自分の苗字が映画に出てきたのを初めて観た。なんか落ち着かない(笑)
東京の下町に住む落語家二つ目、三つ葉(国文太一)は努力家だが、なかなか上に上がれない。師匠(伊東四朗)からは「わかってねえなあ」と言われるも、何がわかってないのかがわからない。そんなとき、知人から落語を教えてやってくれないかを頼まれ、やることに・・・。生徒の3人はそれぞれ「話すこと」に関する悩みがあって集まってきたのだった。
聞いて欲しい、けれど、それを伝えるにはどうしたらいいんだろう?
話し方の技術というのは、確かにあると思う。
私も会社員時代、「プレゼンテーション研修」に行かされたことがある。なるほどと思うことがたくさんあった。また、私の友人には学校の先生が多いが、彼らはとにかく話すことが上手い。子どもにわかるように話すということは、大人が聞いたって聞きやすいものだ。
しかし、技術を会得したところで、また壁にぶつかる。三つ葉がそのパターンだ。
何が悪いんだろう・・・?三つ葉は、自分自身のオリジナリティを忘れていた。丸暗記するのではなく、自分の言葉で、自分らしく、話すこと。それは、三つ葉にしか出来ない「しゃべり」。
そして、会話はキャッチボールである。一方的に話すのではない。聞いてくれるか、返してくれるかどうかは、相手が決めることだ。相手のことを思いやったとき、相手と同じ目線に立ったときに生まれるものもある。
「話し方教室」で、誰もがしゃべり上手になれるわけではない。でも、自分に合った話し方やそれを生かせる場所と言うのは、一人ひとり異なる。それを自分で発見し、前に進んでゆくことができる。
さらに映画では、落語の面白さはもとより、落語家の普段の生活や東京の下町の風情、お祭りの様子など、十分に楽しませてくれる。あの関西弁の小学生・・・ナニモノなんだろう?上手いよねぇ。
話すことも、書くことも、同じ。
「好きなものから逃げると一生後悔する」。
「好き」なだけではやっていけない。だけど、「好き」だから、続けていける。
私も、逃げないでがんばってみます。
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