先日、ウニの蓄養を取材に来られた方が
「海は涼しいかと思ったら逆ですね。田老は暖かい」
「暖かい?東京から来たら涼しいでしょう?」
「いや、午前中八幡平にいたんですよ。八幡平は凍えるように寒かったあ」
「八幡平で何してたんですか?」
「取材です。八幡平サーモンの」
「あー、Kさんとこ?」
「そうです。今は娘さんがやられてますけど。お知り合いですか?」
Kさんは私の大先輩といいますか、兄弟子といいますか
内水面水産指導所で魚類養殖の勉強をして、淡水の養殖場を開いた方です
今は亡き私の魚類養殖の師が最初に指導をされたのがKさんで
最後がおそらく私かと
Kさんは事業をどんどん大きくして、売り上げを伸ばしてきた精力的な方
一方、私は
「試験ばっかりしてないで、儲けを考えろ」
などと言われるように、海の魚やったり海藻やったり、ホヤとかナマコとかウニとか、あーでもないこーでもないと儲からないことをチマチマと(笑)
八幡平にいるKさんと田老にいる私が同じ時期に同じ方に取材されるって奇遇です
地理的にも遠く、全く関係ないように思える田老のウニ蓄養と八幡平サーモンですが、どちらも師の技術が脈々と息づいているんだと思います
誰にでもできそうに見えて、誰にもはできないのが技術(笑)
師の技術を受け継ぐ者、一代でサーモンのブランドを作り上げるあたりはKさん流石ですけど、私も負けませんよ(笑)
奇遇と言えば
先日、田老の津波のことを調べに来られた方がいらっしゃいました
40年ほど前に田老三小で教員をされていたんだそうです
「茶屋でご飯を作ってもらって、世話になったんですよ」
茶屋って屋号です
田老第三小学校があった摂待地区は同じ名字が多いので、名字で言っても誰を指してるのか全く解らない(笑)
そのため屋号で呼ぶんです
茶屋は私の親父の生家です
当時は自家用車もなく、摂待はどこへ行くにもものすごく時間がかかったそうなんですが、宿泊施設がなくて長距離を移動する人は困っていたので、親父の生家ではお茶やたばこを売る傍ら、民宿みたいなこともしてたらしく、そのため屋号は茶屋もしくはたばこ屋
「茶屋ですか?」
「あ、ごめんなさい、屋号です。解りませんよね」
「いえ、ものすごーーーくよく知ってます。茶屋は私の親父の生家ですから」(笑)
「えー、そうなんですか?じゃ、チアキ知ってる?」
「はい、従姉妹です」
「チアキは教え子なんですよ。そうか、あなた茶屋の人か」
子供の頃、親父の生家「茶屋」に行くと、いつも大きなテーブルに大人数の食事が並べられていて、知らない人がご飯を食べてましたもの
この人たちは誰なんだろう?って思ってましたが
摂待には食堂もなかったので、単身赴任で来られた学校の先生の食事を提供してたんでしょう
今頃謎が解けた(笑)