ふと


“どうして戦争はなくならないの?”と


子どもに聞かれたことを思い出した。



今もなお、メディアを通して世界のあらゆるところで

争いが起こっていることを知る。


そこにあるのは、憎悪、怒り、悲しみ、恐怖・・・。

多くの人々が苦しむと分かっているのに、どうして・・・。



最近のCMでよく見かける童謡詩人 金子みすずの詩。


“  こだまでしょうか


 「遊ぼう」っていうと

 「遊ぼう」っていう。


 「ばか」っていうと

 「ばか」っていう。


 「もう遊ばない」っていうと

 「遊ばない」っていう。


 そうして、あとで

 さみしくなって、


 「ごめんね」っていうと

 「ごめんね」っていう。


 こだまでしょうか、

 いいえ、だれでも。 ”



争いも同じことだと思う。


憎しみは憎しみしか生まない。


目には目を、では、争いは終わらない。


他人は自分の鏡。



そして、銃を持っている者が強いのではない。


本当に大切なものを分かっていて、それを行動に移せる者が強いんだ。


いいかげん自分が銃を下ろすことが

真の強さなのだと気づき、

それを行動に起こせる世の中になってほしい。


そのためにまず自分がそんな人間でありたい。


――― 


 そんな感じで子どもに話をしたように思う。









見えないものを見るのは難しい。


福島の原発の放射能汚染は人々を恐れさせている。

海外にいたっては風評により日本の評価はひどいものだ。

原因は起こっている事象が見えないものだからだ。


人々はそれらを安心させるために“見える”ようにする。

データで表したり、とりあえずの計画を示したり。

ところが住民にしたら必要なのはそんなことじゃないはずだ。


実は我々、被害を受けていない地域の人間にとっても

一番知りたいはずの真実が見えない。

メディアで飛び交う数値や文面をただ目で追うばかりだ。

さらには、震災当初の惨状に人間的な衝動に

煽られる心が起こした募金や、物品支援でひと段落ついている自分がいる。


我々は、いわゆる氷山の一角しか見ていないということも実感としてない。

大切なものはその下に隠れてるはずだ。

とても大切なことが。

たくさん。



そんなことを考えていた時、ふと試験のことについて考えた。

ペーパーテストによって判断される受験生はいわゆる点数という見えるもので計られる。

それが一番確実に人を切り捨てられるからだ。


同じく社会のあらゆるところで判断手段として見える評価が励行されている。

子どもの評価、教師の評価、会社員の評価・・・。

数値化され、見えるもので人を判断してゆく。

それがどんな人間を作り、どんな社会を作ってきているか。



大切にしたいことがある。


見えないものを見ようとすること”。


それはつまり物事の本質を見ようとすることだ。


物事の大本のところは何なのか。

違う角度から見たらどうなのか。

過去や未来の視点から見たらどうなのか。


見えないものはなかなか見ることが難しい。

けれども見ようと努力し、

あらゆる物差しを自らに課し、物事を捉えたい。



現実は、人は見えることに走りがちだ。

もちろん見えることも大切なことであり、世の摂理ではある。

しかし、それが全てではないことを分かって行動したい。



今年の春も桜の花が一瞬の輝きを見せ、散った。


しかし、そこに至るまでその木々、一本一本にどんなストーリーがあり、

その花を咲かせた木の土の中にどれだけの根が張っているのか。

ほとんどの人はそこまで思いは馳せないだろう。

その見えないところにこそ、

桜の花一輪一輪の真実はあるはずだ。



何かが起こってからでは遅いことを今回の震災で痛いほど分かったはず。

何を大切にしなければならないのか。

一人ひとりがよく考えて、実際に行動に移さない限り

また同じことの繰り返しになる。


とりあえず目の前にいる人や物事の

見えないところを見る

努力をしてゆきたい。












地震の被害でいろいろなことが変わり始めている。


ただ、これらの変化は地震より前から想定されていたり、分かっていたことばかりだと思う。

こうした方がいい。これは危険だ。こういうことが大切だ、などと。

だから前から言っていたのに・・・ということばかり。

それが今、目の前に現実のこととなり変わらざるを得なくなってきている。


これは何を意味するか。


要は人は“自分ごと”にならないと変われないということ。


そうすると、ふと思った。


人を変えようとすることは大それたことではないか、と。


どんだけこの人を変えたいと思ってもなかなか変わらない。

まして、こんだけ言ってんのに変わんない、と憤ることは

実は自分を苦しめているのではないか。


幸せに生きるには、人を変えようとすることをやめるべきではないか。


それじゃあ、世の中はよくなんないんじゃないか・・・と思ったが、

そうじゃない。

方法はある。


自分が変わればいい。


それを見て人が変わるかもしれない。


人は強制的に変えられない。

自らが内面より変わることが真実だ。


子どもに「何度言ったら分かるの!」と怒る前に

その子の内面を覗いてあげたらいい。

そして、自分のことを鏡で見るように思い返してみるといい。

それは自分の都合のみを押し付け、

「変わりなさい!」とただ言っている場合がある。


いかに自分ごとにさせるか。


そうするためにできることは何なのか。

しっかり考えないといけない。


サッカーのチャリティーマッチで44歳のカズがゴールを決めた。

あんな感動的なゴールが人を動かす。

カズは感動しろ、と強要していない。

人はただカズの姿に感動して、心動かされるんだ。


人を変えようとか、何かを変えようとか思う前に

自分自身が変わらないといけない。


これは実はどんな場面でも言えると思う。



You must be the change you wish to see in the world.


                 - Mohandas Gandhi


こんな世の中になって欲しいと

あなたが願う世の中に、

あなた自身が変わってゆかなくてはならないのです。

 

                  マハトマ・ガンジー