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no movie no life

・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

隣の彼女は号泣・・・


時は昭和。筑豊炭田のもとで母と育った少年が、高校入学をきっかけに実家を離れ、大学受験で上京。紆余曲折を経て、ある程度まともな生活をすることができるようになった青年は、ガンを患う九州の母を呼び寄せ、東京で暮らすことにする。


ボク(オダギリジョー)の目線で話をたどると、それほど移入できない。だって、自堕落な生活で母親にメイワクかかて・・・と言うところは、もうしょうがないよね。でも、30歳で母親を呼び寄せるあたりは、がんばったんだなあ、って思う。私には出来ないことだから。


これは、やっぱりオカンの話。
若いときのオカンを内田也哉子、歳をとってからを樹木希林と言うホンモノの親子が演じてるのが良い。特に、内田也哉子はキレイなときとフツウのときの分かれ目がはっきりしてて、「女性」のときと「肝っ玉母さん」をうまく演じ分けてると思う。私が行った映画館に、劇中オカンが箱に入れてたものが展示されてたんですが、あのモノクロ写真がホントきれい!ですよ。

それで、樹木希林も・・・「女性」と「オカン」をうまーく出してる。息子の友人が家に来るとき、出かけるときは、しっかり化粧して、身だしなみを整えてる。オトンが見舞いに来る・・・って時は凄かったよね。ああ、オカンはまだオトンに恋してるんだ、と思いました。


「時々、オトン」の小林薫が絶妙。オトンだけは通しで小林薫が演じてるんですが、若くても年取っても全然いける。「リアップ」のおかげかな。


だから、「私は結婚には失敗したけど・・・」というオカンの手紙にはグッと来ました。失敗とは捉えつつも、愛した人はオトンだけだったんだよね。


引っかかったのは、彼女のミズエ(松たか子)がオカンに放射線治療を勧めるところ。だって、オカンはよく理解してたとは思えないもの。放射線治療がどんなものか・・・。


一見、どこの親子にもあるような普遍性を出しつつも、ちょっと違う親子の形。しかし・・・私の隣に座っていた若い女性ほど、素直に涙が出ない私の方がおかしいんだろうか・・・?親子と言う側面では、どうもピンとこないのであった。


最後に、勝次涼。彼の役の幅は凄い。今後も期待です!


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犯罪の被害者は、当事者だけではない。追えば身を滅ぼす・・・「ゾディアック」


1969年以降、サンフランシスコ州で起きる連続殺人事件・・・犯人「ゾディアック」は新聞社に暗号文。声明文を送りつけ、社会に挑戦状を叩きつける。その後、事件は長期化。警察、新聞記者、遺族・・・なんとしても検挙したいと言う思いは通じるのか?実際に起こった事件を元に映画化。デヴィッド・フィンチャー監督作品。


エンディングにおいて、観客が何を思うか、これは評価が分かれるのではなかろうか。


この映画は、サスペンスと言うよりも「ゾディアック」に関わった人間たちの苦悩や身の破滅が描かれている。映画は1969年以降から1990年までを描いている。観ていると、○週間後、○か月後、○年後・・・と、時間はどんどん超過している。その間、何もなされなかったわけではない。でも、サンフランシスコ市警、地元警察、新聞記者・・・それぞれがそれぞれのシマでしか動けなかったために出来た「たるみ」もある。「ゾディアック」の模倣犯も現れる。第一容疑者の物的証拠がつかめない。ゆえに、警察は手が出せず、事件は1人の元イラストレーターのグレイスミス(ジェイク・ギレンホール)が私人と言う立場で追うと言う形になる。


関わった人間たち・その家族の人生が、「ゾディアック」以降転落してゆく。家族や周囲の人間が、そして自分自身ですら、「ここで止めておけ」と思っても、心の奥では「こいつが犯人だ」という瞬間をこの眼で見たいという欲求に支配される。この事件は麻薬のように身を蝕んでゆく。気づいた時にはもう遅い。・・・


そういった種類の恐ろしさは十分伝わってくる。よって、エンディングでこの事件が解決していないことに脱力感・疲労感が襲う。でもそれが事件に携わった者と同じ類のものではないだろうか・・・。一方、この第一容疑者が犯人でなかったら、と言う恐怖もある。彼こそ「ゾディアック」の最大の被害者だからだ。


