デパートで。


「ギャーーー!。

ワ――ン!!」


店内中に響き渡る金切り声。


幼児が親に駄々をこねている。



居酒屋で。


「政府は何もしてくれねぇー。」

「会社は自分のことばかりでよー。」


くたびれた姿で愚痴るサラリーマン。


みんな不平不満を垂れ流している。



この二つのシチュエーション。

根底に共通していることがある。


甘え



前者。

幼児は自分ではどうしようもないから

欲しいおもちゃを親に買ってほしいとねだるしかない。

だから、甘える。


後者。

自分の力ではどうしようもないと決めつけ、

とにかく他を責めることで発散している。

完全に政府や会社に身を委ねてしまっている

甘えを自覚していない。



同じ甘えでも

幼児と大人では立場がまるっきり違う。


違いはなにか。


自分でなんとかできるか、できないか、ではないだろうか。




今の世の中、

甘えている人が多すぎるような気がする。


他者、環境、条件などを責めるばかり。

自分でなんとかしようとしない。

その意志すらも他を責めることでごまかしている。

他がなんとかしてくれる、

他になんとかしてもらいたいという甘え。

また、自分を省みようとしない自分への甘えでもある。


他者を責めることに終始する人は

一人で何もできなくなるのと同じくして

頼って甘えることによってでしか生きられなくなる。


すると、相手の思うがままになる。

相手中心で物事が進みだす。

それに対してまた不平不満を言う。

そうさせているのは自分だとも知らずに。


日本丸という船に乗った日本国民がまさにそうだ。



発展途上国にいた時

こちらが日本人だと分かると

よく言われた。


「○○をくれ。」

「○○国は何もしてくれない。」


あふれ出る要望や不平不満。


先進国からの多くの支援を受けて

成長してきたことが

皮肉にも自分たちの力で立ち上がる意欲を失わせている。

それをまた先進国のせいにする。

そして、甘え続ける。




先日、終戦後の焼け野原から生き抜いたおじいちゃんに

話を聞いた。


「当時は、政府も国も頼るもんなんてなんもなかった。

もうなにもかもメチャクチャだったからね。

だから、自分でなんとかするしかなかったんだよ。

焼け野原から取り出したトタンを屋根にして小屋をこしらえ、

そこに住み、

物々交換でなんとかして手に入れた

小麦粉を水で溶かし、塩を入れたものを食べて

日々を過ごしたよ。」


とにかく自分でなんとかしていく。


その意志が結集し、戦後の日本を復興させた。



今回の震災で

家も奥さんも亡くされた70過ぎのおじいさん。

そこで医者として働いてきた。

跡形もない家の土地を前に、

「また一からやっていきます。必要としてくれる人がいますから。」と

穏やかな表情でさらりと言われていた。


こんな人の一人ひとりの意志が

復興への道を切り開くのだと思う。


他を責めることなく

自分ができることを淡々とこなしてゆく。

それに人は胸を打たれるし、

こんな人にこそ、手を貸そうと思う。



思い返してみたい。


目の前にある課題に対して

甘えず、逃げずに向き合い

まず自分でやろうとしているだろうか。


甘え続けては何も変わらない。


自分の中にある甘えを認識し、

自分で行動しようとしているか再確認してみるといい。

いろんなことに甘えてしまっている自分に気づく。


そして、その甘えを少しずつ絶っていった時に

初めて人への感謝が生まれてくる。


子どもが大人になって初めて親に感謝するように。


その感謝が心の底から生まれたら

自然と人が寄り添ってくれるはずだ。


求めすぎてはいけない。

まず、自分でなんとかしてゆこうとする努力を積み重ねていきたい。


体は大人になっても幼児のような甘えを続けていては

いつまでたっても成熟した真の大人にはなれない。



















「今、やっている仕事を楽しんでいるだろうか?」


この問いかけに自信を持って「はい!」と答えられる人は

おそらくどんな仕事をしてもやっていけるだろう。


もし「いいえ。」というなら、一日精一杯楽しんでやろうと努めてみるといい。


それでも「いいえ。」が続くようなら、変化が必要な時だ。


それは仕事を変わることなのかもしれない。

自分が変わることなのかもしれない。


要は他のせいにするか、

自分のせいにするか、ということだ。



女優の鈴木京香さんは

いつもやりたい、と思っている仕事がくるそうだ。


その秘訣は何か。


仕事を選ばないこと。


どんな仕事でも受ける。

とにかくやってみる。

そして、そこから何かを学ぼうとする。


そんな姿勢がいい仕事を作り、自分を作る。

それは生きる自信につながるのだそうだ。



忍耐、我慢に乏しく、

現実に挫折し、現状を受け入れ難く、

夢を抱き、理想を求めて転々とする人が増えているという。

いわゆる青い鳥症候群。


これは個人の問題だけだとは言い切らない部分はあるが、

考え方次第だと思う。


童話の「青い鳥」よろしく

実は幸せは身近なところにあるはずだ。


そして、自分にとっての“青い鳥”は

探し続けるからこそ見つかる。


そのためには自分が決めた目の前の道を

懸命に生きること。


その積み重ねでしか見つかるものも見つからない。


冒頭の質問に自信を持って「はい!」と言える

日々を生きていたい。










「なんのために生きてんだ。」


原発の処理を巡り、いまだに利権の駆け引きを続ける政治家や財界人に思った。


情熱や使命といったものは現実に押し込まれていく。


それは何も政治家たちばかりのことではない。


その人の声が聞こえてこないことが多い。



「何のために生きるのか」


これは人として生きる根源の問いだと思う。


その問いが哲学、芸術、宗教、文化を生んだ。


その積み重ねが現代。


今のような世の中は、この時代に生まれた我々には実感がないが

当たり前ではない。


何千年もの積み重ねがあって今の世の中がある。


自分の生きたいように生きたい、進歩したい、豊かに暮らしたい、

人々の欲、願望が原動力となり、多くの人の血や汗を流して今に至る。


おそらく昔よりも今の世の中は進歩してきていて

昔の人々が求めていたことができるようになってきている。


それでもまだ進歩を求める人間の欲はとどまることを知らない。


悪いことではない。

それが人間の歴史を発展させてきた。




しかし・・・。



今の世の中では多くのことが満たされすぎて

先に述べた問いを問いかけなくなってきているような気がする。


世の中に溢れる、保身、安定、事なかれ、罪のなすりあい、損得・・・。


いかに自分を傷つけずに生きていくか。



どんなことしたって、いずれは消えゆく命という事実をしっかり見据えているのだろうか。


その事実をいつもわきまえておけば

自分の生き方も日々の言動にも筋が通ってすっきりしてくるはずなのに。



生き方は顔に出る。


佇まいや会話の端々に品性が出る。


おそらく傷つくことを乗り越え、抱えながらも進歩(学び)の足を止めてない人だろう。



自分も年の取り方には責任を持ちたい。


自分の顔にも責任を持ちたい。


10年後、20年後には今の自分を軽く飛び越えてやる。


そのためには日々、学ぶ姿勢を絶やさないこと。


そして、


何のために生きてんだ、と問い続けることだと思う。



安っぽいかっこいい顔はいらない。



顔で語れる人になりたい。