さあ今回がある意味真髄、BRTの1つ『バス専用道路』です。ここまで与太話など挟んで長々と引っ張ってきたのは、これのためと言いましょう。
かつてこの先も鉄道として続いていた、気仙沼線の"途中駅"柳津。隣は消され方があからさまであり、JR東日本のスタンスがわかるという…。
現在、ここから線路は続いていない。2011年3月の震災と、大津波。気仙沼線は大きな被害を受け、鉄道としての復旧を断念している。
駅構内までは線路がポイントと共に残っており、信号機も赤のままとなっている状態。しかしこれが生かされることは、もうないのかもしれない。
元々は方向別に線路を使用していたため、島式ホームと跨線橋を備えた駅となっている。現在は単純折り返し方式を取っているため、線路1本で間に合ってしまう。
乗り換えは一旦外へ出る形を取っており、跨線橋を上がったところにも簡単な案内が貼り付けられている。ここまで乗ってきた前谷地方向も単線であり、やはりポイントなどが備え残っている。周辺は線路を挟んで農地と住宅地に分かれる。
観光案内所となっているログハウスがあり、ほぼ無人駅と同様の扱いとなっている柳津。実際は簡易委託駅として、観光案内所に端末が備わって発券可能とか。
乗り換えのバスは駅前から発車するため、バス停ポールが設けられている。バス停ポールは時刻表や路線運賃図と一体化したタイプ。名鉄バスでは夜間に光るため、主要なバス停などに多い。隣にある一般路線のバス停ポールと比べて、対比が激しい。
BRTとして、鉄道路線らしいバス路線として。バス運行に合わせて設けられた待合室は、ガラス張りで造りのいいもの。
待合室の中にはバスの走行位置を示す画面装置があり、ある程度目安になっている。ただ難点として、空調装置がないため湿気がこもってしまう。
バスが入ってきた。日野製ハイブリッドノンステップ車両であり、赤をベースにリスのキャラクターが入ったカラーリング。
柳津13:40発→気仙沼15:36着 普通BRT43・気仙沼行き Y537-13508
前谷地13:05発のバスだが、他に誰も乗っていない。これは予想していなかった。
もも「あ、やっぱり前行くの?」
めぐ「景色見たいもん。」
ここからは鉄道として運行されなくなった区間。用済みと判断されたのか保守上の都合からか、線路が撤去されつつある。バスは旧線路と並行するように、国道45号を進んでいく。
陸前横山を通過。線路が撤去されつつある中において、高架橋だけが残っている。BRTの"車両番号"は車体に記載がなく、運転席上部分を運行に支障ないようこっそり調べるしかない。
陸前戸倉で1人乗る。バス専用区間の入口にあるため、停留所も駅と同様に設けられている。専用区間はかつての線路敷を用いており、路線バスを除いて通行止扱いになっている。
単線をそのまま使用しており、トンネルの幅が狭い。正面衝突を防ぐため、前後に待避所が設けられる。
鉄道らしい高架区間もある。位置の高さからいい眺めも期待できそう。これは一般道路を走る通常の路線バスで味わえない、専用区間ならではのもの。
右側は海を眺められる。三陸海岸に沿って進む気仙沼線らしいといえば確かに…。
程なくして専用区間が終わる。出入口には一般車両の進入を禁止すべく、遮断機が設けられている。バスは再び国道45号へ。
線路のあった土盛高架は途切れており、もう使わないことを暗に示しているかのよう。
志津川の"駅"は南三陸ポータルセンター近くにあり、ここでは2人の乗車があった。周囲にいたテレビカメラは何の取材だったのだろう?(※当時。3月に商店街と共々移転。)
震災の津波でほぼ壊滅した南三陸町。新しい橋など、街並みを最初から造り直すという工事規模…。
なぎ「まとまってから言え。」
ベイサイドアリーナの敷地に入ったBRT。どうもここが仮庁舎らしいと思ったものの、実際は付近の別位置に設けられているとのこと。
新たに設けられた停留所で2人降りて1人乗る。奥には清水浜の駅名表示があり、後で調べれば駅はやはり被災していた。
めぐ「…あんまり後で調べてもよくないのかな?」
さく「いや、調べていいでしょ。わかんないんだったらさ。」
めぐ「そうじゃなくって、後調べのを入れるかってどうか。」
国道は所々津波による浸水区間を通っており、案内標識として示される。
そこから、残されたトンネルや線路跡を見る。津波浸水区間とはいえ、何もなく放置されるのはもったいない気がしないでもない。専用区間として整備するところとしないところ、それがよくわからない。
もも「アンタは変な…、アレしないの。」
なぎ「アレって何さ?」
歌津では2人降りて2人乗る。発車して坂を少し上がったところで、再び専用区間へと進んでいくBRT。すぐにトンネルがあるため待避所となり、2灯式の信号が設けられている。青信号で進むのは鉄道も同じ。
長いトンネルを進んでいく。線路が単線だったため、1車線幅しかない専用区間。待避所が必要なのも納得だ。線形そのものは良くも悪くもなかったというべきか。
さく「…本当、長いね。」
トンネルを抜け、交差した先はまだ工事中だった。そのため、バスは再び一般道路を進んでいくこととなる。
(続きは旅行用ブログで!)
涼子「…で、これはいつ出来るの?」
さく「一応6月にまたもーのーすごいとか、これ考えちゃったよすっごーいとか。そういうの決まったし、それまでに仕上げたいって。」
涼子「それならいいんだけどさ…、何で"夜の三冠王"ってなっちゃったのよ?」
さく「…ごめん、もうスペースないからさ。その話はまた今度ってことで。これで終わります、ありがとうございました。」
(おわり)
2017年1月9日(月)午後1時22分 宮城県登米市・柳津駅に到着

