めぐ「今回は2020年の鉄道旅行企画第2戦…、色々あってなんだかんだ元日の次が9月下旬になってしまった話になります。もうあれから早くも5年になってしまい、あの頃すら遠くなってしまった感じですよ。まずは"夢のお告げ"でなんとなく2面2線と通過線の駅ホームを見たくなり、名鉄堀田駅へ行きました。」

 

2020年9月21日(月)午前9時57分 愛知県あま市/木田駅前


(現)アサヒおいしい水・富士山(アサヒ飲料) 110円[軽]
 様々な事情と情勢、思惑が渦巻く2020年。この日も水分を事前持参できず、別々で現地購入。秋晴れとなった青空の下、ついに動き出す…!
めぐ「皆様おはようございます。今日はちょっと出発が遅目って言いますか…、鉄道旅行系は本当にお久しぶりかもしれません。布袋の駅が完成したとかでちょっと回ったのが6月で…、それ以外だと元日ですか?それからずいぶん変わっちゃったみたいで。」


めぐ「ということでマスクはちゃんとしてますし、消毒液も持ってます。ハンドソープが…、ちょっと使い道にも困ったの1つありまして。とりあえず"対策"はしました。では行ってまいります。」



(M)名鉄運賃:木田→堀田 410円
 津島線の準急として乗り込み、名古屋からは急行となって3駅目。木田から27分で堀田に到着し、2面2線と通過線の有する高架駅を散策。今回はここからスタートすることとしていた。


 姫も旅行班に定着して幾年、めぐみのことが好きだけど素直になれないまま。各地へ連れまわされつつ、内心楽しんでいた。そんな中で生じた"空白期間"に何を思う…?
もも「アンタさ…。」

めぐ「ごめんって、…呼べなくて。」
もも「そうじゃないの。まだ…、できてないんでしょ?」
めぐ「一応、おととし?四国とかのは完成したよ。」


 今や旅行班に欠かせない中心柱。高身長でキツそうな印象や口調と共に、年々かわいらしさが増しているらしい。めぐみに救われた過去があったという彼女は、この"空白期間"に…?
なぎ「よっ。」

めぐ「なぎ姉も。」
もも「本当、勝手に堀田なんか中途半端なとこ…。」


 旅行班の参謀となっているのは、鉄道系の話がわかるため。あっさりした雰囲気と思わせつつ、嫉妬深さも時折見せることも…?そしてこの"空白期間"もフラストレーションがたまっていた様子。
さく「勝手にまた京都とか抜け駆けしてない?」

もも「…逆にこっちが聞きたいんだけど。」
めぐ「うちはこの辺でごまかしただけで。」


 これでようやく"旅行班の4人"にすることができたわけで、ディレクション的に4人の体裁を保ちたいもの。一方で交通機関車内等における会話は慎むべきとされ、完全版で景色だけというわけにもいかないのが悩ましい。
めぐ「で…、2人ずつ回そうかなって。」
なぎ「まあ、それぐらいからだよな。」
さく「そうでもしなきゃ、これから回らんでしょ。」
もも「…ってか、アンタらの求めるディレクションって何よ?」


 参考にしたのは、名鉄やJR東海で恒常的に行われる"ブツ4"手法。これは2両編成を2本つないで運行するもので、車中や食事中は2人組を2組という考えとみなすのだ。個人的には2人までなら、ボリュームダウン+マスク着用で対応できると思っている。
めぐ「この応用でブツ6とかも…。」
もも「それはいいけど、5人とかだったら?」
さく「まあ、当分はこの4人で回そうよ。」
なぎ「お前が決めるな。」


 ということで堀田からの原点回帰、0からの再出発だ。
もも「で…、最初どこよ?」
めぐ「あ、そうだった。まず豊田市。」


2.堀田11:30発→知立11:47着 急行/吉良吉田行き 名鉄3663
 1時間居座り、入ってきた急行は3500系のリニューアル車両。この3500系では走行機器類の更新が順次行われており、原則として行先表記がLED式に交換されているのでわかりやすい。これ以上居座るわけにもいかないので乗ることとしよう。
もも「絶対、これ来るまで待つ気だったでしょ。」




 名古屋市内はカーブが多く、そこまでスピードを出しているというわけでもない。JRと比べてその点も不利な条件となる。
もも「…アンタ結局、最寄り駅でしょ。」
めぐ「最寄だもん、名鉄しかない。」


 大高緑地を見つつ、急行は左京山を通過。2003年頃は朝に1本だけ急行が停車し、現在は準急が平日朝に1本…。
もも「そんなもん覚えてないっての。」
めぐ「まあ昔、朝に見たぐらいだもん。」


 前後の次。豊明は検車区を有することもあって、3面6線という堂々たるホーム構成をしている。豊明市の中心部からは外れているようで、立派な橋上駅舎を有しながら無人駅扱いだ。
(つづく)


めぐ「やはり"旅行班"であるからして、いつもの"4人組"という形でこそブログ文書も捗るということにしましょう…。県をまたいだ移動の自粛が叫ばれ、ならばと『原点回帰』と題し近場から回し始めることで"0からの再出発"。そんな当時のお話です。」