日常と思われていることは

実は非日常なのかもしれない。


自然の中で3日間

感性を研ぎ澄ませた。


積極的であれ、

自ら行動しろ、

自分をアピールしろ、とせかされる日常。


自然の中ではその無力さ、

自然界での自分の存在の位置を

身をもって知らされる。



積極的に受け身であること。

それは心を開くこと。

そうすることであらゆるものが

自分に入ってくる。


受け入れることが実は自らの成長を促すこともある。


自然の中にいると

イキイキしてくる。

とは、いわゆる非日常の空間にいて

現実を忘れられるという一面もあるかもしれない。


でも、真実は

本来いる場所に戻ってこれるからなのかもしれない。


それは自然の中が、

自分が自分でいられる場所だから。


普段、日常と思っている場所を疑え。


そしたら、

もう少し謙虚になれる気がする。

離れてみて分かる。


最初から間違っていたのかもしれない。

自分を偽って背伸びしていたから。


背伸びしていることに気づかないまま

突き進んで

それが自分だと勘違いしてた。


いや、そうじゃないとやってられなかったと思う。

ある時、ふと我に返った。

あれ?違う、苦しい、と。


でも、背伸びしたからこそ気づけた。

それは自分について。


“情”は“知”よりも先に立つ。


俺は“感じること”に正直でありたい。



 智に働けば角が立つ。

 情に棹させば流される。

 意地を通せば窮屈だ。

 兎角に人の世は住みにくい。


       夏目漱石 「草枕」より



この世は住みにくいのかもしれない。

でもだからこそそんな世の中でも

もがいて自分を磨き続けるだけの価値はある。


感じて進んだ自分の選択を信じて

前に進み続けよう。




年が明け、それぞれの仕事が始まり

世の中が動き出している。


その中でも

どれくらいの人が“自分の”仕事をしているのだろう、と

ふと気になった。


仕事は世の中に必要とされているからある。

仕事が世の中を形作り、

その人をも形作る。


ならば、“自分の”仕事をしていたい。

少なくとも自分を感じて仕事したい。


自分の仕事の存在意義を問い、

自分自身の仕事での存在意義を問うことで

新しいものが見えてくるはず。