2012年3月に旅した過去最長となる連続6日間。ボリュームも過去最大になろうかと思われます。
じゅん(左)「皆さんこんにちは。今回はボリュームが想定段階で過去最大です。ここではその一部をまとめて紹介したいと思っております。」
まりえ(右)「一応念のため言っておきますと、本編での登場人物は架空の4人組となっていますが実際に旅行したのはどうしようもない野郎1人です。まあここではあえてどちらでもいけるように加工しましたけど…。」
じゅん「…それ言っちゃう?」
まりえ「一応…。」
じゅん「では始めましょうか。」
旅日記2012~Remix1~
0.木田9:54発→須ヶ口10:02着 普通962・須ヶ口行き 5753
1.須ヶ口10:08発→名鉄名古屋10:21着 普通1024・吉良吉田行き 3582
いつものように名鉄で旅は始まる。初日はいわば直前企画と言ったもので、出発は遅めに設定した。
今日はまず大曽根へ行こう。
2.名古屋10:39発→大曽根10:51着 普通621M・多治見行き クモハ313-1003
ガイドウェイバスと瀬戸焼そばが最初の目的。どちらも好みのネタである。曽根からガイドウェイバスで高蔵寺、そこから愛知環状と瀬戸線で尾張瀬戸に行き、瀬戸焼そばを味わうのだ。帰りは大曽根まで瀬戸線に乗り、大曽根から名古屋を通り、弥富に向かう。
午前10時54分 愛知県・大曽根駅に到着
大曽根から小幡緑地までが時刻表サイトに載っているガイドウェイバス『ゆとりーとライン』に乗り換える。一般道路も走り、車両もどう見ても路線バスそのものだが、ここでしかないものだ。
3.大曽根11:10発→高蔵寺11:44着 普通→路線バス・高蔵寺行き GB-1000形G-57
大曽根を出てしばらくは『鉄道』として高架を走る。川村から白沢渓谷にかけてはこれまでの平坦な印象から一転し、急な上り坂となる。上りきり、白沢渓谷を出て少しで小幡緑地に着く。
小幡緑地を出たところで『鉄道』はおしまい。ここからは『路線バス』として高蔵寺へと向かう。名古屋市内ながら郊外の起伏ある丘陵地を走る。名古屋市発行の敬老パスが使えるとあって高齢の方の利用が多い。
長いのか短いのかよくわからない微妙な距離を結ぶが、終点手前、東谷橋では完全に田舎路線となっている。程なく春日井市に入り高蔵寺に着く。大曽根から420円と、開業間もない頃に一度通しで乗った当時より200円安くなった。
4.高蔵寺11:54発→瀬戸市12:03着 普通2150H・岡崎行き クモハ313-1503
JRから直通するJRの車両に乗り、9分で到着。すぐ近くに名鉄の新瀬戸駅があり、尾張瀬戸まで名鉄に乗る。
5.新瀬戸12:09発→尾張瀬戸12:14着 準急1133・尾張瀬戸行き 4054
現れたのは4000系。初めて出会ってから実に4年、オリンピック1周してようやく乗ることが出来た。座席は東京でおなじみのものだが不思議とアウェーを感じない。ただ、ドアの上のものは気になるが…。
午後0時14分 愛知県・尾張瀬戸駅に到着
はい、着きました。過去に一度だけ来たことがあるが、そのときはただ折り返しただけであった。7年半ぶりの尾張瀬戸で、今回は55分あるので焼きそばだけなら十分な時間がある。駅の隣に施設『パルティせと』があり、せと焼そばの『八方招き』もここにある。単に駅から近いと言う理由で、とりあえず選んだのだ。
豚の煮汁をベースにしたしょうゆ味だがこれがなかなかいける。麺も蒸した…、どうだろう?カップのやつに近い感触なのかな?断面は四角く結構な細麺だ。結構好き。…これは日本そばと同じ感覚だろうか?ご馳走様でした、おいしかったです。
少し歩けば瀬戸蔵があるようなので、行ってみることにしよう。いい雰囲気…
瀬戸蔵ミュージアムには昔の瀬戸線の駅と電車が復元展示されているので気になっていた。しかし入場料が必要で、時間もないことからパス。
6.尾張瀬戸13:09発→大曽根13:32着 急行1300・栄町行き 6233
7.大曽根13:45発→名古屋13:57着 快速2612M・名古屋行き クモハ211-5016
帰りはいつもの古いやつ。大曽根でJRに乗り換えるが、1本見送る予定で全く問題はなかった。211系である意味はたぶんあると思う。
ワンマン快速の表示はキハ25とは違っている。快速は弥富を通過するので、21分待たなくてはならない。
8.名古屋14:18発→弥富14:37着 普通329G・四日市行き クモハ313-1322
普通もある意味でお目当てだった新車、しかもこのタイプでは最後に入った中の1本が来た。新車とあって非常に快適…、だが今までと変わりない。
9.弥富15:06発→木田15:25着 普通1560・須ヶ口行き 3207
10.木田22:47発→知立23:30着 普通→急行2340・新安城行き 5052
そして一旦帰宅し、メインの荷物を持ち夜に再出発となった。最初の戦いが幕を開ける―
じゅん「まあここまでは…、ね?前フリだもの。」
まりえ「次から本番なのに私たちの出番これで終わり?」
じゅん「終わり…。誰か私たちをスピンアウトしてくれません?」
まりえ「せっかく高校時代っぽくしたのに…。」
じゅん「まあいいわ。続きはまたの機会にということで、ここまでの担当は岡山じゅんと。」
まりえ「白浜まりえでした。」

