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no movie no life

・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

観るものを、裏切り続ける面白さ。


「遅れてやってきた清純派アイドル」如月ミキの自殺から1年後の2月4日、ネット掲示板に集う5人のメンバーの家元、スネーク、安男、オダ・ユージ、イチゴ娘が追悼会を開いた。初めて顔を合わせた5人は如月ミキの自殺理由に疑問を持ち、死の真相を探り始めるが・・・。


登場人物は5人。ユースケ・サンタマリア、香川照之、小栗旬、小出恵介、塚地武雅(ドランクドラゴン)。これ、どのハンドルネームが誰なのかを当てはめるだけでも、面白いよね。「メール人格」って言葉があるらしいけど、ネット上の別人格って言うのはアリだと思う。それがネットの匿名性の魅力でもあり、怖いところでもある。


そこで、やってきた人物のハンドルネームを一人ひとり当ててゆくのだが、そこで最初に裏切られる。イメージ通りの者、そうでない者・・・。その後、それぞれがどういう性格で、どういうタイプのファンなのかが明らかにされる。


次に、如月ミキ他殺説。5人の中に犯人がいるのでは?という状況下、容疑者は二転三転する。そこで、確定されたはずのキャラクターからは想像しにくい素顔・素性が発覚し、第二に裏切られる。まさか彼が・・・!?


そして、推論は、「ある死に方」に落ち着く。表れたのは、皆が抱いているイメージとは違う「如月ミキ」像だった。最後に、如月ミキに裏切られるのだ。


全員が喪服の密室劇。緊迫感の中に、観るものを裏切り続けるキャラクターと物語の展開。退屈は全くしません!


「アイドルは虚像(idol)」だ。ファンのためにアイドルであろうとした如月ミキ。
一方で、ネット上のハンドルネームで表される人物も虚像だ。彼らもまた、如月ミキのファンであり続ける。


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最近は、「ヒュー様」と言うとヒュー・グラントじゃなくて、ヒュー・ジャックマンなんだろうか?


1980年代に人気を博したグループ「POP」のボーカル、アレックス(ヒュー・グラント)。今はグループも解散し、昔の曲を歌い「巡業」で稼ぐ日々。そこへ、新しい仕事が転がり込む。全米で大人気のシンガー・コーラの新曲を書くと言うことだ。しかし、アレックスは歌詞が苦手・・・そこで、「植物係」のソフィー(ドリュー・バリモア)に白羽の矢を立てる。果たして、アレックスは曲を完成することが出来るのか?


冒頭のプロモーションビデオが面白い。昔、こういうのだったよね・・・こういう曲流行ったよね・・・時はその時代にタイムスリップ。音楽の楽しさはこういうところにある。


ただのラブコメかと思いきや、案外そうでもない。
原題「Music And Lyrics」メロディと歌詞、と言うところだろうが、これがキイ。
歌はメロディと歌詞のどちらが主だと言うことは言えない。
言葉を、メロディを、そしてアレンジ(!)もお互いに尊重しあって、シンガーが自分の歌として歌うことで完成する。作曲家の思い、作詞家の思い、編曲者の思い、そしてシンガーの思い。全てを満足させるのは並大抵のことではないが、クリエイトする人間のプロ根性がキラリと光る。自分の仕事に対する誇りといってもいい。だから、そのモラルを乱すもの(小説家)は許されない。


どんな世界でも、トップであり続けることは難しい。だがアレックスは自嘲気味だが人生を諦めてはいない。再起をかける気持ちと、よい音楽を作りたいと言う気持ち、そしてダンスで腰を振り続ける(笑)・・・プロである。「生みの苦しみ」を味わっても、また曲を作ろうとするその魅力とは、何なんだろうな。


メロディと歌詞、過去のスターと現代のスター、音楽と小説、そして男と女。
ラブコメディの中に2つのキイが絡まりあって最後に落ち着く。


ところで、ヒュー・グラントは年をとったなあ、と思います・・・。でもやっぱり好きなんだよねえ。こういう役が出来るのも彼ぐらいのものじゃないかしら。
そして、あのカリスマ女子スター・コーラ。顔はキュートだけどダンスがびっくり仰天。しかもあの大仏が出てきたときは・・・(苦笑)。別シーンだけど、「2つの文化を冒涜してるわ!」といったソフィーのセリフが頷ける。ああいうイメージなのかしら、仏教って・・・


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自分自身をもう一度反芻する、夏。


薫(松本花奈)が小学4年生の夏休みに入った日、母が家を出て行った。代わりに、ヨーコ(竹内結子)がやってきた。性格は大雑把、豪快に笑い、涙も流すヨーコに惹かれてゆく薫。1980年代グッズ満載の映画。


