こんにちは。大学在学時に講義課題向けとして、可児キャンパスの写真を入手していました。今回はホームカミングデイの際に可児キャンパスを見て、自前で補足事項的な写真も収めてきた話です。この度可児から移転するということで、その姿を後世に残すといいましょうか。外部に投稿していいのかと言うことを兼ねて、今回のブログ記事としました。
これまで22年間、都市情報学部が使ってきた建物。2017年にナゴヤドーム前へ移転すると、この建物はどうなるのだろうか?築年数がそこまでは…、と言う程度なので今後どうなるか気になるもの。
可児キャンパスは都市情報学部のみであるため、規模はそれほど大きくない。建物は1号館から4号館、体育館で構成される。1号館は"本部棟"として、事務室や研究室などが入っている。2号館の1~2階は図書館が入っており、今日は休館日で閉ざされていた。
3号館は扉を開けて入ることができ、内部は講義室しか入っていないようなもの。
3階建ての建物には、そこそこな規模の講義室が1室ずつある。正面は旧来から黒板が用いられており、上下にスライド可能なものが2つで合計4面。固定式の机や椅子に木目パーツが使われており、椅子は跳ね上げ式。
小規模な講義室もある。机と椅子は移動可能なもので、プラスチック面が目立つ。黒板の横にはホワイトボードが別で備え置かれており、黒板を好まずホワイトボードを用いた講師もいた。
1階は1号館から4号館まで、外に出る箇所を挟んで全て屋根の下を通り抜けられる。
体育館は4号館に隣接する形となっており、こちらも今日は閉じられて内部を見られない。
かつて入っていたATMはいつしかなくなり、現在は証明写真のコーナーとなっている。扉は自動開閉センサーが壊れ、実質的に手動ドアとなった。
4号館は1階が食堂となっており、この日は営業せず閉じられていた。かつて『ビラベルデ』を名乗り、改装工事を経て『かもめ食堂』に改称。昔から山賊揚げは学食の人気メニュー。
やはり閉じられていた2階の喫茶室。食堂と同じくかつて『ビラベルデ』を名乗り、改装工事を経てこちらは『丘の上の喫茶店』に改称。在学時にこちらを多く利用したのは、ランチに味噌汁が付かず50円安かったため。カレーも1階と同じはずなのに、なぜかおいしく感じられた。
ピロティはそもそも何かと調べれば、フランス語で"2階以上を部屋として、吹き放ちにした1階部分"とのこと。この吹き抜け空間も4号館の特徴となっている。売店はやはり閉まっている。その2階部分は各種サークルが"部室"として利用。
2階の通路から眺めると、まさしく"丘の上のキャンパス"。3号館への扉はこれも閉じられている状態。4号館の2階部分は他に談話室があり、使用中の様子であった。
仕方ないので一旦1階に降り、エレベーターを使わずあえて階段で上がる。3号館は3階建てであり、2号館への通路も同じく2階にありやはり閉鎖。2号館は5階建てで3階がコンピューター演習室、4階と5階はゼミ室となっている。
3階は同規模の講義室でも視聴覚室として扱われ、正面には映像等を流すスクリーンとプロジェクターが設けられている。中方にはプラズマテレビがあり、正面のスクリーン類と同じくパソコンからスライド等を写すのに使われる。講義室の向きも、1階と2階のそれとは異なっている。
3階からも、秋めいた丘陵地らしく周囲を眺めてみよう。同じ3階にある小規模な講義室も視聴覚室として扱われており、挟み込むように準備室がある。
独立して2号館寄りに入りながらも3号館として扱われる、最大規模の講義室が3101教室。前方がフラットなのに対し、後方は階段状に組まれているのが特徴。
前方でも両端は中央に向いた配置となる。最大規模となるこの講義室を使用しながら人数が少ないということで、前方の左寄り2~3列しか使わない講義もあった。
ここも"視聴覚室"と同じく正面に大きく映像等を写し、後方向けにスクリーンとプロジェクターが両側に設けられる。
中庭には、シンボルともいえるモニュメントがそびえ立つ。"M"の文字を象ったそれは、条件が揃うとさらに…。そして、モニュメントの正式名称を知る者は関係者でも決して多くないそうな。
在学時は西可児駅から発着したのがメインだったスクールバス。やはり不便だったのか、全く知らない間に西可児発着便が激減。対して在学時から運行が始まった犬山発着便は激増し、今やそちらがメインと化しつつある。
守られるべきというか、住民にもっと見てもらえるべきというか。この眺め…。
(※ナゴヤドーム前キャンパスにつづく)
まあ諸事情として名前を一応伏せてはいますが、日本唯一の学部としてバラしているようなものです。もし写真掲載が不可能であればコメント欄にてお願いします。ブログのスタンスとして、前後を含めた"旅行ネタ"として先行公開という形を取りました。フォーマットとして、自作キャラクターによる旅物語に仕上げます。
次回はナゴヤドーム前キャンパスを見ていきます。
2016年10月15日(土) 可児キャンパス

