おひさまひろば
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抹茶味 2025

今年も新茶が出始めたあたりから

抹茶味のお菓子がたくさん出てくるようになりました ^ ^v

抹茶は生産量が限られるためか定番商品以外は期間限定であることが多く、

「旬」の時期に見出して購入しなければならないという

プレッシャーがかかります。(というほど大げさなものでもないが)

 

今年は当院の「抹茶部」部員のあくなき探求心により

一人では到底見つけられなかった新製品を多数味わうことができたことが

特筆すべき収穫でした。

それもあって、これまで目にすることがなかったメーカーのものなど

面白い発見が多々ありました。

 

Tohatoさんは定番のキャラメルコーンやハーベスト(どちらも好き)の

抹茶味が登場してびっくりしました。

クリームをサンドしたものなどもありましたが、

まだしっくりこない感じで、来年に期待です。

 

 

森永さんは昨年も良かったのですが、

パッケージも含めて小枝はアップグレードしていて

キャラメルは類似品がなく、攻めているところが好感が持てます。

 

(一番下のTohatoは来年に期待。上の二つは買いだめしたくなる)

 

ブルボンのアルフォートは毎年この時期に

抹茶味の袋菓子が出るので狙っていたのですが、

今年はそれがなくてがっかりしていたら、

ブランチュールとエリーゼの抹茶味が出ていました。

これはどちらももともとの風味を全く損ねていないどころか

「抹茶の方が合うな~」と思われるくらいの高い完成度だと思いました。

 

今年は今までの序列(**個人的にランキングがある)を覆すような

抹茶味製品をたくさん楽しんでいますが、今年最大の驚きはこれです↓

 

 

もともとのサクチョコを知らなかったこともあり、

これは驚きでした。

どんどんサクサクいけてしまいます!

(なお、ふつうのサクチョコはまだ食べたことがありません)

 

このほかにも 抹茶+さくら というジャンルも存在していて

ピコラやKitkatもありますが、

Pockyはさくら味(桜もちの風味)のプレッツェルと抹茶味チョコの絡みが絶妙でした。

定番の抹茶味ももちろんお勧めの一品です。

 

LOOKは毎年変わっているのですが、

昨年まではホワイトラバーズ(これも好き)のような三種類の食べ比べスタイルでした。

昨年の抹茶x2+ほうじ茶はほうじ茶が強すぎるというマイナスがありました。

今年は抹茶チョコの中にクリームが入っているパターンで大幅変更でした。

美味しいのですが、、一個が高く感じられて(せこ) お手軽感が薄く、

来年は三種類すべて抹茶の食べ比べにしてほしいです。

(それか元祖LOOKのような形にして12粒にするか・・) (あくまで個人の願望です)

 

そろそろ抹茶の季節も過ぎ去ろうとしています。

いくつかは定番化を期待しつつ、今度は夏のアイス登場に期待しています

(まだ部活動は続く?!)

 

はるのゆき

天気予報が一週間も前から3/16-17は雪が降る、

と伝えていました。

よく天気予報は、ずれていくので(失礼!)

また変わるかなと思っていたらずっと変わりなく、

いよいよ 3/16 になり夕方から予報通り降り始めました。

 

3/17、朝になってみると思いのほか大量の降雪と

強い風にあおられて吹き溜まりも出来上がっていました。

そういえば、予報では 日中がピーク と言っていたような気が・・

ここも予報通りで昼頃には真っ白で見通しが利かない様子となり、

夕方には雪がやみました。

 

(夕方から除雪車が入って、雪はやんでウソみたいに穏やかな夜です)

 

毎年、春になるころには大量の雪が降る、という「ならわし」は

今年も確実に実行されました。

 

(まったく雪のないところから一日であっという間にこんなに積もりましたが・・)

 

翌日は朝から天気が良く、暖かい日になりました。

そうして午後になると、これまたいつもの年と同じように

雪は溶けていきました。

 

 

本当にあっけないくらいの、あれは何だったのか、というような

釧路のいつもの はるのゆき です。

 

 

30years (11) これでさいご

(つづき 引き続きサンパウロです)

 

サンパウロでのメインイベントは

親類たちがみんなで集まることでした。

30年前はおおきな農場に集まって

シュラスコやサッカーしたりなど楽しんだ思い出がありました。

 

30年たって農場は高速道路建設のため売却されたとのことで

残念ながらもうありませんでした。

今回は高校時代からの文通相手だった彼の自宅マンションの一階に

広いパーティールームのようなところがあり、そこが会場になりました。

 

(ブラジルではとてもポピュラーなサッカーゲーム。

 全く歯が立ちませんでした。。

 人が集まるとカードゲームやボードゲームの類も盛んなようです)

 

祖父の兄姉たち5人がブラジルに渡り、

そこからたくさんの子孫、家族が増えましたが、

いまでも何かあると集まる、ということに感動します。

ブラジルはことのほかファミリーというものを大切にするお国柄です。

 

(80人ほどの親戚たちが集まりました。もうそれだけで恐れ多いのですが

 参加できなかった人たちも20人くらいいたそうで・・)

 

自分たちのルーツの国から親類が来た、ということで
ただそれだけで、私はブラジルに行きたくて来ただけなのに

これだけ歓迎されるのは申し訳ないくらいの気持ちになります。。。

 

(日本から持ち込んだ、古い日本の写真や30年前のブラジル旅行の写真などを見せました。

 若かった時代の写真を見て大人たちはすごく盛り上がっていました!)

