パンの思い出 | 防浪堤は壊れても ~たろうの海から~

防浪堤は壊れても ~たろうの海から~

「防浪提に抱かれて磯の香りも生き生きと」
田老一小校歌の歌い出しです
津波が来ても二重の防浪提が守ってくれると思っていました
津波はその防浪提までも破壊して、ふるさとを壊滅さた
それでも、やっぱり海は麗しいし、川は清い

 昨日、バナナマンのせっかくグルメに盛岡の福田パンが出てました

 

 

 

 思いだしましたね

 あの時の福田パンは泣けそうなぐらい美味しかった・・・

 

 

 2011年の3月

 東日本大震災の津波で住むところがなくなり、避難所で生活していました

 

 4月の初めぐらいに

 漁協事務所を復旧するから集合せよ

 という指令が来て

 職員は皆避難所から漁協事務所に出勤(?)してたんです

 漁協事務所は津波で浸水した場所のど真ん中にありまして、1階は瓦礫の山、2階にも波が入り込んで水浸しという有様だったんですが、地域のみなさん当座のお金が必要だろうから、とにかく顔パスで貯金の払い戻しをせよということで

 

 そのときは正直、漁協も終わりだと思ってましたし

 働いても給料なんて出るはずないので

 (出勤ではないよな・・・・)

 

 なにしろ、ふるさとの町全体が消滅してしまったようなもので

 夜になると悩んでしまいます

 どこに住もう、仕事は何しよう、生活費どうしよう、子供らをどうしよう、両親は・・・・

 問題があまりにも大きすぎて、多すぎて

 解決の方法は皆無

 もう頭がおかしくなりそうで

 

 でも、もう動けなくなるぐらいまで動くと、考える余裕もなく倒れるように眠ってしまうので

 とにかく昼の間は目いっぱい動こうと思ってました

 


 

 窓が割れてすきま風が吹き抜ける中、反射ストーブ1個だけ置いた事務所

 折りたたみのテーブルを一つ置いて

 金融の職員は顔パスでお金を払い戻し

 

 他の職員は瓦礫や泥を掻き出して通路を確保する

 

 

 避難所には何かしらの食べ物があるんですが

 漁協事務所には食べ物も飲み物も何もなくて

 

 半径十㎞の範囲には営業してるお店なんてないし

 そこに行く手段もない

 もちろん、水もない、ガスもない、電気もない

 

 

 支援物資でパンを大量にいただいたので

 お昼はみんなでそれを食べてました

 大量のパンは全部ピーナッツのサンドイッチ

 美味しかったです。すごくありがたかったです

 が

 みんなで一週間食べてもまだ残ってる

 事務所全体が冷蔵庫みたいなもんだから悪くならないので、ずっと食べてました

 せっかくいただいたものを

 捨てるなんてありえないですからね

 

 でも、なんにもない被災者とはいえ

 さすがに一週間同じ味はキツいんですよ 

 パンは日に日に固くなっていくし

 氷のように冷たい

 

 

 そんなとき、盛岡にある取引先の社長さんが、漁協の事務所に来てくれたんです

 何時間も待たないとガソリンを買えない状況下

 事務所に来るには、車を置いて、長いトンネルを通って、瓦礫の中を1時間ほど歩かないと来られなかったんですけど

 ちなみにその社長さん、女性の方です

 

 差し入れだって福田パンをたくさん買ってきてくれたんです

 まだほんのりと温かくて、柔らかくてフカフカ

 ほんと美味しかったですね

 これを背負って瓦礫の中を歩いてきてくれたのかと

 泣けそうなぐらい

 

 「うめー!やわらけー!」

 って食べてたら

 

 「うめー!」

 ってタバコを吸ってる輩がいる

 「この状況でタバコすか?」

 「社長さんが買ってきてくれた。うめー!最高!」

 「いや、食いもんでしょ、今は」

 「うるせー、久々のタバコは最高だ!」

 

 能登の被災地にもタバコを吸いたい人はたくさんいるでしょうけど、言い出しにくいんだろうなあ

 支援物資にタバコはないし

 避難所で吸ったら睨まれそうだしなあ

 

 

 

 

 ところで

 最近は、何をするのもスマホですね

 現金を使う事ってほとんどない

(でも口座の残高は確実に減っていく・・・・)

 

 東日本大震災の時、宮古市は通信網がダメになって、カードも電子マネーも使えませんでした

 現金しか使えなくて、ほんと困りましたよ

 なにしろ、ATM使えないし、通帳も印鑑も流失しちゃってるんので

 現金しか使えないのに現金がない

 

 ちなみに、お店の人もバーコードが使えないと、何にもできなくなります

 

 2011年の宮古ですら困ったんですから

 仮に今、首都圏で大規模災害が発生して通信網が麻痺したら恐ろしいことになるとおもいます

 

 震災を取材にきた海外のジャーナリストは

 「こんな酷い状況なのに、東北の人達は文句も言わず列を作り、子供や老人を優先させている。しかも、こんな状況なのに微笑んでる人さえいる。海外なら間違いなく暴動や略奪が起きている状況だ。信じられない。」

 そう言って驚いてました。

 「どうして、あなたたちはごくあたりまえに弱者を守れるのか?」

 って聞かれまして

 「田老は皆、知り合いだもの。家族みたいなもの。アナタの国だって自分の家族を置き去りにして我先にメシ食おうなんて人いないでしょ?」

 って答えました

 

 今、首都圏で通信網が麻痺したらどうなるんでしょうね

 略奪が起きないことを祈るばかりです

 


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