これまで22年間、都市情報学部が使ってきた建物。2017年にナゴヤドーム前へ移転すると、この建物はどうなるのだろうか?築年数がそこまでは…、と言う程度なので今後どうなるか気になるもの。

可児キャンパスは都市情報学部のみであるため、規模はそれほど大きくない。建物は1号館から4号館、体育館で構成される。1号館は"本部棟"として、事務室や研究室などが入っている。2号館の1~2階は図書館が入っており、今日は休館日で閉ざされていた。

3号館は扉を開けて入ることができ、内部は講義室しか入っていないようなもの。

3階建ての建物には、そこそこな規模の講義室が1室ずつある。正面は旧来から黒板が用いられており、上下にスライド可能なものが2つで合計4面。固定式の机や椅子に木目パーツが使われており、椅子は跳ね上げ式。

小規模な講義室もある。机と椅子は移動可能なもので、プラスチック面が目立つ。黒板の横にはホワイトボードが別で備え置かれており、黒板を好まずホワイトボードを用いた講師もいた。

1階は1号館から4号館まで、外に出る箇所を挟んで全て屋根の下を通り抜けられる。

体育館は4号館に隣接する形となっており、こちらも今日は閉じられて内部を見られない。

かつて入っていたATMはいつしかなくなり、現在は証明写真のコーナーとなっている。扉は自動開閉センサーが壊れ、実質的に手動ドアとなった。

4号館は1階が食堂となっており、この日は営業せず閉じられていた。かつて『ビラベルデ』を名乗り、改装工事を経て『かもめ食堂』に改称。昔から山賊揚げは学食の人気メニュー。

やはり閉じられていた2階の喫茶室。食堂と同じくかつて『ビラベルデ』を名乗り、改装工事を経てこちらは『丘の上の喫茶店』に改称。在学時にこちらを多く利用したのは、ランチに味噌汁が付かず50円安かったため。カレーも1階と同じはずなのに、なぜかおいしく感じられた。

ピロティはそもそも何かと調べれば、フランス語で"2階以上を部屋として、吹き放ちにした1階部分"とのこと。この吹き抜け空間も4号館の特徴となっている。売店はやはり閉まっている。その2階部分は各種サークルが"部室"として利用。

2階の通路から眺めると、まさしく"丘の上のキャンパス"。3号館への扉はこれも閉じられている状態。4号館の2階部分は他に談話室があり、使用中の様子であった。

仕方ないので一旦1階に降り、エレベーターを使わずあえて階段で上がる。3号館は3階建てであり、2号館への通路も同じく2階にありやはり閉鎖。2号館は5階建てで3階がコンピューター演習室、4階と5階はゼミ室となっている。

3階は同規模の講義室でも視聴覚室として扱われ、正面には映像等を流すスクリーンとプロジェクターが設けられている。中方にはプラズマテレビがあり、正面のスクリーン類と同じくパソコンからスライド等を写すのに使われる。講義室の向きも、1階と2階のそれとは異なっている。

3階からも、秋めいた丘陵地らしく周囲を眺めてみよう。同じ3階にある小規模な講義室も視聴覚室として扱われており、挟み込むように準備室がある。

独立して2号館寄りに入りながらも3号館として扱われる、最大規模の講義室が3101教室。前方がフラットなのに対し、後方は階段状に組まれているのが特徴。

前方でも両端は中央に向いた配置となる。最大規模となるこの講義室を使用しながら人数が少ないということで、前方の左寄り2~3列しか使わない講義もあった。

ここも"視聴覚室"と同じく正面に大きく映像等を写し、後方向けにスクリーンとプロジェクターが両側に設けられる。

中庭には、シンボルともいえるモニュメントがそびえ立つ。"M"の文字を象ったそれは、条件が揃うとさらに…。そして、モニュメントの正式名称を知る者は関係者でも決して多くないそうな。

在学時は西可児駅から発着したのがメインだったスクールバス。やはり不便だったのか、全く知らない間に西可児発着便が激減。対して在学時から運行が始まった犬山発着便は激増し、今やそちらがメインと化しつつある。

守られるべきというか、住民にもっと見てもらえるべきというか。この眺め…。
(※ナゴヤドーム前キャンパスにつづく)

まあ諸事情として名前を一応伏せてはいますが、日本唯一の学部としてバラしているようなものです。もし写真掲載が不可能であればコメント欄にてお願いします。ブログのスタンスとして、前後を含めた"旅行ネタ"として先行公開という形を取りました。フォーマットとして、自作キャラクターによる旅物語に仕上げます。

次回はナゴヤドーム前キャンパスを見ていきます。