おひさまひろば
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休日医療が変わります

だいぶ時間が空いてしまいましたが、、、

はじめから仕事上の話になってしまいます・・(すいません💦)

 

 

もう何年も前から課題だった、休日の診療体制が来月から変わります。

7/23(火)に市民文化会館で開催されたフォーラムで

市民向けに説明がありました。

 

主な変更点はこのよくまとまったスライドの通りです。

 

 

すでに亡くなられたり、引退された先生方が受け継いできた体制を変更するのは

とくにベテランの先生方には忸怩たる思いがあったはずですが、

これからも持続可能な医療体制を地域で守っていくにはこうするしかない、

という判断であったと聞いています。

 

地域が人口減少していく中で、医療だけじゃなく、いろいろなことが不便になる、

のかもしれませんが、知恵を使っていくことが求められています。

お金があってぜいたくな(バブリーな)時代が本当に良かったかどうかは

自分たちの生活や心が決めること。

今回の変更が実はよりよい方向に向かうきっかけになったかどうかは

自分たちの「これから」次第なのだと考えています。

 

北秋田を行く (おまけ)

秋田、特に秋田北部はハチ公のふるさとでもあり、

「秋田犬」グッズが多数ありました。

当院にもぬいぐるみを買って帰ったのですが、

旅先でも散歩中の秋田犬によく遭遇しました。

 

久保田城の散策中にかわいいのがいたので

秋田犬と思って妻が声をかけたところ、

 

 

柴犬です、、、と言われてしまいました。

(私には区別がつかない)

 

お土産屋さんにはいろいろ寄りましたが、

私にとって一番インパクトがあったのはこれです。

 

(HI-C 、、懐かしすぎます! なんで売ってるんだろう?)

 

ところで、秋田に来た目的は

昨年の大水害で被害に遭った小児科クリニックを

訪問するためでした。

開業して1年ほどたったころに腰くらいまでつかるような浸水があり、

大変な損害でしたが、一か月ほどで復旧させたとのことでした。

明るく診療する姿を見ることができて感無量でした。

 

(水の侵入を防ぐシャッターのようなもの。防災対策は他人事ではありません)

 

見事に再生したクリニックを見て

逆に勇気づけられて、今回も楽しかった秋田を後にしました。

 

(この項 おわり)

 

北秋田を行く (番外編)

北秋田をめぐって秋田市に入って

前回の旅行では秋田市内は観光としては回っていなかったので

秋田市内を少しめぐることにしました。

(すでに北秋田ではないので「番外編」という扱いです)

 

まず訪れたのは県立博物館です。

本当は秋田大学の鉱業博物館に行ってみたかったのですが、

そこが休みだったこともあり行先を変更しました。

秋田市の北部、小泉潟という小さな湖二つを擁する大きな公園の中にあります。

広いエントランスと自然や歴史の興味深い展示があり、体験コーナーもありつつ、

これが「無料」であることが驚きでした。

(釧路でもせめて年パスが出来てほしい)

いくら時間があっても足りないことを察知したので(^ ^ 外に出ると、

外の公園はかつて豪農が所有していたという格式が受け継がれている

日本庭園があり、いつ造られたかわかりませんでしたが、

ほぼ完全にバリアフリーで、先人のポリシーが感じられました。

 

(後で調べると 1979年に開園したそうです)

 

続いて向かったのは秋田城跡です。

秋田市の中心部にあるのが秋田城跡だと思ってカーナビにセットしてみると

とても意外な場所に案内されました。

小さな駐車場に車を停めて登っていくと秋田城跡資料館があり

そこで初めて秋田市内には奈良~平安時代に存在した「秋田城」と

江戸時代、佐竹氏の居城であった「久保田城」の二つがあることが分かりました。

(またまた不勉強であったことがばれてしまう・・)

 

秋田城はその昔、関西の朝廷が北からの脅威に備えるために作られた

柵のようなもので「お城」というイメージからほど遠く、

むしろ北海道の「チャシ」のような、砦のイメージでした。

(古代水洗トイレの跡は面白いとおもったが、知識がないと楽しめるところではない)

 

今度は秋田市中心部にある、久保田城に向かいました。

(今度はとてもお城っぽい)

市内中心部にあり、秋田県の真ん中であることがよくわかる立地です。

分かりやすい天守閣はもともと無かったらしく(諸説ある)、

堀なども埋められており、お城らしさはありつつも、

広くて気持ちのいい公園、という趣です。

 

(久保田城から見下ろす秋田市内。秋はすごくきれいなんだろうなぁ)

 

今回も駆け足で回ってきましたが、それでも時間は足りませんでした。

鉱業博物館(以前行った筑波の博物館並みに面白いと言われている)は

どうしても行ってみたいので、また行くことになりそうです。

 

 

(あとすこし つづく)

 

 

 

 

北秋田を行く (4)

(つづき)

 

秋田内陸部と言えば、気になる存在は「マタギ」です。

なんとなく、熊打ちの猟師、というイメージでした。

たとえば、、

(マタギの里資料館の前にある木彫り像)

 

こんな感じで、山中にクマを追う、という鋭い目をした孤高の猟師と

勝手に思っていました。

(ゴールデンカムイ(西垣ニシパ)の影響か?)