かつてこの先も鉄道として続いていた、気仙沼線の"途中駅"柳津。隣は消され方があからさまであり、JR東日本のスタンスがわかるという…。

現在、ここから線路は続いていない。2011年3月の震災と、大津波。気仙沼線は大きな被害を受け、鉄道としての復旧を断念している。
駅構内までは線路がポイントと共に残っており、信号機も赤のままとなっている状態。しかしこれが生かされることは、もうないのかもしれない。

元々は方向別に線路を使用していたため、島式ホームと跨線橋を備えた駅となっている。現在は単純折り返し方式を取っているため、線路1本で間に合ってしまう。

乗り換えは一旦外へ出る形を取っており、跨線橋を上がったところにも簡単な案内が貼り付けられている。ここまで乗ってきた前谷地方向も単線であり、やはりポイントなどが備え残っている。周辺は線路を挟んで農地と住宅地に分かれる。

観光案内所となっているログハウスがあり、ほぼ無人駅と同様の扱いとなっている柳津。実際は簡易委託駅として、観光案内所に端末が備わって発券可能とか。

乗り換えのバスは駅前から発車するため、バス停ポールが設けられている。バス停ポールは時刻表や路線運賃図と一体化したタイプ。名鉄バスでは夜間に光るため、主要なバス停などに多い。隣にある一般路線のバス停ポールと比べて、対比が激しい。

BRTとして、鉄道路線らしいバス路線として。バス運行に合わせて設けられた待合室は、ガラス張りで造りのいいもの。

待合室の中にはバスの走行位置を示す画面装置があり、ある程度目安になっている。ただ難点として、空調装置がないため湿気がこもってしまう。

バスが入ってきた。日野製ハイブリッドノンステップ車両であり、赤をベースにリスのキャラクターが入ったカラーリング。
柳津13:40発→気仙沼15:36着 普通BRT43・気仙沼行き Y537-13508
前谷地13:05発のバスだが、他に誰も乗っていない。これは予想していなかった。
もも「あ、やっぱり前行くの?」
めぐ「景色見たいもん。」

ここからは鉄道として運行されなくなった区間。用済みと判断されたのか保守上の都合からか、線路が撤去されつつある。バスは旧線路と並行するように、国道45号を進んでいく。

陸前横山を通過。線路が撤去されつつある中において、高架橋だけが残っている。BRTの"車両番号"は車体に記載がなく、運転席上部分を運行に支障ないようこっそり調べるしかない。

陸前戸倉で1人乗る。バス専用区間の入口にあるため、停留所も駅と同様に設けられている。専用区間はかつての線路敷を用いており、路線バスを除いて通行止扱いになっている。

単線をそのまま使用しており、トンネルの幅が狭い。正面衝突を防ぐため、前後に待避所が設けられる。

鉄道らしい高架区間もある。位置の高さからいい眺めも期待できそう。これは一般道路を走る通常の路線バスで味わえない、専用区間ならではのもの。

右側は海を眺められる。三陸海岸に沿って進む気仙沼線らしいといえば確かに…。

程なくして専用区間が終わる。出入口には一般車両の進入を禁止すべく、遮断機が設けられている。バスは再び国道45号へ。

線路のあった土盛高架は途切れており、もう使わないことを暗に示しているかのよう。

志津川の"駅"は南三陸ポータルセンター近くにあり、ここでは2人の乗車があった。周囲にいたテレビカメラは何の取材だったのだろう?(※当時。3月に商店街と共々移転。)

震災の津波でほぼ壊滅した南三陸町。新しい橋など、街並みを最初から造り直すという工事規模…。
なぎ「まとまってから言え。」

ベイサイドアリーナの敷地に入ったBRT。どうもここが仮庁舎らしいと思ったものの、実際は付近の別位置に設けられているとのこと。

新たに設けられた停留所で2人降りて1人乗る。奥には清水浜の駅名表示があり、後で調べれば駅はやはり被災していた。
めぐ「…あんまり後で調べてもよくないのかな?」
さく「いや、調べていいでしょ。わかんないんだったらさ。」
めぐ「そうじゃなくって、後調べのを入れるかってどうか。」

国道は所々津波による浸水区間を通っており、案内標識として示される。

そこから、残されたトンネルや線路跡を見る。津波浸水区間とはいえ、何もなく放置されるのはもったいない気がしないでもない。専用区間として整備するところとしないところ、それがよくわからない。
もも「アンタは変な…、アレしないの。」
なぎ「アレって何さ?」

歌津では2人降りて2人乗る。発車して坂を少し上がったところで、再び専用区間へと進んでいくBRT。すぐにトンネルがあるため待避所となり、2灯式の信号が設けられている。青信号で進むのは鉄道も同じ。

長いトンネルを進んでいく。線路が単線だったため、1車線幅しかない専用区間。待避所が必要なのも納得だ。線形そのものは良くも悪くもなかったというべきか。
さく「…本当、長いね。」

トンネルを抜け、交差した先はまだ工事中だった。そのため、バスは再び一般道路を進んでいくこととなる。
(続きは旅行用ブログで!)
涼子「…で、これはいつ出来るの?」
さく「一応6月にまたもーのーすごいとか、これ考えちゃったよすっごーいとか。そういうの決まったし、それまでに仕上げたいって。」
涼子「それならいいんだけどさ…、何で"夜の三冠王"ってなっちゃったのよ?」
さく「…ごめん、もうスペースないからさ。その話はまた今度ってことで。これで終わります、ありがとうございました。」
(おわり)