それが今、必要なんじゃないでしょうか? | 防浪堤は壊れても ~たろうの海から~

防浪堤は壊れても ~たろうの海から~

「防浪提に抱かれて磯の香りも生き生きと」
田老一小校歌の歌い出しです
津波が来ても二重の防浪提が守ってくれると思っていました
津波はその防浪提までも破壊して、ふるさとを壊滅さた
それでも、やっぱり海は麗しいし、川は清い

 先日行った広葉樹の植樹活動には

 コープこうべさん、日本生協連さんをはじめ、たくさんの生協関係者が出席してくださいました

 

 世の中が全力で遊ぶゴールデンウイークに

 わざわざ神戸や東京から岩手の沿岸部まで

 木を植えに来られる

 

 いやはや、頭が下がります

 私が逆の立場だったら、できませんねえ

 

 

 

 植樹をしてるときに、なつかしいフレーズを耳にしたんです

 

 苗木がまだ残ってる方が

 「誰か手伝って」

 って言ったら近くにいた方が

 「協同の精神でやるか」

 

 

 そういえば、私が組合に入った頃、先輩職員がよく使ってたフレーズなんです

 「協同組合精神」

 自分だけではなく、みんなで一緒に幸せになろう

 そのためにはどうしたらいいか

 っていう意識がありました

 

 まあ、なかには

 「協同組合だべ」って

 自分がサボって残った仕事を手伝わせようとする間違った使い方のヒトもいましたけど(笑)

 

 

 仕事をして報酬を得る

 当然のことなんですけど

 最近は、あまりにもお金に固執してるような気がして

 

 仕事をするとき、仕事の内容を聞くより先に

 「時給はいくら?」

 「年収はいくら?」

 「残業手当は?休日出勤手当は?」

 女性がつきあう人についても最初に聞くのは「年収」だったり

 

 なんでもかんでも「お金」に換算するアメリカ人みたいだ

 

 闇バイトとかいって

 高額な報酬が得られれば、オレオレ詐欺の片棒を担いだり、強盗したり、はては人を殺したり

 彼らに、おじいちゃん・おばあちゃんの生活を破滅させたという罪の意識はあるんでしょうか?

 もしかして、自分は高額のバイトをしただけ。って感覚なんですかね?

 ほんと怖い世の中になってしまいましたねえ

 

 

 私が子供の頃って、すごい金持ちもいない代わりに、すごい貧乏もいなかったような気がします

 全体的には今よりもずっと生活は貧しかったんでしょうけど、個々の生活水準にそれほど大きな差はなかった

 今は、スポーツ選手が年間何百億円ももらったり、コンピュータ関連の会社社長が何兆円という資産を有する一方で

 たくさんの人が餓死していく

 やっぱりどこかおかしい

 

 年々記憶力がなくなってしまって(←昔からだ)

 何かの本で読んだのか、誰かから聞いたのか忘れてしまいましたけど

 「あなたも生きる。私も生きる」

 ってフレーズが頭のどこかに残っていまして

 一握りの人間が裕福になってもしょうがないじゃない。みんなそこそこの収入で、みんな同じように生きられれば

 っていうような意味だったかと

 

 

 私は単に職場として漁協を選びましたが

 当時の先輩方は協同組合理念を持っていて、利益だけを追求しようとはしなかったんです

 漁協は営利団体じゃないんだと

 

 私は当時まだ若くて給料は安いし、欲しいものはたくさんあるしで

 「もっといい値段でどんどん売って利益を上げればいいのに。そして給料を上げてください」

 って言ったら

 「そうではねえ。さすがに赤字はまずいけど、儲からなくていいんだ。その分、消費者にいいものを安く提供するとか組合員に還元するのが組合だ。」

 って窘められました。

 

 正直、その時は全く納得してませんでしたが(笑)

 

 

 なんでもかんでも金・金・金の世の中を見ると、なんだか空恐ろしくなってきまして

 皆がほどほどがいいんじゃないかなって、思うようになってきましたね

 

 

 

 若かりし頃、岩手県青年の翼という事業でシンガポールに行かせていたことがありまして

 ボランテイアについて現地の青年と話をしたとき

 

 「私はボランテイアという言葉が好きじゃない。してあげてる。って恩着せがましい感じがするから。困っている人がいたら手を貸すのは当たり前のこと。私が生まれ育ったのは漁師町で、魚がたくさん獲れたら近所の人に配る。それは当たり前のことで、ごく自然にやる。そんなふうに困っている人がいたら助けることが当たり前になって、ボランテイアなんて言葉が無くなるのが理想だと思う」

 などと小生意気なことをほざきましたら、現地の青年は

 「私も同じように思います。こちらでも近所の人で助け合うという習慣があります。最近はそういう感覚は廃れつつありますが、やはり、ずっと残って欲しい習慣だと思っています。」

 

 相互扶助とか助け合いなんて言うと、なんだか気恥ずかしいんですけど

 でも、やっぱり、そういうことを忘れちゃいかんなあと思うわけです

 

 

 スポーツもね

 昔は学校単位でやってたから、そんなに上手くない子でも試合に出れてたし

 ダントツに強い高校もなかったから

 どこの高校にも僅かながら優勝の可能性はありました

 宮古高校も甲子園に行ったことだし

 

 今は強豪校に上手い子が全国から集められるので

 優勝の可能性があるのはほんの一握りの高校に限られてしまいます

 また、その高校の中でもどんどん淘汰されていくので

 昔なら地域の学校でエース級の子が試合に出られず、やがて競技を諦めてく

 まあ、そういうシステムだから世界に通用するアスリートが出てきてるのかもしれませんが

 学校のクラブとしてのスポーツは少し意味合いが違うような気がします

 

 プロみたいな監督が全てを決めて、たくさんいる上手い選手の中から方針に会った選手を選んでいく。選ばれた選手は監督の言うなりに動いて勝つ

 そりゃ勝つだろうね

 

 面白くない

 

 上手い子もそうじゃない子もいる地元の学校のクラブで

 どうやって勝つか

 上手い子もそうじゃない子も一緒になって勝つための方法を考えて、それに向かって一緒に日々努力するのが学校のクラブ本来の姿だと思うんですけどね

 

 社会に出ても有能な人間ばかりじゃないんだもの

 色んな個性を見いだして、補い合ってチームとしての力を発揮する

 その練習の場としてクラブ活動ってすごくいい場所だと思います

 そういう場所からね、できない子をフォローするとか

 自分には余力があるからやるよ

 っていうような考えが出て来るんじゃないかと思うんですが

 

 

 

 

 先日、テレビで岩崎圭一さんのことを紹介してました

 自力で世界一周したいって所持金ほぼ無しで旅に出たっていう人

 

 おもしれー人だなあと

 ああいう人を見ると、やっぱり現代人はあまりにもお金に振り回され過ぎてるような気がします

 もちろん、私を含めてですけど

 

 陳腐なフレーズかもしれませんが

 お互い助け合って

 ほどほどで生きれればいいじゃないですかね?

 立派な家、高価な服、高級な食べ物を望まなければそれほどお金は必要ないし

 

 

 昔、漁師のじいさんに言われたんです

 「お前はなんぼ採れば満足なんだ?そこそこ採れて無事に海から帰ってこられた。それ以上のことはねえべ」

 それでいいんじゃないでしょうかね

 

 

  


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