 

ところが、縦貫線の資料館にあった写真はこのようなもので、

 

(おじさんやお兄さんが数人でにこやかにしている、、想像と違う!)

 

数人のマタギ猟師たちが役割分担をして獲物を追い詰め、

仕留めるというもののようでした。

 

 

さて、阿仁合からさらに南下し、山深い中に

「根子(ねっこ)」「比立内(ひたちない)」「打当(うっとう)」という

いわゆるマタギ集落があり、打当温泉にマタギ資料館があったので

そこに立ち寄りました。

(**この集落名がアイヌ語っぽい、、調べてみたい気になります)

 

マタギ資料館にはマタギに関する様々な資料が置かれていました。

まず、マタギの猟における役割分担とは、

下から山の上方向に獲物を追いやる(上がり巻、という猟の手法)「勢子(せこ)」、

最終的仕留める銃を持った「ブッパ (or マチバ)」司令塔である「シカリ」などに分かれ

集団で猟をするというもので、「孤高のクマ打ち」みたいなことでは

どうもないようでした。

 

また、集団で移動するため(山の中を一日40km、数日間移動するってどういうこと?!?!)、

言葉や儀式なども独特で、特に言葉は一般社会では使わない「マタギことば」というものがあり、

非常に興味深く思いました。

(アイヌ語そのままのものもありました)

 

獲物も、カモシカ(今は天然記念物のため禁猟)やツキノワグマばかり狙っているのではなく、

ウサギやテン、サルなどの動物から、キノコ狩りや魚釣りなども含まれ

それを独特の方法で獲得するというもので、イメージよりずっと多様性に富んでいました。

特に、冬の川でスコップだけで魚を追い込む「ジャカリ」は

その方法の説明を見てもさっぱりイメージできませんでした。

 

ただ、やはり最大の獲物はツキノワグマであり、

ヒグマを仕留めたアイヌにも似た、特別の儀式があるのも

非常に興味深かったです。

 

(クマの解体にも使われるナガサ)

 

マタギとは何なのか、一言で言うのは難しいものだということは

わかりました。

ただ、マタギは単に「猟師」というよりは、もっと意味の広い、文化のようなもの、

ということだけ感じてマタギの里を後にしました。

 

(もうちょっと、つづく)

 

 

 

 

北秋田を行く (3)

(つづき)

 

前回秋田に行ったとき、角館というところに行きました。

桜が有名なところでしたが、桜はすべて終わっており、

それはちょっと残念ではありました。

ただ、そのときに角館駅に行って、そこに秋田新幹線「こまち」をみたことと

角館駅から「秋田縦貫線」という路線があるということを認識したことが

ひとつ収穫でした。

 

JRではなく民営で、大きな町が一つもない内陸の路線が

どうして出来て、今も維持されているのかは謎で、

どんなところなのかを一度乗って確かめたいと思っていました。

ただ、旅行の行程上、乗車するとレンタカーを乗り捨てなければならないので

今回は乗車は断念して縦貫線と並行して南下することにしました。

 

(JR鷹ノ巣駅と隣接していますが、素っ気ないJRの駅とは真逆の楽しさのある駅です)

 

縦貫線の起点は鷹巣駅です。JRと駅もホームも隣接しています。

やや広くてがらんとした、いかにも過疎地の駅らしさがあるJRとは対照的に

情報や写真、お土産が狭い待合室にひしめいている駅でした。

駅員さんもとても親切で、縦貫線の別称「スマイルレール」は偽りなしでした。

そこで「お土産屋さんは阿仁合駅の方が種類も数も多いですよ」と教えてもらい

そこを目指すことにしました。

 

ここから出発して、縄文館のすぐ近くにある「縄文小ケ田」を通過して

さらに南下するとまもなく山あいに入っていきます。

合川、米内沢と合併前の旧町の中心部はいずれも寂しい佇まいで

鉄道が存続し続けるのは大変なことのように思いました。

 

更に山の中を進んでいくと、目的地の一つ、阿仁合駅に到着しました。

ここは縦貫線のほぼ真ん中で、もともとの旧線名「阿仁合線」の由来でもあります。

駅は比較的大きく、レストランと教えられた通り充実したお土産屋さんもありました。

それもそのはず、縦貫線の本社所在地なのでした。

 

(両側を山に挟まれた細長い土地に大きな車両倉庫もありました)

 

駅の脇に資料館があったのでそこに寄ってみると

阿仁合はかつて日本三大銅山のひとつで

明治に入って外国人技術者や多様な文化の流入も相まって

かなり栄えた町だったようです。

他の炭鉱町と同じように昭和53年に閉山すると急速に過疎化は進んだようです。

 

駅から少し離れたところに、外人技術者のための旧異人館と伝承館があり

行ってみました。

異人館は明治の初めに二棟造られ、一棟は残念ながら焼失していますが

現存するものは有形文化財に指定され保護されています。

ハイカラで洋風、天井も高くて時代を感じさせます。

北海道にも何か所か似たような文化を感じさせるところがありますが、

ここは本当によく保存されていると感じました。

 

(建築当時のガラスやレンガ造りがしっかり残っていました)

 

(つづく)

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