたかった」最近よく聴く哀しいこの言葉も、もしかしたらそれなのだろうか。
チャップリンの殺人狂時代「1人殺せば犯罪だが、100万人を殺せば英雄だ」と言う言葉を思い出した。


人命よりも重い大義名分があれば、そしてそういう教育・洗脳がなされれば、人は・・・

そういう意味でも、考えさせられる映画。


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エンドロールで席を立った人、いませんか?


「デッドマンズ・チェスト」でエンドロール後もお楽しみ映像があったのですが、こちらはお楽しみではなくてれっきとした本編として、ありましたね。


さて、一応3部作で終結?なのかしら。これ。
でも、結局はブラックパール号の船長はバルボッサ?ジャック?ということで、振り出しに戻ったような気もしますね。

つまりは、海賊は永遠に自由であり、この話はそのホンの一部分。もとは陸の人間たちの、エリザベスとウィルのお話だったのね。
なんだか「ロード・オブ・ザ・リング」でホビットの話だと思ってたら、最後はアラゴルンとエルフのお姫様のお話だったのねって言うのと似たような感覚かなあ。


でも、異なるのは、前作を良く覚えてなくても、超エンタメ作品として十分に海賊たちを楽しめる点かな。

ジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)とエリザベス(キーラ・ナイトレイ)とウィル(オーランド・ブルーム)の微妙な3角関係はスター・ウォーズのルークとレイア姫とハン・ソロを思い出してしまったんですが、S・Wファンに怒られるかなあ。エリザベスがジャックに惹かれる気持ちも理解できるし、でもウィルの真摯な愛情も感じる。


しかし10年に一度しか会えないと言うのは、本人たちにとっては悲惨だけど、なんともロマンティックな話です。デイヴィ・ジョーンズが涙流すシーンにはちょっとグッと来ました。


ああ、スパロウ親子は面白かったですね。海賊の歳のとり方はどうなってるんでしょう?


とにかく最終章にふさわしい、「物語はまだ続く・・・」のような余韻を残したディズニー映画だったんじゃないでしょうか。(人はたくさん死んでましたが・・・)


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「コマンダンテ」ってどういう意味かと思ったら「司令官」と言う意味らしい。

(写真はキューバの記念切手。初日の最終回、先着24人にプレゼント~ってことでもらってきました。)


アメリカ合衆国が上映拒否した問題作って言うけど、それほど懸念されるようなことはない気がした。どちらかと言うと、映画はフィデル・カストロの人物像に迫ったつくりになっている。内容は革命前夜やゲリラ戦、そして革命後のキューバやキューバ危機などの話もあるが、プライヴェートな部分にも及んでいる。監督はオリバー・ストーン。監督とカストロ議長のインタビュー形式で撮られている。


カストロ議長が誰かに似ているだと思ったら、最近見た映画「クィーン」のエリザベス女王だ。

国のカリスマであり象徴であること。
そして、「公」と「私」を完全に分けていること。
ずっと長い期間、権力の座についているということと(アメリカ大統領のニクソンやケネディのことを話すあたりは、女王がブレア首相に「チャーチルのときは・・・」なんて話すあたりとダブる。)。何人ものアメリカ大統領と渡り合ってきたその「重み」が伝わる。
決定的な違いは、女王は否応なくその座に座らされたということだが。


言葉の使い方や選び方がうまいし、慎重だ。変な質問にはまずそれを指摘するし、仮定を前提として答える。本人は、文章を書くことよりも、話して、相手を説得することを好むと言う。さすが国民相手に何十年も演説してきただけのことはある。


そして、キューバにも訪れる資本主義の波。カストロ自身、NIKEの靴を履いているし、街にはコカコーラの缶が転がっている。彼はそれを変化なのだと認識している。世の中は常に変化していて、だから今はこうすべきだということを考えている。かなり柔軟な考え方をする人だと感じた。


実は私、チェ・ゲバラが好きで、結構本読んでます。彼の葬儀のとき、カストロがゲバラの手紙を読み上げるシーンがあるが、それは私も覚えている。「自分は、物質的なものを妻や子どもに残してはあげられないが、それは心配していない。それはこの国が与えてくれるはずだから。」教育費はほぼ無料と言う。教育を受けるためにキューバに来る中南米系のアメリカ人も多い。


今、この世界の中で、キューバが稀有な国のひとつであることには違いないのだと思った。


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うーん。この映画から「泥臭さ」を取ったらどうなのよ?