まりえ(右)「一応念のため言っておきますと、本編での登場人物は架空の4人組となっていますが実際に旅行したのはどうしようもない野郎1人です。まあここではあえてどちらでもいけるように加工しましたけど…。」
じゅん「…それ言っちゃう?」
まりえ「一応…。」
じゅん「では始めましょうか。」
旅日記2012~Remix1~
2012年3月12日(月)午前9時40分 愛知県・あま市初日の朝から雪。言っておくがここは3月の愛知県あま市である。過去最長となる連続6日間の行程。これまでは九州の4日間だったが、公私問わず連続5日以上は未体験だ。
0.木田9:54発→須ヶ口10:02着 普通962・須ヶ口行き 5753
1.須ヶ口10:08発→名鉄名古屋10:21着 普通1024・吉良吉田行き 3582
いつものように名鉄で旅は始まる。初日はいわば直前企画と言ったもので、出発は遅めに設定した。
今日はまず大曽根へ行こう。
2.名古屋10:39発→大曽根10:51着 普通621M・多治見行き クモハ313-1003
ガイドウェイバスと瀬戸焼そばが最初の目的。どちらも好みのネタである。曽根からガイドウェイバスで高蔵寺、そこから愛知環状と瀬戸線で尾張瀬戸に行き、瀬戸焼そばを味わうのだ。帰りは大曽根まで瀬戸線に乗り、大曽根から名古屋を通り、弥富に向かう。
午前10時54分 愛知県・大曽根駅に到着
大曽根から小幡緑地までが時刻表サイトに載っているガイドウェイバス『ゆとりーとライン』に乗り換える。一般道路も走り、車両もどう見ても路線バスそのものだが、ここでしかないものだ。
3.大曽根11:10発→高蔵寺11:44着 普通→路線バス・高蔵寺行き GB-1000形G-57
大曽根を出てしばらくは『鉄道』として高架を走る。川村から白沢渓谷にかけてはこれまでの平坦な印象から一転し、急な上り坂となる。上りきり、白沢渓谷を出て少しで小幡緑地に着く。

長いのか短いのかよくわからない微妙な距離を結ぶが、終点手前、東谷橋では完全に田舎路線となっている。程なく春日井市に入り高蔵寺に着く。大曽根から420円と、開業間もない頃に一度通しで乗った当時より200円安くなった。
4.高蔵寺11:54発→瀬戸市12:03着 普通2150H・岡崎行き クモハ313-1503
JRから直通するJRの車両に乗り、9分で到着。すぐ近くに名鉄の新瀬戸駅があり、尾張瀬戸まで名鉄に乗る。
5.新瀬戸12:09発→尾張瀬戸12:14着 準急1133・尾張瀬戸行き 4054
現れたのは4000系。初めて出会ってから実に4年、オリンピック1周してようやく乗ることが出来た。座席は東京でおなじみのものだが不思議とアウェーを感じない。ただ、ドアの上のものは気になるが…。

午後0時14分 愛知県・尾張瀬戸駅に到着

豚の煮汁をベースにしたしょうゆ味だがこれがなかなかいける。麺も蒸した…、どうだろう?カップのやつに近い感触なのかな?断面は四角く結構な細麺だ。結構好き。…これは日本そばと同じ感覚だろうか?ご馳走様でした、おいしかったです。
少し歩けば瀬戸蔵があるようなので、行ってみることにしよう。いい雰囲気…

6.尾張瀬戸13:09発→大曽根13:32着 急行1300・栄町行き 6233
7.大曽根13:45発→名古屋13:57着 快速2612M・名古屋行き クモハ211-5016
帰りはいつもの古いやつ。大曽根でJRに乗り換えるが、1本見送る予定で全く問題はなかった。211系である意味はたぶんあると思う。

8.名古屋14:18発→弥富14:37着 普通329G・四日市行き クモハ313-1322
普通もある意味でお目当てだった新車、しかもこのタイプでは最後に入った中の1本が来た。新車とあって非常に快適…、だが今までと変わりない。
9.弥富15:06発→木田15:25着 普通1560・須ヶ口行き 3207
10.木田22:47発→知立23:30着 普通→急行2340・新安城行き 5052
そして一旦帰宅し、メインの荷物を持ち夜に再出発となった。最初の戦いが幕を開ける―
じゅん「まあここまでは…、ね?前フリだもの。」
まりえ「次から本番なのに私たちの出番これで終わり?」
じゅん「終わり…。誰か私たちをスピンアウトしてくれません?」
まりえ「せっかく高校時代っぽくしたのに…。」
じゅん「まあいいわ。続きはまたの機会にということで、ここまでの担当は岡山じゅんと。」
まりえ「白浜まりえでした。」