3回目のフルマラソン (1)
話が前後してしまうのですが、
先週末、別海パイロットマラソンに参加してきました。
フルマラソンは3回目になります。
初めてのフルは網走で、30kmでぱったり足が止まる、
というよく言われている経験をして呆然としているところに
5時間のペースランナーが来られて「まだ間に合うぞ!」と喝を入れられて
彼らの前を押されるようにして走って、
なんとか最後のやたら大きいひまわり畑を半周してゴールしました。
(最近でもひまわり畑を見ると苦しくなるのはPTSDだと思っている)
2回目は二年前の別海で、涼しくてコンディションは良好だったものの
20kmあたりから失速してそこからの記憶は曖昧・・
それでも10分くらいタイムを縮めて自己ベストではありました。
今回は自己ベストの大幅な更新を目指して100日くらい前から準備する、
という大掛かりな計画(!)を立てて実行してみました。
(計画というより実験に近い)
昨年と今年のハーフマラソンはマラソンの目標タイムの半分を切っていたので
無謀な計画ではない、と考えていました。
100日はハーフマラソンの後からで ジョグ、ビルドアップ、ゆっくり長い距離という
よく書籍や動画などで言われているものを組み合わせてみました。
途中で7月末の湿原マラソン30kmがあり、休診出張の一週間は練習を落とす、というように
予定表は埋まっていきました。
実際やり始めてみると、はじめのうち、あんまり負荷がかかってないような感じがして
少しずつそれぞれのメニューのペースを上げるようになってきました。
釧路と言えども夏はそこそこ暑くなりましたが、コンディションはそう悪くない状況で
湿原マラソンを迎えました。
ところが、練習はほぼ計画通りにここまで来ていたものの、結果は目標ギリギリで
それより最終盤に足が残っていない、という事実に愕然としました。
かと言って、長距離の練習といっても 42.195kmを日常で走るのは現実的ではありません。
本当に足がもつのだろうか、、という不安を抱えながらも
30kmくらいの練習を数回取り入れて本番を迎えることになりました。
(つづく)
東洋のマチュピチュ (2)
(つづき)
ところで、「東洋のマチュピチュ」という呼び名は
観光客がつけたものではなく、
閉山後、産業遺産として観光地化するにあたり、
JTBの人がひねり出した(注: ガイドさんによる)ものだそうです。
本当のマチュピチュに行ったことはありませんし、
バックグラウンドが違うので比較対象にもなりませんが、
とてつもない山の中に突如文明の跡が現れる、というのは
共通しているかもしれません。
(こうやって下から見ると巨大遺跡のようにも見えます ^ ^ )
北海道の石炭などの鉱山は明治期の近代化と開拓時代がシンクロする中
技術的にも発展を遂げていて、特に夕張などの空知地方の山の中に
突如として巨大な廃墟が今も残っています。
急激に栄えて、閉山とともに何もなかったかのように人がいなくなる、
そこに何とも言えない無常(常にそこにある、というわけではない)感が
あふれてきます。
(かつて栄えていたころの風景。真ん中あたりが貯鉱庫。
こんなものがあったとは信じがたい)
別子銅山は北海道の炭鉱よりは長い歴史があります。
江戸時代に発見、開発され、住友が300年以上、閉山するまで一貫して操業していました。
政治の変化、戦争、近代化や公害問題などと対処してきた歴史の中で
これはすごいことのようです。
中でも明治期に活躍し、後に住友の社長を務めることになる
広瀬さんという方のお屋敷がふもとの新居浜にありました。
(非常に大きく、豪邸と呼んでいいと思うのですが、
きらびやかさよりも武家屋敷のような佇まいです)
家庭に恵まれず、11歳で鉱山労働者となって
自らの才覚で駆け上がっていく物語は
(多少の誇張があったとしても)時代背景と相まって
とても興味深いものでした。
ゆっくり見たいと思っても 35℃だと外は厳しい・・
銅山は予想以上に学びがありました。
東洋のマチュピチュ (1)
少しさかのぼりますが、学会が四国で開催されたため、
愛媛県に行ってみました。
愛媛県、と言って思い出すのは「みかん」と「道後温泉」ですが、(予備知識が少なすぎる)
地図を見ていると面白そうなところがたくさんありました。
その中で、限られた時間で行ってみたのは「別子(べっし)銅山」という
閉山した銅鉱山でした。(日本三大銅山のひとつです)
現在はマイントピアとして整備された観光地になっているのですが、
観光のうたい文句は「東洋のマチュピチュ」でした。
一体どういうことなのでしょう・・
松山市から高速道路でしばらく走ると
新居浜という町に着きます。
新居浜というと、箱ティッシュのエリエールを思い出すのですが、
ここから山の中に入っていったところに銅山があるというのは
ピンときませんでした。
くねくねとした川沿いを山の中に入っていくこと10数分で
マイントピアという大きな道の駅が出現しました。
ここからさらに険しい山道を行ったところに銅山の跡があるらしいのですが、
四国の険しい道は「水曜どうでしょう」でさんざん見ていたので
そこまで運転に自信がない私としては定期観光バスに乗って行くことにしました。
(これが正解です。要予約)
マイントピアをガイドさんと十数名の観光客の方々と一緒に出発します。
少し行ったところで舗装道路とおさらばして、非舗装路の林道に入ります。
急斜面の山また山が続く難路を先導の車のあとからマイクロバスが続いていきます。
