英語教師、ITエンジニアから本物のビジネスの世界に。。

英語教師、ITエンジニアから本物のビジネスの世界に。。

教師からITエンジニアになり、うつ病になりました。只今転売などインターネットビジネスFXに奮闘中‼︎

Amebaでブログを始めよう!

2年近い空白の時間が過ぎていきました。

その間、うつ病のため、特に何も出来ませんでした。

11月15日に父が亡くなりました。身近な人が逝ってしまうのは

初めてです。まだ、信じられません。父は仕事熱心で私に色々な

ことを教えてくれました。

*******

僕には2人の中学生になる男の子がいます。

いわゆる、僕はイクメンです。今まで僕は20代は英語教師に、英字新聞記者、

それでは食べていけないので、IT業界に入りました。

離婚、職場でのパワハラで心が病んでしまいました。

でも僕は2人の子供に何かを残したいのです。

それは、いろいろな形がありますが、彼らをファイナンシャル・フリー

にさせてあげようと思い、トレード1本に絞ることにしました。

 

 

私は4月4日ある福利厚生のビジネス研修会に参加しました。以前この研修会に参加しようとしたが腰痛でキャンセルせざるを得なかったことがあります。こんどこそは研修に絶対参加すると決意して体調管理に気をつけてきました。

4月4日体調も良かったです。しかし、いざ会場へ入ろうとすると少し息苦しかった。
でも根性を出して研修に参加しました。講習は最高でした!!!
講師も魅力的でした。

病気のことも忘れて講師の話にのめりこんでいました。講師は今まで辛さ、悔しさや悲しみを経験し、いろいろと苦労されてきたにも関わらず、腐るのではなく、人生の勝者になった人です。私が今日から始めるビジネスの仕組みがあるおかげで、財力、学力も人脈もない人たちが勝者になることができるのです。この仕組みに出会うことができて自分はラッキーだと感じました。

私は講師の人としての奥深さを彼のジョークや話し方で感じました。
いままで、インターネットで宣伝されている「絶対稼げる」と言った文句にいいように踊らされていた自分が恥ずかしいと思いました。
今回私が取り組む事業は「出来そうな感じがする」ビジネスです。こういう感覚は初めてです。また、この仕組みはグループが成功しないと個人の成功もないようになっています。この事業に参入する一流企業も日毎に増えています。福利厚生に対する需要は年々高まっております。前進しなかれば後退します、後退しなければ前進します。




