台湾紀行〈2013年4月14日(日)~18日(木)〉その③ 「紫藤蘆」でのお茶酔い | 俳茶居

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       煌々と唐十郎の夏帽子 (呑亀〉

台湾紀行〈2013414日(日)~18日(木)〉

その③ 「紫藤蘆」でのお茶酔い




 台湾製茶ツアー最後の夜、台湾の茶館の歴史を語る時必ず登場する「
紫藤蘆 」に出かけた。その歴史はHPの中の「古蹟紫藤蘆 」欄で見ることが出来る。1981年、現在の主人周渝氏が茶館を始める前、ここは現代台湾政治・文化史に偉大な足跡を刻んだ場所だった。周渝氏の父親周徳偉氏は、第二次世界大戦前北京大学から英国・ドイツで経済学を学ぶ。大戦後の混乱時大陸で教鞭を執るも、自らの政治的立場から1949年台湾に渡る。1950年官職に付く。又同じ時期台湾大学他で経済学を教える。大正時代に建てられた日本式の広い家屋は、周徳偉氏を中心に同志達の一大文化サロンであり、同時に国民党政権下での反独裁のシンボリックな拠点であった。現在でもその前衛性を堅持し、様々な文化催事が大切な茶館行事として行われている。

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紫藤蘆のガラス製湯沸器

夕食後ガイド役のT君の案内で「紫藤蘆」に着く。「Wistaria (ラテン語で『藤』)House」の表記通り藤の木が玄関から中庭に続く。台湾での花の見ごろは3月から4月初めとあり、季節ではなかったようだ。奥の和室に席を取り日本語の茶譜から2種のお茶を頼む。二人で同じお茶をしばらく飲み、そして別のお茶を又しばらく飲み続けた。その内ひとつはボディーの良く効いた陳年普茶で、なかなか衰える気配がない。30分ほど飲み続けたところで、30代半ば屈強な体力のT君の様子がおかしい。ろれつが回らず瞼が重そうだ。そして「ダメです。眠るかもしれません。許して。」と言いだした。間もなく彼は座ったまま舟を漕ぎ出した。T君を心配した私だが、自らの脳をお茶酔いが覆うのにそんなに時間をとらなかった。何時しか二人は今までにない強いお茶酔いに陥り、座りながら夢遊病者の如くすれ違いの会話を通わせていた。酔いながらこの不思議な精神状態がいつまで続くのか計りかねていた。1時間くらいは経った頃、私達の意識はほぼ正常に近づいていた。今思えば茶旅の本懐を遂げた後の昂揚感と一定の疲労が、普段以上のお茶酔いにさせたのかもしれない。T君の理由をはかり知ることは出来ないが、私はその間話していた内容をほとんど思い出せない。

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紫藤蘆の茶譜

店にいたのは2時間位だろうか。夜も更け客もほとんどいなくなっていた。既に酔いからは解放されていた。支払時、目に留まったCDと周渝氏の編集した父親の伝記本を購入し店を出る。すると玄関先の藤棚の下に人が立っている。私にはそれがこの家の主人であると理解出来た。ためらいもなく自然に話しかけていた。T君が中国語で私の挨拶とささやかな願いを通訳し伝えた。主人は了解し、もう一度店に招き入れ購入した本に墨痕鮮やかにサインをしてくれた。私はお茶酔いに感謝した。


周渝の言葉にこう書かれている。

「茶葉の奥深さとは、『吸収』することである。〈中略〉つまり、山や丘に育ったお茶の木は、周囲の息吹、そして山水の気質を思いっきり茶葉の中に吸収するのである。あるいは、それこそがお茶の独特な魅力の根源かも知れない。そのことを知っている多くの東洋人は、茶葉一枚を通じて山水の風景と大自然の精神を体得するだろう。」―『中国茶と茶館の旅』〈新潮社〉より―

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紫藤蘆の茶器