 

地球の裏側の異国の地で、大変な苦労をして

長い時間の中でしっかりと根を下ろして

家族の絆をかたく保ちながら生活している

30年前にその姿を目の当たりにして感動して

再び訪れて、また感動を新たにしました。

日本では忘れられて久しい生活文化をブラジルで再発見する、

という経験はとても得難い貴重なものでした。

 

(この項、終わり)

 

30 years (10)

(つづき)

 

ブラジル内陸部のイパメリからブラジル一の大都会、

サンパウロに戻ってきました。

親類たちはかつてイパメリで開拓に従事して

学業のためにその子どもたちが少しずつサンパウロに移り、

仕事や生活の場を求めて親世代たちもサンパウロにやがて移り住み、

いまでは大半がサンパウロもしくはその近郊に住んでいます。

 

(サンパウロの家族との食事。以前と変わっていない風景でした。)

 

サンパウロでは30年前にもお世話になった家に

今回も泊めてもらうことができました。

家の持ち主であったおじさん・おばさんは他界されましたが、

家自体はほとんど変わってなくて

懐かしさとともに、ブラジルの我が家のようで、

リラックスできる雰囲気でした。

 

大都会ではありますが、親類の家は日系人が多く住む地区にあり

近隣は日本人街で、日本的なものを売っている店や

日本関連の組織の建物なども集まっています。

スーパーも日本のものを扱っていたりします。

 

(ダイソーもありますが、100円ではありませんでした)

 

サンパウロは大都市ですが、リオデジャネイロのキリスト像のような

目立った観光的なものはありません。

ただ博物館などはいろいろな種類のものがあります。

前回一番インパクトがあったのはブータンタンと呼ばれる場所にあった

毒グモやヘビばかりの博物館でした。

今回はサッカー博物館をメインに見に行きました。

歴史やプレーゲーム、ショップもあって楽しいのですが、

やはりレジェンドプレーヤー目白押しで

一緒に行った人と話し始めたら時間はいくらあっても足りません…

 

(パカエンブースタジアム。サンパウロ市が管理しています。

 コリンチャンスとパルメイラスという有名チームの本拠地でこの中に博物館があります。)

 

ちなみに前回来た時はムルンビースタジアムというところでサッカー観戦をしました。

試合観戦は非常に危険であり、泥棒や暴動に気をつける必要があり

親類二人と一緒に見に行きました。

ホームチームが先制されて不穏な空気が流れ、

その後のゴールラッシュで今度は喜びで大騒ぎとなり

どっちにしても危険なものだと思いました。

(楽しかったけど)

 

(つづく)

 

 

 

 

30years (9)

(つづき)

 

今回イパメリでお世話になったのは

私より一回り以上年下の女性の家です。

母親と娘さんとで暮らしており、

彼女はジムを経営しています。

 

(インストも10名以上! ここなら続けれそうかな?)

 

内陸部にあるブラジルの首都ブラジリアで育ちましたが

おじが住んでいるイパメリが好きで

サンパウロでビジネスを経験した後、イパメリに移住してきました。

そこでたまたま一人でトレーニングをしていたところ

数人の人から「僕らにも教えてくれよ」と言われて

教えている間にどんどん人が増えて、大きなジムに成長したそうです。

約3万人の小さな町でジムの会員数は600人以上(!)とのことで

地元に根付いている、にもほどがあります。

 

現在もビーチテニスのプレーヤーでもあり

敷地内にビーチテニスのコートも作って愛好者を増やしていました。

 

(人生初のビーチテニスはけっこうおもしろかった)

 

この街を彼女とともに散歩していたときに

たくさんの人に声をかけたり、かけられたりしていました。

この田舎ならではのコミュニケーションが

本当に心地いいことに思えました。

 

ブラジルでは貧富の差は非常に激しく、

教育機会に恵まれない子どもたちもたくさんいます。

地元でこういう子どもたちに職業教育を施しているNPO団体と関わって、

作成された焼き物を販売する活動にも協力していました。

 

 

すごく感心すると同時に、日本でも何か自分たちにできることはないか

考えるようになりました。

 

イパメリは本当にいいところで、名残惜しかったのですが、

次は南米一の大都会、サンパウロへ向かいます。

 

(つづく )

 

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