8月15日…、終戦記念日。終戦といえば、なんやかんやで大団円を迎えられた東京オリンピック。まずは"大団円を迎えられたこと"を歓迎すべきだろう。
開会式や閉会式の在り方も考えたい。高評価を受けた"幻の案"が簡素化という名目で外され、結果は至るもの。可動式ピクトグラムは高評価だったため、開会式そのものは有意義だったかと。もっともな話、入場行進が"50音順だった事実"で満足してしまっているが。
もちろんこういう状況下で来日し、活躍できた選手たちには敬意を表したい。もし生観戦が可能で手出しできたならば、日本選手以外のプレイを期待した。知られざるマイナー種目も、もっと掘り下げたかったかも。
野球ならば2019年『プレミア12』のように…、…ってか横浜行きたかっただけだろ。
思えばオリンピックに限らず、国際的イベントなど"成功させよう"と。そういう概念に縛られすぎていたのだろう。成功を重ねすぎて、失敗は許されずと。そう、いつかは"失敗しなければいけなかった"。
それが今回ならば…、状況が状況である。成功できる保証は尚更なかったもの。日本が引いた貧乏くじかもしれない。それでも…、誰かがやらなければならなかった。
可能からば開催された全種目全競技を、テレビでノーカット再放送できないだろうか?時間に追われて全部見切れなかった分、1年近くとも時間を費やしてじっくり見てみたい。見たくないのならば、見なくていいのだし。
で、閉会式も落ち着かない。2024年開催地となるパリからの"メッセージ"も、密度はともかく好評だっただけにだ。皮肉なのは、昔ながらの『東京音頭』は高評価だったこと…。
それこそ以前空想した、雨傘運動との絡み合いだ。どれだけ弾圧しようとも、サイレントで物事は動いているのかもしれない。北京で何かと"大爆発"が起こっても、一切スルーの方針なのか?
なお当主は辞退した模様。曰く「かこに、たくさんのくろれきしがある」。相変わらずの畜生め。
あ、そうそう。高評価を受けた"幻の案"って、単独でやり直せない?やり直したところで、もはやオリンピックとは一切関係なくなったんだし。せめてもの供養を兼ねて。
で、その次はパラリンピック。相対的に注目度は高くなく、オリンピックの"腰巾着"ともされてしまっている。おそらく放映権料も、単独ならそれなりに安価だろう。それでいて有観客を目指すとも…。
ならばいっそ袂を分かつとき。パラリンピックは11月まで再延期し、状況を再精査して検討しよう。11月なのは任期上、10月までに衆議院総選挙が行われるため。フラットな状況下で迎えられる。
世界再開発は現在進行形で…。山田くん、関係者全員の全部持っていきなさい!
(おわり)