おひさまひろば
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二度目の42.195km (2)

(つづき)

 

ほぼ一番後ろの方からスタートしました。

走り出して数kmのところで雨の心配はなく、

かえって暑くなってきたので

ビニールのカッパを脱いで進みます。

なるべく最初から足を使わないように、

省エネを心がけて進みます。

 

別海、というと国内で最も面積の広い自治体のうちの一つで

乳牛の頭数は断トツ一位です。

そこからイメージされるのは、直線、平坦、ほぼ牧場、という情景です。

ところが、実際に走ってみると、ほぼ牧場、はその通りでしたが、

意外にコースはうねっており、気になっていた風の影響も少なく感じました。

 

しかしながら、哀しいかな、練習不足はいかんともしがたく、

20km過ぎから怪しくなりはじめ、

やはり30kmあたりで足が止まってしまいました。

そうなってしまうとどうにも動かせず、時間が過ぎてしまいます。。

その横を緩やかながらしっかり走られているランナーが幾人も通り過ぎ、

なぜみんな「足が残っている」のか、どんな練習をしたらそうなるのか、

疲れの中、疑問だらけでした。

 

(町内を流れる西別川。台地を削りながら蛇行する魅力的な景観の川です)

 

残り5kmを切って市街地が近づいてきたとき、

少し元気が出てきて、なんとか時間内に完走を果たすことができました。

 

(発砲に入った鮭と完走タオルは無事ゲットしました!!)

 

とりあえず鮭はゲットして、

自己ベスト(つまりは前回よりもマシ、という程度)は出たものの

またまた課題を残したレースでした。

あくまで「体調維持が目的」のランニングで、

自分にできること、課題を考えながらやっていく、のが

ま、楽しいかな、と筋肉痛がしばらく続く中、

帰りのバスの中で思いめぐらしていました。

(あわよくばタイムも狙いつつ)

(とか言ってるからタイムは伸びない)

 

(この項、おわり)

**次は足が止まらずに完走したい・・

二度目の42.195km (1)

時間をさかのぼり、10月初め、

二度目のフルマラソンになる「別海マラソン」に出てきました。

コロナ禍の前の年、網走で初めてのフルマラソンに出場し、

30km過ぎから足が動かなくなり

完走はしたものの、もう少し何とかならなかったかな、、

という想いが残りました。

 

とはいえ、さすがにキツいレースだったので

しばらくはいいかな、と思っていたらコロナが始まり、

全国的に大会自体が停止されました。

今年になってマラソン大会が復活してきていたので

ちょっと迷いましたが、エントリーしました。

 

練習、と言っても特別なことができるわけではなく、

なかなか忙しくてまとまって長い距離を踏むことができるわけでもなく、

しかも直前になって初めて臀部痛に悩まされる、という経験をし、

一週間ほぼ走らないままに本番の日を迎えました。

 

別海への往復はバスを利用しました。

レース終了後に運転するのは困難かつ危険と判断したためです。

(結局、この選択は間違っていなかった)

早朝、釧路駅前を出発し、なんちゃってなカーボローディングをしつつ

うとうととしている間に別海に到着しました。

 

(会場の運動公園とマラソンゲート)


バスを降りると天候は小雨交じりで強い風が吹き、

直線の多いコースでは結構きついかもしれない、

と思われました。

受付のために体育館に向かいます。

釧路での大会しかほぼ走らないのでアウェーはなんとなくドキドキします。

受付を済ませてしばらく時間があるので体育館内の様子を

見ていました。

 

 

いかにも走れそうな人たちばかりです(!)

