謹賀新年 2017年1月3日の記憶 | 俳茶居

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       煌々と唐十郎の夏帽子 (呑亀〉

謹賀新年

 数少ないブログ読者の皆様、本年も宜しくお願い申し上げます

 

昨年世界は大きく動き、第二次世界大戦後の秩序体制が一段と瓦解していく様を見ることとなりました 「戦後」という時代は過ぎ、最早「戦前」なのでしょう 人類が積み上げてきた叡智は、次々に焚書の憂き目にあっている様です 国家や地域間の諸問題を争いではなく法と理性で解決する為に創られた国際機関・国連は、およそその機能を果たしているとは思えない状態です 大国のエゴイズムが表面化し、争い事を話し合いで解決しようとする本来の姿が危機にさらされています 中東の国の中の国「イスラム国」の戦闘行為や、イスラム国による国際テロ事件、イギリスのEU離脱、シリアを中心とした難民問題、アメリカの大統領選挙で選ばれ、間もなく就任する新大統領の諸発言など、人類が長い歴史から学んだ理性や他(他国、他民族、他宗教等)を敬う考えは弱まり、逆に他者を排斥する現実が世界を覆いつくそうとしています この国においても同様に、思想信条の自由、報道の自由、知る権利等本来憲法で保証されている基本的人権が風前の灯の状態となっています このまま改憲の動きに進めば、一気に戦争の出来る国に舞い戻るところまで来ております

 

俳句を作り続ける者として、自然界の四季の変化を感受し感動や感情の機微をを写すことと同様に、社会に対する心の持ち様を、俳句を詠む上で排除することは出来ないと考えます 戦前の芸術活動が国家に従属させられ、戦争遂行・戦意高揚のための道具とされたことの反省を基に戦後の芸術活動はスタートしたはずです 思ったことを表現出来ない、堅苦しい時代の再来を危惧する現在です 

人は忘れやすい動物です 忘れることで心の負担を減らし、日々のうのうと生きていくことが出来るのかも知れません 二〇一七年一月三日の心の記憶を記録します       俳茶居