お久しぶりにblogを更新。
表題にもなってる「志村けん」さんが新型コロナウィルスで逝去されました。
朝から情報番組の速報見て、言葉を失ってしまったよ…
俺は1976年生まれ。
物心ついた時には「8時だよ 全員集合」の虜になってました。
当時うちには居間に19インチ、キッチンに14インチ、曾祖母の部屋に14インチと3台テレビがあり、正直チャンネル争いは起こらないような状況。
俺は曽祖母が好きだったので、土曜日の全員集合は曽祖母の部屋でよく一緒に見てた記憶があります。
幼稚園では「早口言葉」のダンス?や「ヒゲダンス」とか真似てアホみたいな子供でした(いい意味としてw)
そっから「ドリフ大爆笑」「バカ殿」で切っても切れないドリフターズ。
何となく親父が志村けんに似てたのもあって、勝手に親近感。
1986年に始まった「加トちゃん ケンちゃん ごきげんテレビ」はもうバイブル的な番組。
当時は土曜20時は「ひょうきん族」の台頭もあり、視聴率戦争だったかも。
ちょいと話を戻すと、「全員集合」派の俺は「ひょうきん族」にはあまり興味がなかった。
ただ、「全員集合」の前半のドリフ全員でのコントが大好きで、それが終わると、短いコントやゲストの歌が始まって、そこからは「全員集合」ファンとしてはダメだけど後半はチャンネルのザッピング。
「ひょうきん族」は20:30過ぎからは「たけちゃんマン」がやっていたので、それは好きだった。
さて、また話が戻るけど、「ごきげんテレビ」が始まった当時、10歳の俺はそりゃもう下品な笑いが加速するカトケンに更に虜になっていく訳で。
俺ら世代がよく言う
「あの頃のテレビは面白かった」
「普通に女性のおっぱい見れた」
とか、そりゃ思春期入ってきたらドキドキもんですわな(笑)
*余談ですが、普通にあの当時はエロ系の番組が多かったし、AV紹介コーナーとかもありました(今思うとすごい時代だw)
ドリフターズの中で、カトちゃん、志村けんは俺の中でも別格でさ。
実家のVHS(死語)見返したら「ドリフ大爆笑」「バカ殿」とか録画してあんじゃねーかと。
今じゃ再生させるビデオデッキかないので確認できないのが心苦しい…
俺はお笑いの世界へはいかなかったけど、ドリフターズがやる音楽コント、特にバンド形態のコントは昔から大好きだったよ。
やっぱ元から楽器が好きだったのもあったのかもしれないね。
俺の頭の中では
「志村けん」→神様
「岡村隆史」→師匠
「内村光良」→先生
みたいな感覚で(笑)
一昔前にメジャーデビューしたら、叶えたいことが、
「ジャッキーチェンに会うこと」
「バカ殿に出たいこと」
と思ってましたが、まー結果的にはしがないミュージシャンの今です、はい(笑)
だから、逝去された、て報道見たときはめちゃくちゃ泣いてしまって…
そっから全員集合のDVDやらYouTubeやらで過去のコント振り返ったりして、また泣いて…
日本の宝を失くしたよね。
俺基本的にお笑い大好きなんだけど、改めて漫才も好きだが、コントが大好きだ、て認識したなー。。
ウッチャンナンチャンの内村さんやナインティーナインの岡村さんには今後も期待してます(笑)
そして、志村けんさんのご冥福をお祈りいたします。
14年前に他界した父親も肺炎で亡くなって、人工呼吸つけないと延命できない状況で、麻酔で意識なくさせて、て状況も報道見るとかぶるんだよね…
苦しかったと思う。
けど、最後は眠ったままだと思うから、そこまで苦しくなかったのかもしれない。
こんなご時世、志村さんの死もそうだけど、新型コロナウィルス問題も、まさかこんな世界になるとは思ってもなかったよ。
自分は自分だけど、人に優しく生きていきたいですね。
R.I.P Ken Shimura