(受験会場で他の受験生を見るような気分です)

いつも湿原マラソンでは自宅から自転車でスタート直前に到着するので

こういう雰囲気はあまり味わえるものではありません。

 

さて、今回の目標は 1) 完走 と 2) 自己記録の(大幅な)更新 でした。

1) については、このマラソン大会は「完走者全員に鮭一匹」という賞品があり

完走は「マスト」です。

(**今回は800名ほどの参加者があり、完走者全員、となっていますが、

 以前は1000人以上の参加者のため上位1000人、だったそうです。

 それだと微妙過ぎる・・)

2) については前回、30km手前で足が止まってしまいかなり失速したので

止まらなければタイムは伸びるはず、と単純に考えていました。

 

・・っと、そろそろ時間になったので

肌寒い外に出ることとしました。

 

(スタート前。若干ウシが嫌がっている・・)

(寒いのと小雨のためとりあえずビニールをかぶってスタートします)

近藤重蔵ゆかりの地

先月、実家のあった和寒町塩狩を訪れたとき、

実家の川のそばにあったはずの

「近藤重蔵ゆかりの地」の碑が移転していたことに

気付きました。

 

近藤重蔵、というのは幕末の探検家で

北海道の調査のため函館から海岸沿いを北上し

利尻に向かう予定だったものの渡れず、

その後、天塩川を遡り途中死亡した従者を葬って

峠越えをして旭川に至った、とされています。

 

この従者を葬った場所は特定されていないのですが、

この川のわきで日本刀が発見されて、

ここに従者を葬ったのではないか、

ということで実家の敷地内に「近藤重蔵ゆかりの地」碑が

昔は木(当時の旭川市長 坂東幸太郎揮毫)で、その後は石(同和寒町長 芳賀敏夫)で

造られそこにありました。

 

ところが、そこには石碑はなく、

代わりに一本の立て札が立っていただけでした。

 

 

実際に日本刀が出土した場所からわざわざ別の場所に移動したのは

ここが私有地であり、かつ今はだれも住んでおらず、

そして国道のかさ上げで見えにくくなったため、とのことでした。

 

「ゆかりの地」なのに移動してしまうのは

いろいろな意味でちょっと残念ではあるものの、

昔自分が子どものころに遊んだりしていた山や川も

それこそ開拓以前のようなジャングルに戻ろうとしている中

それも仕方のないことかな、と思いました。

 

(車が通っているのが国道40号、川はマタルクシュケネフチ川といい、

 和寒川、士別川へと注いで天塩川へと合流します)

 

月の撮影のつづき

皆既月食が終わった後、

「普通の」月の撮影を試みたところ、、

 

 

まぶしすぎる!!

太陽なのか?と思うほど、夜の暗い空に恐ろしいほど

明るく見えました。

 

光が強すぎたので、スマホ側を調整してみようと、

露出のボタンがあったので上げたり下げたりしてみたら

下げたところで、光が抑えられました。

 

(露出を下げた状態)

 

月の地形は見えにくい状態だったので

翌日の早朝に再チャレンジしてみることにしました。

 

翌朝6:00前に月は西の空にまだ浮かんでいました。

望遠鏡とスマホを調整している間にみるみる月が落ちてきて

結局写真を撮るときに手前の電線に引っかかって(!)しまいました。

 

(電線が映ってしまった・・)

 

望遠鏡では

クレーターや海など月の地形がよくわかりましたが、

写真としてはまだまだ・・です

道具(カメラ)にこだわることなく(!!)スマホで

またの機会に夜空を撮ってみようと思いました。

皆既月食の撮影

昨日は皆既月食がありました。

このブログでも何度か皆既月食については

とり上げています。

 

でも、月を撮影するのは意外と難しい、

というかスマホでしか写真を撮らない自分としては

限界というものもあり・・

(限界と言うほどいろいろ試したり、探求しているわけではないのだが)

 

子どもたちからの連絡で慌ててスマホを取り出して

写真を撮ってみましたが、家の近くは夜10時ころまでは

駐車場の明かりが明るすぎて、背景が明るくなります。

 

 

そして、どうしても、小さい。

目で見ている月と比べて物足りない感がある。。。

と、そこで、家にあった望遠鏡を接続してみることにしました。

 

(割といい。 けど皆既月食がすでに終わりつつある)

 

これだけ大きくて明るい天体なのですが、

いざ写真に収めようとすると、慣れていないせいなのか悪戦苦闘、でした。

(しかも外は寒い)

 

 

そして、皆既月食は刻々と終了していくのでした。。。

 

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