2021年11月21日(日)午後0時20分 仙台市青葉区・仙台駅

18.仙台12:40発→原ノ町13:59着 普通240M/原ノ町行き クモハ701-1518
 いたのは4両全て701系。ここから原ノ町となればまとまった乗車時間になり、前世代型のオールロングシートとなれば好みが分かれるもの。どうも空気を読むのが苦手らしい。


 仙台を遅れることなく発車。立ち客が座ろうと思えば、全員座れる程度の乗車ぶりを見せた。ここから岩沼までは東北本線と重複しており、名取までは仙台空港線も重複している。


 仙台を出て少し進んでから高架へ上がる。1駅目の長町でまとまった数の乗客が下りてしまった。


 名取で仙台空港線が分岐していった。ここから仙台空港へはJRと異なり、第3セクター方式の『仙台空港鉄道』が運営。このため過去乗車した際も、青春18きっぷの効力が"停止"して別料金となる。


 仙台空港線が現在の形で開業する以前、仙台空港へは館腰からバスに乗り換えて結ばれていた。無人駅のように改札を隔てずホームへ入れることもあって、空港アクセスの駅とはとても思えない。


 岩沼で東北本線から分岐。ここから先は2006年8月以来であり、当時は車窓の景色もあまり覚えていないようなもの。ましてや震災前なので、経路等そのものが当時と一部異なっている。


 重要な幹線でありながら、いきなり単線になってしまった。阿武隈川を渡って、最初の駅は逢隈(おおくま)。この先には自治体として『大熊町』があり、どこか紛らわしい。


 亘理は駅に隣接して公共施設があり、お城のように重厚な外観を持っている。ここからは震災による津波被害が大きく、復旧までに時間を要した。


 浜吉田は2013年に従来位置のまま復旧し、以降は全面的に線路が付け替えられた区間となる。震災前の2006年乗車時も眠気が勝ったようで、景色はほとんど覚えていない。


 元来から特急列車が行き来しており、単線にして線形等は良好だったのだろう。線路が内陸へ移設されたことで、皮肉にも規格の高い高架区間が続くこととなった。時同じくして坂元のように、駅そのものが単線化されたところも。


 当時見た衝撃的な光景は、確か新地での出来事だったか。ここは新しい駅の周囲が土地ごとかさ上げされたようで、駅そのものも地上に有している。


 駒ヶ嶺でようやく元の線路へ戻ってこられた。ここまでの全面付け替え区間では駅間距離も変わっており、2016年の営業再開に合わせて営業キロも修正されたようだ。


 相馬からは比較的被害が少なかったことから、先行して原ノ町まで復旧。701系のみを使用して営業を再開していた。それにしても乗車している701系は、スピード感をよく感じられる。


 仙台から79分で原ノ町に到着。常磐線全線復旧後はここまでが事実上仙台支社の管轄となり、701系が乗り入れるのもここまで。ここからは名実ともに水戸支社の管轄となり、そのまま隣にいたE531系が運用を担う。

(つづく)