しかし、やはり2時間37分は長い。集中力がなくなる。名前が識別できなくなる。
個人的には、ロバート・ダウニーJrが良かったかな。


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アポカリプト・・・「新たなる始まり」。ある始まりは、何かの終わりでもある。


繁栄を極めたマヤ文明。一方で、華やかな文化とは無縁な狩猟生活を営む部族もあった。突如としてマヤ帝国の兵士たちに部族を襲われ、連行された文明にあったものとは・・・メル・ギブソン監督作品。


とにかく全編息をつかせぬほどの緊迫感である。アクションムービーとしたならば素晴らしいものだ。狩猟民族の並外れた体力、しなやかな肉体、研ぎ澄まされた神経、それを追う兵士たち。一方で、残虐に殺される人々・・・

しかし、監督の描きたかったものとはなんだろう。この作品には「マヤ文明の最後への序章」が描かれている。どんなに繁栄した文明でも、いずれは終わりを迎える、と言うことなのだろうか。


全編マヤ語、キャストは映画経験のない若者たちだと言う。徹底的である。
しかし、ストーリーしては展開が読める筋書き。見所とすればアクションしかないような気もするのだが・・・何故「マヤ文明」を用いたのかな?


そこで描かれた文明は、もはや終焉を迎えるに値するものであったかもしれない。
しかし、その後ヨーロッパ諸国が行った蛮行は触れられていない。


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皆さんからお問い合わせあったんで、書きます・・・。

今朝8時からのフジテレビ「とくダネ!」のおすぎさんのコーナーで、

私のインタビューコメントが一瞬映りました。

映画は「あるスキャンダルの覚え書き」です。


詳しくは日記 にて

自覚のない無邪気さも怖いけど、開き直ってる確信犯の怖さ。
まるで、「僕は痴漢ですけど何か?電車に乗ってくる娘の方が隙があるんでしょ」っていうのと似てるかな・・・。でも、痴漢は犯罪だけど、これは違う。


もうすぐ定年を迎える独身の教師バーバラ(ジュディ・デンチ)の学校に、美しい美術教師シーバ(ケイト・ブランシェット)が赴任する。皆の注目を集めるシーバにバーバラも注目。次第に仲が良くなる2人だが、ある日、バーバラはシーバが15歳の男子生徒と不倫関係にあることを知る・・・


二つの事柄。
ひとつは、シーバと少年との関係。
もうひとつは、バーバラの行動。


シーバが少年との関係を続けるのは、判る気はする。人生の理想系と現実の埋められない「隙間」に飛び込んできたもの。そして、人は罪悪を感じながらも秘密を持つことに甘美さを覚えるのではないか・・・。死ぬまで、二人の秘密。そういうモノに、溺れてみたいという感覚。人生の表と裏。


ところが、バーバラについては種類が違う。
ずっと孤独で、恋人もできずにここまでたった1人で生きてきた。自分も友人が欲しい。恋人が欲しい。ときには相談し、支えてくれる人が欲しい。・・・どうしても埋められない「隙間」を、彼女はノートに書くことで埋める。そして、妄想の世界を描き、綿密な行動に出る。でも、バーバラはシーバのように法を犯すまでにはいかない。「寂しさから、友人を求めて何が悪いの?」彼女のやっていることは、遊びではなく真剣だが、犯罪じゃないギリギリの線上にあるのだ。だから難しい。いわば良心の問題と言うべきか。しかも立派な職にあり、キャリアもある。誰も彼女のことを好きにはならないが、疑わない。
もうひとつの怖さは、彼女は確かに行き過ぎているが、もしかしたら誰もが堕ちる可能性がある心の闇じゃないだろうか。「異常者」扱いできないところが、バーバラの怖さなのだ。


バーバラの行動を知ったときのシーバの持った恐怖感、焦り、不信感、不快感・・・ケイト・ブランシェットの取り乱し方が全てを表していた。


よく見ると、この原題「Notes on a scandal」が意味深だよね。
「スキャンダル」は単数だけど、「ノート」は複数形。
バーバラにとっては、これもひとつのスキャンダルに過ぎない。次の新しいノートを買うだけだ。


久々に濃い映画に出会った。ジュディ・デンチのひとつひとつの演技が圧倒的で、凄みがある。


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