人は一人では生きてはいけない。


人は孤独である。


共に人生の本質であり真実。


誰かと共に過ごすことも

一人ぼっちになることも

全てを認め、受け入れたい。


そう考えると

人との関わりや自分との付き合いも

過度に考えたり、飾ったりしないでいられないだろうか。


全てを受け入れ、

物事を広く深く考えること。


自分が今悩んでいること、考えていることをも

自分の中でしっかりと受け止めて

人生という大きな流れの中で折り合いをつける。


そうすると自然と人は穏やかになる。


マザー・テレサ、マハトマ・ガンジー、

キング牧師・・・


広い人は穏やかである。

自分を生きている。



おばあちゃんがよく言っていた。


「何してもいいけど、人に迷惑かけちゃいかんよ。」


人と共に生きる人生。

自分の命を生きるのは自分。

どちらにせよ、

自分を大切にすること(わがままではない)で

他人にも迷惑はかけないはず。

そして、

生きるなら穏やかに楽しく笑顔でいたい。









たけしの趣味はラジコン。

小さいころから車が大好きで将来は自動車のエンジニアになりたいという夢を持っている。

ある日、たまたまラジコン大会があることを知る。

たけしは意気込んでそれに応募した。


ところが、あくる日、母から有名高校の説明会があるから参加しよう、と言われた。

その日はあのラジコン大会と同じ日。


結局、母は説明会にたけしを連れていった。



幸せのかたちは人それぞれ。

それがたとえ肉親であっても。

そして、他人の幸せの価値はなかなか分からない。


相手の幸せを奪ってまで得た幸せは本当の幸せなのか。


たけしと母のケースで言うと

母の幸せにたけしは従属させられた。

でもこれに本当の答えなんてない。

優先するべき方はたけしかもしれない、母かもしれない。

それは人それぞれの価値観の問題。


ただ、人は違うということ、決して100%理解し合えないということを認めたうえで

次のことを認識しておくことが大切だろう。


・相手(相手の幸せ)について考えること。

・その幸せを認めること。(お互いが)

・それを責め、押し付ける権利はないということ。

・理解し合おうと対話すること。


結局、こういった物事を考える時、大事なのは

人生の目的は何なのか、

その人生をどう生きるか、という

大局的で本質的な視点を持って考えるということだと思う。



たけしと母の話に戻る。


母はどうすべきなのか。

もっと広く見てあげなければ

愛するがあまり相手をつぶしてしまっていることすら

気づかなくなる。

そして、そこにある真実は

愛しているのはたけしではなく、自分を愛しているということだ。


大切なことは何なのか。

深く広く考えなければならない。







ありとあらゆるものが違う人間。

生まれ、環境、技能、地位、財産、思い、知識・・・。


人はそれをあたかも自分が手に入れたかのように

思ってしまっているところがある。


しかし、そのどれ一つとして“あたりまえ”のものはない。


どうして今、自分はそこにいるのか。

どうしてそのようにして生きていられるのか。


よくよく考えてみるといい。



人はみな次の点において同じだ。

それは、

人はみな、それぞれの命を生きているということ。

そして、

その命は遥か昔の先祖からのたくさんの命を引き継いでいること。

そう考えると

人と違うことによって

虚勢を張ったり、見下したり、

恐れたり、責めたり、媚びへつらったり、強要したり・・・


そんなことが無意味にさえ思える。



人は生かされていることを認識することで

自分にも人にも謙虚にいられる。



こういうことを抹香臭いとかいう方が

反道義的だ。


なぜならそれこそが“あたりまえ”のことだから。


分かっているけど、そうは言ってもねぇ・・・と

嘯く自分を戒めたい。


人にやさしくありたい。


穏やかに人を受け入れ、

受け継いだ自分の命を

燃やし続ける自分でありたい。