このブログには勝手気ままに思ったこと書いていくので、

あまり肩肘張らずにさらっと流してくださいね。


という前置きで、

先日観た『TOKYO!』の感想を書きます。

評論ではありません。本当にただの感想です。

ちょっと息抜き。



ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノ。


という何とも奇妙な組み合わせの監督3人によるオムニバスだったわけですが、

一番のお目当ては何といってもカラックス!!!!



もう本当に彼の作品はどれも好きで

『汚れた血』のあの瑞々しさは、映像を思い出すだけで

心臓が不整脈に陥りそうにドキドキします。


もちろん、その主人公「アレックス」ことドニ・ラヴァンの存在も欠かせません。

(彼の姿は音楽好きならJonathan Glazerが監督したradio headのPVで観てるかも。

トンネルの中をふらふらと歩くドニ・ラヴァンに、最後車がぶつかるんだけど、

逆に車がぶっ壊れるやつ。)



デヴィッド・ボウイの曲をバックに

アレックスがアスファルトの上をひたすら踊り、

よろめき、

走り続ける、

あの長い長いドリーショットは、

現代映画ではもう決して体験出来ないんじゃないかと思わせる、

そんな魔法の一瞬(というには本当に長い。でも永遠に観ていたかった。)です。


危うく今までの作品を全部語ってしまいそうです。


一言じゃ上手く言いあらわせませんが、

彼の作品は全体として映画的な瞬間(ロマンスやエンタテイメントを含んだ)

を随所に紡ぎつつも、「現前性」等の言葉を想起させる哲学も織り込まれた、

いかにもフランスらしい作品だったわけです。



で、今回の『TOKYO!』で、そこに留保が加わってしまいました。


いや、別にそれが嫌だと言っているわけじゃないことをまず言っておきます。



まずストーリーを要約すると、


ある日、東京でマンホールから謎のみすぼらしい身なりの男(ドニ・ラヴァン)が

出現する。彼は銀座の街を徘徊し、女性の脇を舐めたり、菊の花や紙幣を食べ

たりして人々を恐怖に陥れる。そして終には地下で発見した手榴弾を、東京の街

で爆破させ死傷者を出す。

爆破テロ犯として捕まった彼は、調査によって世界に数人しか話せない言語を話

す民族だということが判明。そしてその言語を使用できるフランスの司法長官が、

裁判等の通訳として来日する。

「何故日本人を殺したのか?」「女性器みたいな卑猥な目をしてる日本人が大嫌

いだからだ。」

彼に死刑が言い渡される。絞死刑が執行されるが、彼はなかなか死なない。

そのうち目隠しが外れ、片目が覗く。彼が死刑見届け人たちの後ろに目線を遣る。

見届け人たちが、それにつられ後ろを見て前を向きなおすと、彼はいなくなっていた。



ひとまずストーリーは以上です。



なんだか、長くなりそうなので、続きはまた明日にでもしようかと思います。



ちなみに、この作品のタイトル、『MERD(糞)』です。



なんか、このブログのタイトルを和訳するとジョジョっぽくなってしまうのは、

俺だけかな。


「カルペ・ディーエムッッッッ!!←スタンドっぽい

(今日という日の花を摘み取れっっ)!!

映画っ!それは決して僕を待ってはくれないぃぃぃっっっっ!!!」


みたいなね。




あ、評論のルールを決めました。


①監督だけを重要視しない


②製作の背景(時代背景、流行も含む)は棚上げする


です。



出来るかわかんないけど。

極力そうしたいですね。


そのルールで何がしたいかというと、

全く違う年代やジャンルの作品の並置を可能にする価値観を養いたいなと。


自分の評論を読んでくれた人が、

レンタルビデオ屋を、より自由な感覚で有意義にクルージング出来る。

そうなってくれれば成功かな。




さて、昨日のブログで書いたように、

3作品の評論を書き始めているんですが、


んんー、なかなかどうして悩ましい。。


本当は『パンズ・ラビリンス』が個人的には大好きなのに、

現在の自分の立ち位置からは

批判する方向にならざるを得なくなってしまいました。



冷静に3作品を分析して、比べれば比べるほど、

『ローズ・イン・タイドランド』と『パンズ・ラビリンス』が

演出過剰に感じられて、もどかしい。


エンタテイメントである、という意味ではなく、

映像と脚本の演出があざとすぎるんです。


幼稚、と言えるかもしれません。


映画学をかじった評論家気取りが映画作ってるみたいなんです。


それに嫌悪感を抱くのは、以前までの自分の考え方に近いからだと思います。



そうなると、

やはり『ミツバチのささやき』はどうしたって「すごい」

ということになってしまいますね笑


参りました。





軽く今までの自分の好みに疑問は感じていたものの、

ますます明らかとなった「評論する自分」と「観客としての自分」の乖離。


健全とは言えませんよね。



将来は評論と制作を両輪として行きたいのに、

このままではどこかで行き詰るのではないか、


などと要らぬ心配をしてしまいます。





写真また少しアップしようかな。

タイトル怪しいですね。


いまひとまず書いてる評論は

『ローズ・イン・タイドランド』('06、テリー・ギリアム)

『パンズ・ラビリンス』('06、ギレルモ・デル・トロ)

『ミツバチのささやき』('73、ヴィクトル・エリセ)

の三つを平行して比較しながら書き進めているところです。


正直言って比較して何が出てくるか、本当に比較する意味があるのか、

というのがまだ定まっておりません。


一番やりたかったのは『パンズ・ラビリンス』です。


3つとも「不思議の国のアリス」的な物語形式で、

かなり図式的には似通っている作品なんですが、

その図式を通して描かれる世界観には、はっきりと断絶があり、

そうした類似点と相違点を並べるだけでも

かなり面白いんです。


目指したいのは、この3作品を通して、

精神分析的な映画作りとそれに賛同する評論家を攻撃すること。


「ああ、これ《父の不在》ってことでしょ。」


とか言ってるやつの鼻っ柱を叩き潰してやりたいわけです。


何年か前から、カンヌやベネチアで賞を取るのが、

こういった分析が容易に出来ちゃう作品が多い気がして、

正直言って見ててイライラします。


お前の自己満足のために、映画の中とはいえ、登場人物をあそこまで苦しめていいのかと。



あー、方法が定まるまで程遠い。

やりながら考えるしかないですね。



別の方法としては、デヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』を持ち上げて、

リンチの今までの他作品に決別する方法もあるんじゃないかとも思索中です。