前の記事でも書きましたが、阪神淡路大震災では同じ神戸市内にありながら私の住む垂水区の被害は大きくはなかったです。
この震災では「ボランティア元年」とも言われました。
わたしも微力ながら初めて「ボランティア」なるものをしました。
力仕事は合わないので、ITの知識があったのでパソコン通信ニフティの震災情報の交通整理的なものに携わりました。
「ボランティア元年」でしたが年末ころにWindows95が発売されて「インターネット元年」でもありました。
そのときの活動の記録が冊子「大きなうねりへ」となりました。
指揮を執ったのは阪神大震災地元NGO救援連絡会議の代表であった草地賢一さんでした。後に兵庫県立大学の教授になられましたが病に倒れ帰らぬ人となりました。多くを教えていただきました。
ボランティア活動の拠点は毎日新聞神戸支局の三階でした。
その当時のことは今でも鮮明に覚えています。
東京在住のパソコン通信仲間がボランティアで神戸に行きたいということで、我が家に泊まってもらったこともあります。
また、当時、エーアイ出版から『月刊パソコン通信』という月刊誌があって。編集長の石井さんから執筆を依頼されました。文章力に自信がなく友人に譲りました。いまとなっては惜しいことをしました。
現在通学している神戸市外国語大学からインターネットを通じて震災の情報を世界に発信したこともご縁のある出来事でした。そのときに活躍された芝先生(現名誉教授)の講義をうけることになるとは当時は思いもしなかったことです。人は生かされていると強く思います。
30年前の震災のことから今日はこのようなことを思い出しました。