不要物件の整理を言われ、仕方なしに進めつつも発掘物に期待していた。すると古い乗り継ぎ行程のメモが見つかり、実際使用した関西空港ルートとセットなことから2007年1月の計画案だろう。そこで今回は引き続き印刷メモを元に、机上で行程を検証していきたい。
2007年1月 未使用の行程を机上検証する!
A8.西大津14:39発→京都14:51着 普通2841M/京都行き
隣接する西大津(現:大津京)からJRの旅を再開しよう。湖西線にしたのは何となく乗りたかったのが理由だろう。新快速で用いられる223系に内心飽きていたのかもしれない。
B8.西大津14:49発→京都14:58着 新快速3473M/姫路行き
とはいえ223系はやはり優秀な車両であり、湖西線にも新快速は運行されている。問題は湖西線内で4両運転となっていたことであり、これは直流電化された敦賀~近江塩津が5両以上に対応しないことを理由とする。加えて当時は新旭も9両以上に対応しなかった。
9.京都15:15発→西九条15:52着 特急はるか39号/関西空港行き
ということで特急にも目的がある。運賃と自由席特急B料金を合わせて、当時は1410円とあった。肝心の目的は"特急専用ルート"であり、当時は新大阪から地上のまま『大阪』に停車するホームもなかったのだ。西九条に停車するのもそれが理由だったのかもしれない。
また当時は6両での運転があったほか安価なB料金であり、9両運転の場合は自由席も多かった。このネタそのものは実際に行っているほか、専用ルートの地下化工事が始まった2017年にも再乗車(西九条は通過した)している。
10.西九条15:54発→天王寺16:08着 普通1549/大阪環状線内回り
西九条からは何がしたかったのか定かになっていない。ひとまず新今宮16:04着と記載があり、そのまま折り返してよかったのかもしれない。また以下の記載に反して、JR難波に向かってもよかったのだろう。
11.天王寺16:12発→大阪16:28着 関空快速4156M/京橋行き
天王寺からは実質単純折り返しで大阪に戻っている。そうなれば新今宮折り返しで余裕を持たそうとも、一切不思議でないのだろう。
また当時の関空快速は合計8両運転が変わらずも、組み合わせは5両編成と3両編成の連結。紀州路快速が5両となる際は関空快速が3両となる。加えて同じ大阪環状線系統の大和路快速と異なり、京橋発着固定で天満,桜ノ宮は通過。また大正,福島は大和路快速も通過していた。
12.大阪16:28発→兵庫17:11着 快速795T/神戸方面
メモを見て、大阪から神戸方向の快速が0分接続と判明。とりあえず成功したとして、新快速と異なり最高120km/h運転で可能なことから221系も使用されていた。またメモには行先が記載されていなかったため、加古川行きか(姫路方面)網干行きかわからなくなっている。
13.兵庫17:15発→和田岬17:18着 普通535M/和田岬行き
ここまで平日ダイヤが前提となっていたのは和田岬を目的地としていたのだろう。何せ通勤専用で1区間完結の支線であり、日中は運行がない。また通勤専用という立場から、休日はほぼ運行されていないのだ。
14.和田岬17:26発→兵庫17:30着 普通536M/兵庫行き
当時は駅視察のシリーズなど考えておらず、車内で座ったまま折り返そうという魂胆であった。教習車を兼任する103系6両編成が長らく使用され、引退した現在は207系がその役目を担っている。それこそ207系量産先行編成が唯一転用できる線区だったのに。
以降はメモ書きがないことから、そのまま流れで帰っていいこととなっている。そのままひねりを加えないならば、神戸から新快速で米原だろう。快速ならば兵庫から、最長で大垣まで乗り換え不要となった。
(おわり)