黎明 | 防浪堤は壊れても ~たろうの海から~

防浪堤は壊れても ~たろうの海から~

「防浪提に抱かれて磯の香りも生き生きと」
田老一小校歌の歌い出しです
津波が来ても二重の防浪提が守ってくれると思っていました
津波はその防浪提までも破壊して、ふるさとを壊滅さた
それでも、やっぱり海は麗しいし、川は清い

 私が小学6年生になった時

 田老にサッカー少年団が誕生しました

 

 みんな素人でルールもろくに解らないまま大会に出ましたけど、県の優勝チームと互角の試合をするなどそこそこの成績でした

 

 中学でも続けたかったのですが、当時、田老の中学校にはサッカー部がなかったので

 それぞれ野球部・陸上部・バスケ部・水泳部などに所属して、学校のクラブが終わった後に集まってサッカーの練習をしました

 ナイターの設備なんかないので車のヘッドライトとか、体育館とかで

 

 そのうち、野球部・陸上部・バスケ部・水泳部などにも我々がサッカーの練習をしてることがバレるわけです

 そりゃ先輩は面白くない

 「サッカー辞めろ。じゃなきゃクラブ辞めろ」

 って脅される

 「辞めません」

 「あ”ー!なに?もう一回言ってみろ」

 「辞めません」

 「そうが、じゃCコース10周、神社の階段20往復。終わったら足上げ3分、90°3分腹筋50回、腕立て50回3セット」

 Cコースって一周が700mぐらいあるんですよ

 そのあと、熊野神社の階段を20往復ですから

 太ももがプルプルする(笑)

 毎日やらせればそのうち音を上げて辞めると思ったんでしょうね

 でも、誰も辞めませんでした

 

 このやり取りが毎日繰り返され、そのあとでサッカーの練習ですから

 家に帰ったら倒れ込むようにして眠る

 学校の勉強なんてしてる時間ありません

 もう、学校の成績なんてムチャクチャですわ

 

 そんなことを2年間続けておりましたので、フィジカルでは同年代に負けるわけがない

 

 中学2年の夏

 年に一度だけあった少年団も参加可能な大会に出場して

 岩手では名門と言われる、常に優勝争いに絡む中学校と試合をして0-0の引き分けにさせられました

 させられたっていうのも、田老は点を取ってたんです

 けど、理解不能なオフサイドの判定で点を取り消されました

 名門中学校が正式なクラブすらない田老に負けるわけにはいかないと審判の忖度が働いたんじゃないかと思ってます

 

 常に優勝争いに絡む中学と互角の勝負をするっていうことは、県で優勝を狙える力があるということなんですけど

 田老一中にはサッカー部がないので、中総体に出られないんです

 

 試合をすればオレたちは負けやしない

 なのに大会に出られない

 悔しかったですね本当に

 

 なんで?

 なんでオレ達は試合に出られないの?

 いつも悶々としてました

 

 なにしろ家で勉強しないのでサッカー部の連中はおしなべて学校の成績は良くなくて、レベルの高い高校にも行ってません

 

 ですが

 当時の仲間は今や

 会社の社長、会社の役員、ホテルの総料理長なんかをやってます

 あの苦しい時代を通っているので

 皆、心身共に鍛えられてるためじゃないかと思います

 

 その頃の仲間の一人が

 6月に

 盛岡の東安庭にラーメン店を出店することになったようです

 田老の漁師一家の出で

 小学生から海に出ていたヤツなので

 漁協の職員としては漁師をやってもらいたいんですけど

 

 

 彼は料理の天才ではないかもしれない

 けど、何事にも一切の妥協をせず、真摯に取り組む男ですので、期待を裏切ることはないと思います

 

 盛岡近郊にお住いの皆様、どうぞよろしくお願いします

 

 

 開店祝いに胡蝶蘭でも届けようかと思ったんですが、それじゃ面白くないなあって思って

 「そうだ、オレが撮った田老の海の写真をパネルにして開店祝いにする」

 って言ったら

 嫁さん

 「迷惑になるから止めた方がいいよ」

 だって

 クソー

 迷惑だろうが勝手に送ることにします(笑)

 

 黎明

 

 新しいことの始まり

 ってことで

 

 50代後半になって新しいことに挑戦するって凄い

 


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