ツバメおこわ×ルハンの台湾茶 「蓮畑で物語る茶会」
―――2015年8月22日 ベトナムおこわ料理食堂「ツバメ」おこわ」にて―――
茶友のRさんが開いてくれた、高円寺にあるベトナムおこわ専門食堂「ツバメおこわ
」さんとのコラボ企画に参加することが叶い、夏バテの心身が癒された。「ツバメおこわ」さんとのコラボは、今春の「びっくり茶会」に続いての事で、Rさんと「ツバメおこわ」ご亭主Hさんの仲の良さがわかる。今までベトナム料理をほとんど食べたことが無かった。さらにおこわ料理に特化されたメニューは勿論初めてである。素晴らしいお茶に集中しながらも、胃を満たしていくおこわ料理に充足感が心を占めていった。お茶会が終わってから高円寺北口散歩をし、またお店に戻って夕食も頂いてしまった。
茶譜 と お菓子
序(ウエルカムティー) 蓮茶(冷茶)
1、 杉林渓烏龍 2015年春 × バイン・イット・チャン
2、 原始林烏龍 2013年冬 × ミルキーチェー
3、 蜜香紅茶 2014年 瑞穂郷公所コンテスト銅牌賞
× 南国バナナのもち米包み焼き
*3種のお茶を出す時に3人の詩人(ベトナムひとり、中国2人)詩を日本語に訳して朗読が用意されていた。3人の詩人は、時空を越えお茶への尊崇の念を詩に託している。
台湾からの留学生Rさんに初めて会ったのは、2014年7月秩父の茶人Hさんがプロデュースした茶会であった。中国茶のジャンルにあわせた六種類の茶席の淹れ手ではなく、裏方を務められていた。それからまだ1年しか経たないが、既に日本における中国茶の世界で、彼女の名前を知らない者は少ない。その活躍は彼女のブログ「飲水思縁
」で大方を見ることが出来る。この夏、京都での「茶文化ワークショップ」は、ツバメおこわ茶会でも詩が紹介された中国明代の文人・茶人『文徴明』の人生に光を当て、形骸化されていく科挙制度に異議を唱え続けた彼の姿から、真の文人(人間)の在り様を現代に問いかけたのではないだろうか。
今回のイベントには、
文徴明 (中国明代中期に活躍した文人1470年~1559年。書、画、詩に通じた。八股文(はっこぶん)という当時の形骸化した科挙の答案方法に異議を唱え、科挙に9回挑戦、受からなかった事を良しとした。)
阮廌
(グエン・チャイ1380年 ~ 1442年、ベトナム後黎朝大越国の建国の功臣、政治家、儒学者、詩人)、
連横
(台湾の歴史家、文人1878年~1936年。1918年に『台湾通史』を10年かけて著す。現代台湾の政治家連戦
は連横の孫。)
これら3人のお茶に纏わる詩が茶譜に紹介され、日本語での朗読もあった。長く人類と共にあるお茶の魅力やその本質は何であるのか。今回は、時代や生きた場所も違う3人の文人たちの詩が教材となった。Rさんの重層的なお茶へのアプローチは、いつか私達にとってお茶を理解する為の良き福音となると思っている。
口語訳が茶譜に紹介されていた阮廌(グエン・チャイ)の詩をお届けする。
一旦故郷から出てちょうど十年になり 帰ってきたら
松菊などの植物はほぼ物寂しげに見える
山林に隠棲する誓いを 破るつもりはないが
結局は俗世間で生きながらえてきたことを 我ながら
哀れにおもう
故郷に帰ったことは夢のようで 戦争もまだ
止まないが 幸い 存命している
いつになったら雲に囲まれた山の奥に小屋を建て 渓
の水で茶を煮て そばの石を枕として
眠ることができようか
〈亂後到崑山感作〉
阮廌(グエン・チャイ)は中国明代、ベトナムの独立の為に働く。晩年、政争から逃れ故郷に隠居する。だが若き国王が彼を訪ねた時急死した為、暗殺犯の濡れ衣を着せられ非業の死を遂げる。この詩はもしかして、晩年隠居を始めた頃に書かれたものかも知れない。この詩から不幸な最期は伝わって来ない。
茶会でご一緒出来たKaさん、Haさん、Hiさん始め茶友の皆さまに感謝し、席亭Hさんのご活躍を祈念することとする。Rさんは暫く卒業論文に本格的に取り組まれるとの事。無事日本で学業を修められ、お茶会の続編が開かれることを静かに待つこととする。
Rさんは茶会の中で、台湾とベトナムは似ていると言った。他国に翻弄された多くの歴史の事であろうか。歴史は途切れることなく現在に繋がっている。ようやく私達は、空にあってはツバメの如く、地にあってはお茶を通して、隔てのない人と人の交わり方を教えられているようである。
2015年8月27日 俳茶居
茶友Kaさんのブログ『おうち茶館
』の記事は丁寧で楽しい。そういえば彼女の号「荷花」は蓮の花の事、名は体を表している。