最近の邦画では、メッセージ性を持つ社会派で骨太の作品よりも、雰囲気で魅せようとする繊細な映画が多いような気がする。普通の人々が織り成す日常の中で、大事件は起きないが、最後には何かが変わってる。ああ、なんとなくわかるなあ。そんな感想を持たせるような。しかも、主人公は女の子で、いわゆる「いい子」。「幸福な食卓」「赤い文化住宅の初子」に続き、これもそんな感想を持った。


なんでこんなに「いい子」なんだろう。薫は親に口ごたえもしないしおねだりもしない。おかげで自転車にも乗れなかった。「お母さんに怒られるから」コーラは骨が溶けるから飲んじゃダメ、麦チョコは少しだけ。要領が悪くて、自分自身を出すのが不器用。


ヨーコはそんな薫を精神面では一人前の人間として接する。
ヨーコと出会って、薫は自転車に乗れるようになった。「自転車に乗ると世界が変わるよ」


この映画を観て、あんまり爽やかな気分になれなかったのは、薫が自分自身の子ども時代とダブるからだ。なんとなく落ち着かないし、ちょっとイライラする。そして、20年後の現在、仕事にも疲れ、自分自身の生きる意味を見出せない薫もまたわかる。つまり、弟も言うように「姉貴、子どものころから変わってない」んだよね。


んじゃ、ヨーコと過ごした夏は、その後の薫の人生にたいした影響を与えてないんじゃないか、と思ってしまった。自転車に乗れるようになって薫の世界が変わったとも思えないのだ。


・・・でも。
ヨーコと出会った夏を思い出したことで、大人になった薫は自分の未来を変えられるかもしれない。子どものときは変えられなかった未来を、今度は自分自身の手で。


ラスト、そんな希望を持って彼女は自転車のペダルを踏む。


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死しても放つオーラ。


黒澤明の軌跡~28作品一挙上映~が今日で終わりました。黒澤作品はスクリーンで見る機会がなかったので、全部とはいかなかったですが、いくつか観てきました。


時は戦国時代、武田信玄の遺言・・・「自分が死して3年は秘すること」。信玄にそっくりな「影武者」と、側近たちの物語。本作は、1980年度カンヌのパルムドールを獲得した作品。


影武者として起用された人物は、磔の刑寸前だったところを、容貌が似ているからと救われた盗人。いよいよ信玄が死に、役目を果たすよう命令されるも、そんな大役は無理だと断る。しかし・・・彼を決意させたのは死んだ信玄の骸が放つ威光、オーラだった。


そもそも、この話はそれが無ければ存立しない。存在しているだけでも他を圧倒する力を持つ、「風林火山」の「山」。信玄が作り上げたその「イメージ」は死しても効力を発することを本人が一番理解していた。重臣たちの信頼はことのほか厚い。そして織田信長、徳川家康・・・多くの武将たちが、信玄を恐れた。


影の苦労は影にしかわからぬ。主人がいずして、そもそも影はありえないから・・・。ユーモラスに映る影武者と側近たちのやり取り、そんな中にも影武者の孤独と悲哀を演じた仲代達矢の迫真の演技は、「乱」においては「怪演」となる。その影武者を最後まで補佐する信玄の弟・信廉を演じた山崎努も、血の通った人間像で重要な役割を果たす。


やがて影武者の存在が発覚し追放された後の合戦。いわゆる長篠の戦いで、武田勝頼は信長・家康軍に負ける。その描写は、殺しあう人間たちを描かずして、お互いの一方的な攻撃シーンを交錯させ、その真ん中に影武者だった男をしのばせ、その目から見た風景として作られている。結果は馬や人の断末魔として描かれる。・・・以後、武田は戦国時代の主舞台から姿を消してゆく。


全作品を見たわけではないんですが、若干観た黒澤作品の印象としては、「映画はエンタテイメントなんだ」ということ。練り上げられた脚本、迫力の山場、最後の顛末。絶妙のタイトル。内容がシリアスな映画でもクスッと笑えるシーンが必ずある。時間が長くても長いと感じさせない。そして画面の安定感。そこに映る人間の数が3人であろうが、7人であろうが、その配置のバランスの良さ、すわりの良さには驚かされる。一番美しく見えるところからしか撮らない、と言うように。特に「影武者」では動かない信玄と側近たちの動きにより、静と動の対比が心地よい。


力を持った作品とは、まさに肌で感じることが出来るのね。面白かった!


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ガエル・ガルシア・ベルナルの出演作をDVDでまとめて見ました。

「ドット・ジ・アイ」、「ウェルカム、ヘブン!」「ブエノスアイレスの夜」。


なんと主役のスペインの女性の名前がみんな「カルメン」。

そんなにいっぱいある名前なのかな・・・それともイメージかな・・・


それにしても、ガエルはみんな罪作りな役ばっかりだなあ。・・・