小学校4年生の頃から英語の勉強を始めた。
独学でした。未だ、塾にも行ったことありません。
小学校、中学校、高校、大学と生徒会長で、勉強、クラブ活動でもみんなの中心になって
頑張ってきました。
いわゆる優等生でした。
僕は知らぬ間に「有頂天」になっていました。
英語に関して言うならば、中学校1年から高校3年まで統一試験では全国1位でした。
大学でも英語を専攻して誰にも負けませんでした。
大学時代が一番もてていた時期だったと思います。その後が最悪^^
はじめて、英語教師から新聞記者の時は英字新聞記事を書いていました。
いつも、よる9時ごろまで残業していました。その時はお金がそれほど、重要だとは
おもいませんでした。
しかし、結婚すると事情は変わりました。
僕の給料は月14万円程度であり、小遣いは3万円であった。
お小遣いはもちろん飲み会代、昼飯代込である。
僕はどうにか自分が自由にできるお金を増やすため、システムエンジアとしての道を
選択した。面接に行くと「君の経歴は数奇だね」と言われた。好きでSEとしての道を
選んだのではない。お金の為である。手取り50万円になったが、あんまり
自分の小遣いは変わらなかった。
あれはバブルがはじけた後である。僕は某大手キャリアに配属され
コンピュータ・システムのトレーナとして勤務するように言われた。
僕は前に勤めていた新聞社で文字を打つくらいである。
それが、海外支社のSE技術者の前でのトレーナです。
準備期間はおよそ、3日間。。。クレームが出なくしないと。
「こんなマニュアル英語で見ても分からないよ!!」
トレーニング初日から僕は必死にごまかした。英語の力でどうにかこの
危機的状況?を切り抜いた。トレーニングがなかったときは、また?急にシンガポールに
一人で出張に出かけた。出張は成功した。もちろん、一夜漬けでした。
質問があってわからない場合、「I beg your pardon?」といい英語が分からないふりを
した。それで、質問内容を紙に書いてもらい、後程教えるといい逃げてきた。質問
殆ど、技術なことでした。英語屋の僕が分かるはずないじゃないですか?!
上述した仕事の結果、英文科卒の僕は:プログラム開発言語
(C言語、Java、PHS、Linux, Unix,など)を
マスタすることができた。
数奇な僕のキャリアと度重なる激務により、僕の心は徐々に蝕まれていった。。