サンティアゴ(クノ・ベッカー)はイングランドのプレミアリーグ・ニューカッスルのチームで活躍し、恋人の看護師ロズとも婚約に至った。そんな中、レアル・マドリードが成績不振ということで、サンティに白羽の矢が・・・。レアルにはラウル、ジダン、ベッカム、ロベルト・カルロスと言ったスター軍団ほかに、以前ニューカッスルにいたガバンがいた。巡って来た大チャンスにサンティはチャレンジする。


「GOAL!」のときは、王道ではあったけれど、恵まれない環境にあった若者が、見出されて困難を乗り越えチャンスをものにする泥臭いサクセスストーリーに感動した。本人の情熱、家族の思い。涙が流れた。皆、サッカー選手はこんな気持ちを抱えてプレイしているんだと。


しかし、「2」ではいきなりレアルに落ち着きとんとん拍子にことが進む。もはや「くされ縁」のガバンとまた絡む。恋人ロズとはイングランドとスペインで遠く離れてしまう・・・そんななか、いろんな悩みを抱えながらプレイするサンティ。パパラッチに囲まれ、VIP待遇になじんでゆく。しかし、大人になりきれない幼さもまだ残る。


でも。
ここで描かれている物語は、もうサッカー映画ではなく、サッカーを背景にした映画だ。たまたま主人公の職業がサッカー選手だった、って言うくらいに、落ちてしまったような気がする。


ベッカムやジダンが登場する贅沢さはあるが、あくまでもそれは所詮背景であって、主軸はガバンとサンティ。架空の話だからそれはしょうがないのだが、サッカーに対する情熱は感じられない。あるとしたら、年齢を少しでも若く見せようとしてチームに残ろうとするガバンにあると思った。


高級自動車、高級住宅・・・でも、ロズがいなければ何の価値もない。
いきなり高給取りになった人間の悩みや迷いならば理解できる。

どうやってセルフコントロールするのか、そんなところも考えさせられる。

しかし、この映画は、そういう映画だったのだろうか?ゲーム展開もあまりにも・・・である。キレイすぎる。


次回の舞台はワールドカップ。大体想像はつきますね。
3部作のうちの2作目と言うのは案外その映画の評価を決めるのではないかと思う。
これなら、第1作で終った方がよかったんじゃないかな、と正直思った。


サッカー映画に関しては結構辛口になってしまいます。


「GOAL!」レビュー


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兄妹、とうの昔になくしていたものを、見つける旅路。


これ観て、「よし、自分も・・・」とはならなかったなぁ。なんたって、京都の醍醐寺で懲りてます。地元の山寺ですらキツかったですから。でも、苦しいからこそ巡礼なんでしょうね。


亡くなった母の遺産相続の条件は「3人の兄妹でサン・ジャックまで巡礼に行くこと」。その遺言を守り遺産を得るため、険悪な3兄妹のピエール、クロード、クララはしぶしぶ巡礼の旅に出る。その旅、約2か月間、1500キロ!


巡礼の旅のメンバーはそれぞれワケアリで個性的。ピエールはアル中の妻を持つ神経質な会社社長、クロードは離婚した上にアル中でお金なし、クララは教師で夫が失業中。巡礼ガイド役のギイは家庭不和で悩み、マチルドは病気で頭髪が抜けたことを気にする。高校の卒業記念でやってきたカミーユとエルザ。好きな娘が参加することを知りやってきたサイッド、巡礼と言えば当然メッカだと信じ、サイッドに騙されてやってきたラムジー。


険悪すぎて周りに迷惑カケマクリの兄妹。でも、歩き続けていくうちに、余計な言葉は出なくなる・・・
馴れ合うことは無い。でも・・・それが兄妹ってものかも知れない。


失読症のラムジーにクララが言葉を教えるところがほほえましい。ラムジーの、母への愛情、死に対する敬虔な祈り、素直さ。それが皆に伝染していくようにも見えた。
そして、「個々」だった彼らが「9人の仲間」となり、サン・ジャックを目指しひたすら歩き続ける。


目的地に宝物があるわけではない。でも、人は神を求めて、何かを探したくて、もしくは何かを吹っ切りたくて、巡礼の旅に出る。不必要なものは捨て、必要なものだけを背負って、歩く。でも、歩いていく中で、きっと、モノではない大切な何かを、そのリュックの中に詰め込んでいくのだ・・・


到達した先には「遺産」以上の何かがあった。
それがステキ。それは、きっと、亡くなったお母さんの予想以上だったんじゃないかな。


フランスからスペインの聖ヤコブ(サン・ジャック)ゆかりの地サンティアゴまでの巡礼、豊かな自然と歴史ある道。今日もまた、誰かがその道を歩いているのだろう。


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