小学校4年生の頃から英語の勉強を始めた。

独学でした。未だ、塾にも行ったことありません。

小学校、中学校、高校、大学と生徒会長で、勉強、クラブ活動でもみんなの中心になって

頑張ってきました。

いわゆる優等生でした。

僕は知らぬ間に「有頂天」になっていました。

英語に関して言うならば、中学校1年から高校3年まで統一試験では全国1位でした。

大学でも英語を専攻して誰にも負けませんでした。

大学時代が一番もてていた時期だったと思います。その後が最悪^^

はじめて、英語教師から新聞記者の時は英字新聞記事を書いていました。

いつも、よる9時ごろまで残業していました。その時はお金がそれほど、重要だとは

おもいませんでした。

しかし、結婚すると事情は変わりました。

僕の給料は月14万円程度であり、小遣いは3万円であった。

お小遣いはもちろん飲み会代、昼飯代込である。

僕はどうにか自分が自由にできるお金を増やすため、システムエンジアとしての道を

選択した。面接に行くと「君の経歴は数奇だね」と言われた。好きでSEとしての道を

選んだのではない。お金の為である。手取り50万円になったが、あんまり

自分の小遣いは変わらなかった。

あれはバブルがはじけた後である。僕は某大手キャリアに配属され

コンピュータ・システムのトレーナとして勤務するように言われた。

僕は前に勤めていた新聞社で文字を打つくらいである。

それが、海外支社のSE技術者の前でのトレーナです。

準備期間はおよそ、3日間。。。クレームが出なくしないと。

「こんなマニュアル英語で見ても分からないよ!!」

トレーニング初日から僕は必死にごまかした。英語の力でどうにかこの

危機的状況?を切り抜いた。トレーニングがなかったときは、また?急にシンガポールに

一人で出張に出かけた。出張は成功した。もちろん、一夜漬けでした。

質問があってわからない場合、「I beg your pardon?」といい英語が分からないふりを

した。それで、質問内容を紙に書いてもらい、後程教えるといい逃げてきた。質問

殆ど、技術なことでした。英語屋の僕が分かるはずないじゃないですか?!

上述した仕事の結果、英文科卒の僕は:プログラム開発言語

(C言語、Java、PHS、Linux, Unix,など)を

マスタすることができた。

数奇な僕のキャリアと度重なる激務により、僕の心は徐々に蝕まれていった。。




https://ssl.form-mailer.jp/fms/62625a6a276416

会社でのパワーハラスメントはもはや珍しくない。僕もその被害者のひとりである。
急に、息苦しくなり、動悸がする。すぐに死ぬんじゃなかという恐怖感。。。

どんなに、呼吸しようとしてもできない。自殺したいと考えもした。

僕はあのリタリンを服用するようになり、リタリンがなければ会社勤務はおろか
日常生活もまともに送れないようになっていた。

居酒屋、満員電車のような人で一杯の場所へは恐怖心で、落ち着かず冷や汗をかいたりした。

サービス残業は、暗黙の了解で強要され「奴隷契約」で縛られていた。定時が過ぎても誰も帰ろうと
しないのです。

夜は寝れず、「明日のために寝よう、寝よう」として気合をいれ、夜の8時頃から布団に入るが一睡もできないまま
朝を迎えたりした。

英語検定1級の筆記試験には、どうにかパスしたが2次面接では「うつ状態」になり、落ちてしまった。

心臓が悪いと思い会社の帰りに、そのまま病院に直行したが異常はない。約2万人
の人が毎年自殺する昨今、うつ病は日本社会に蔓延している。

それでも、SE時代は手取りで60万円は稼いでいた。

うつ病のくすりで薬漬けの僕はだんだん会社での業務に適応できなくなってしまっていた。
パソコン作業をしながら一瞬寝てしましいびきをかいたこっともある。その後、クビになった。

クビになり、収入源がなくなると、妻は逃げて行き、僕と4歳と5歳の息子は残された。お金を稼ぐために
自分のライフスタイルを犠牲にし、病気はひどくなる一方でした。

部屋の家財道具は全て持って行かれた。お金がないため、ついに
電気、ガス、水道が止められ、まっくらな部屋で過ごしたりした。

起業家でありコピーライタである正木 漱一さんと出会った。彼のパッションに溢れた
企業精神に僕は魅了されインターネットビジネスの世界でもう一度がんばろうとしました。

彼の熱意は僕のライフスタイル変化なしには、うつ病を克服できないことを証明してくれました。
チャンスの神様に後ろ髪はないとおっしゃていた。

アフィリエイトやインターネットビジネスには、何度も泣かされてきました。アフィリエイトや
転売ビジネスの商材に2百万円ほど投資しましたが商材の値段のありには、使えないものばかりでした。

インターネットビジネスは、僕を20年間苦しめてきたうつ病から開放してくれ、生涯安定的
な収入を保証してくれています。一日30分程度パソコンで作業するだけで、時間を気にする
必要がなく、自分のペースで仕事をすることができます。(11.30)


約25年ぶりに生徒と会った。


あのころ、僕が24歳彼らが14歳であった。(=⌒▽⌒=)


中学生だった彼らがもう子供をつれて来ていた。


「そんなに月日は経ったのか」って不思議な感じがした。


介護士、SE、不動産関係などいろいろな資格を取り


みんな立派になっていた。


僕もがんばらないとパー