対向車があった場合はすれ違いも困難なため先導の車が必要なのだとか。
つくづくバスにしてよかったと思いました。
それにしても何もない険しい道です。
こんなところを人力で上がっていって、その先に栄えた鉱山があるとは
信じられませんでした。
(この森林は住友林業の持ち物で、住居跡を見せるために切られたのではなく、
万博の住友館の内装に使用するため伐採されて、結果として昔の住居跡が出現したとのことでした)
と、そこに一面木が切られた跡が出現しました。
ガイドさんによるとこの辺りに鉱山労働者の家族が住む家が密集していたのだそうです。
本当に何もないところで生活物資はどうしていたのか、疑問は深まるばかりでした。
(到着した東平地区からふもとの新居浜、さらに瀬戸内海が見えます)
ようやく、目的地の東平(とうなる、と読みます)に到着しました。
ここは一時期採掘の本部が置かれ、鉄道や索道(リフト)の中継地であり、
遺跡のメインである貯鉱庫跡があります。
巨大な貯鉱庫は鉄道から銅鉱石を降ろし貯めておき、そこから選んだ鉱石がリフトで
ふもとに降ろされる、という仕組みです。
このリフトはなんと動力不要で鉱石の重さだけでふもとに降ろされたそうです。
そして反対に生活物資をふもとから山の上まで運んだとのことでした。
ある意味、エコな運搬方法ではあります。
(リフトの基地だったところ。重さに耐えなければならないので
強大な力に対抗できるだけの頑丈さが必要です)
それにしても、この一連の構造物が明治から大正にかけてつくられた、
という事実に技術の凄みを感じてしまいます。
(つづく)
さかなクンのギョ苦楽展
今日、前から行ってみたかった「さかなクンのギョ苦楽展」に
行ってきました!
さかなクンだから混んでないかな?と気になりましたが、
平日の午後だったおかげか、駐車場に停めることができました。
さかなクンはテレビでしか見たことはないので、
印象として、魚に詳しすぎる、それを面白く伝えることがうまい、
そしてテンションがいつも高い(わざとそうしているかもしれない)
という感じで思っていたのですが、職業に「画家」と書かれていて
驚きました。
会場内に入ってみると、彼がアーティストであることがすぐわかりました。
キャンバスに描かれていた魚たちは非常に生き生きとしていて
油絵かな、と最初思っていたらマーカーのようなものだったり、
クレヨン、墨などさまざまな表現が用いられていました。
(さかなしりとり。真ん中のさかなクンにたどり着くまで魚の名前のしりとりが続く作品です。
キャンバスの縁にもたいてい絵が描かれています。それも楽しい!)
さらには魚のやきもの(注: 食べ物ではなく窯で焼いた方です)であったり、
皿に絵付けをして焼いたり、リアルたこつぼ(タコの口が上になった壺)まで
ジャンルにこだわらず、さかなクンワールドの奔放さに
驚きつつ、楽しめました。
(さかなクンの「皮膚の一部」とされているハコフグの帽子。
内部を見れるのは貴重かも)
さかなクンは、興味関心に偏りがあるため、理解してくれない人から
こころない言葉をかけられたりしていたようです。
授業中いつも魚の絵ばかり描いていて学校に呼び出された母親は
「魚が好きで、絵を描くことが大好きなんです。だからそれでいいんです」
と答えたといいます。(自分が学校の先生だったら言葉に詰まりそうです。)
イジメについても、狭い世界しか見ていないから、、広い海と広い空をみたらいい
というメッセージつきの絵があり、その通りだなぁ、いい得てる! と思いました。
さかなクンはアーティストであり、エンターテイナーであり、学者であり、
いろいろな面があることが分かりましたが、これを一言で言うと
「さかなクン」なんだと理解しました。
釧路芸術館で 10/13まで。
図書館
先日、雨の降る中釧路市内をジョギング中に
大きな工事の音がしてそちらに目をやってみると、、
(解体の予算もやっとついたのかな・・)
旧釧路市立図書館が壊されているところでした。
私たちが釧路に移住してきてすぐに図書館に来た覚えがあります。
前に住んでいた稚内にはとても居心地がいい図書館があり、
小さかった子どもたちとよく行ったものでした。
釧路の図書館は建物が古く、耐震工事の必要があったものの改修できず
壊されることが決まりました。(地震が多い土地であり致し方ない)
しかしながら新築もされず、北海道銀行のビルにテナントとして移転しました。
(なぜなのかはわからない、、、稚内のような建物にすることだって可能だったはず)
移転後もしばらく放置されたままで
それこそ地震発生時に倒壊でもしたら大変、と
思っていましたが、ようやく解体されていました。
いまは近くの大学図書館がお気に入りなので
なかなか市中心部の図書館には行ってません。。。
この場所の方が来やすかったなぁ。。
この日夕方は雨が降り出したところでしたが、
更に暴風雨になるとの予報でした。
釧路川の岸壁には多数の漁船が嵐を避けるために停泊していました。
(MOOの前の岸壁まで多数の船が2-3列になって停泊していました)
MOOはフィッシャーマンズワーフ(fisherman's whalf)と呼ばれ、
日本語では直訳で漁師の桟橋となります。
この岸壁はかつて漁業がいまよりずっと盛んだったころ船が密集していたそうです。
最近では、こんなに船はいないのですが、
これだけ船がいると 漁師の桟橋、というイメージが少しわいてきます。
ずいぶん遠くから来ている船も見受けられ、
無事に帰ることができるよう願いました。










