遠いんだ・・・・ | 防浪堤は壊れても ~たろうの海から~

防浪堤は壊れても ~たろうの海から~

「防浪提に抱かれて磯の香りも生き生きと」
田老一小校歌の歌い出しです
津波が来ても二重の防浪提が守ってくれると思っていました
津波はその防浪提までも破壊して、ふるさとを壊滅さた
それでも、やっぱり海は麗しいし、川は清い

 アワビ、サケ、ネット販売、ウニ

 4つの補助事業の完了がほぼ同時期にやって来る

 担当者は私

 恐ろしい状況でございます

 

 そして再来週には確定申告が始まる

 

 正直言って

 にっちもさっちもいかない状態です

 ハハッ・・・

 

 寸暇を惜しんで事務処理

 しなければならないんですけど

 なぜか、今日は市内の山沿いにある中学校へ行って

 額に汗

 背中に冷や汗をかきつつ

 生徒さんにお話しをする羽目に

 

 私が上司なら

 お前はバカか

 って叱りつけるところですが

 

 あいにくと、引き受けたのは私で

 

 大幅なタイムロスを覚悟の上で中学校へ

 

 講師?として

 市内の色んな職種の方がいらっしゃっておりまして

 小グループに分けてそれぞれ説明するみたいです

 

 パワポの準備をする人

 配付資料の準備をする人

 なにか配るものを持つ人

 

 私は

 手ぶら(汗)

 

 「ご準備をお願いします」

 (オレ、準備することねーし)

 40分ほどの時間が無駄に過ぎていく・・・・

 あーあ、この時間がもったいないなあ

 

 とりあえず手ぶらでスタート

 「田老漁港へ行ったことある人いますか?」

 「・・・・・・・・・・・」

 「えっ?ない?一人も?」

 「・・・・・・・・・・」

 

 三陸道もできたので

 車で走れば15分とかの距離なんですけど

 まあね、用もないか・・・・

 なんか寂しい

 

 

 私の場合

 「震災前、震災後」

 という表現をよく使います

 「戦前、戦後」

 みたいな感覚ですね、きっと

 

 それを期に大きく時代が変わったという意味で

 田老の人達にはすごく良く伝わります

 

 震災前は良かったね~

 とか

 震災前みたいになったらいいねえ~

 ってな感じで

 

 田老の漁業を語る上で東日本大震災は避けて通れない大事件なので

 必然的に

 「震災前、震災後」

 という単語が説明の中に出てくるんですけど

 

 生徒さんらは

 「震災」

 という言葉自体ぴんと来てないようです

 

 さすがに田老の中学生は

 (当時の記憶とかないにしても)

 「震災」

 といえば、とても大きなできごととして捉えてる感じがしますけど

 

 田老の子とは違う

 当然ですけど

 

 思えば、この辺は津波の被害を受けてない場所ですからね

 

 津波って来た場所は地獄

 来てない場所はそれまでとなんにも変わらない

 キッパリと分かれるんです

 

 宮古市内とはいえ、海からちょっと離れた地区は

 東京のヒトがテレビで見るのと変わらない

 

 ましてや行ったこともない場所ならね

 そりゃそうでしょう

 

 私にとってはつい昨日の事のように

 いまだにリアルな痛みを伴う震災は

 宮古市内であっても

 歴史上の史実みたいになりつつあるんだなあと思った次第です

 

 

 

 あ”ー、仕事が(汗)

 


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