もしあと1年で人生が終わるとしたら?
小澤 竹俊
2022/04/03
★ひとことまとめ★
後悔なく日々を過ごすために
↓以下ネタバレ含みます↓
作品読みたい方は見ないほうがいいかも
【Amazon内容紹介】
もし、あと1年で人生が終わるとしたら?
人間関係、家族、仕事、夢、目標、あなたは後悔がないと言い切れますか?
3500人を看取ってきたホスピス医がつづった「人生を変えたいと願う」すべての人に読んでほしいメッセージ。
はじめに、みなさんに質問です。
もし、あと1年で人生が終わるとしたら、あなたは、
旅行に行きたいですか?
家族と楽しいときをすごしたいですか?
もっと仕事をしたいですか?
趣味に時間を使いたいですか?
おいしいものが食べたいですか?
ほしかったものを買うでしょうか。
まだまだやりたいことがたくさんあるという人がほとんどのはず。
では、なぜあと1年とあなたに問いかけるかというと、人生に締め切りを
設けることで、何がやりたいか、何が大切かを明確にしてほしいからです。
【人が人生の終わりに考えること】
年間、人生の最終段階の医療に携わり、3500人を超える患者さんたちをお見送りしてきて、私には一つ、気づいたことがあります。
それは、「死」を前にすると、人は必ず自分の人生を振り返るということ。
そして、自分の人生で誇れること、後悔していることなどを少しずつ整理し、最終的には多くの方が、「良い人生だった」と納得して、
穏やかにこの世を去っていかれます。
日々忙しく過ごしていると、人はなかなか、自分の生き方を見つめ直したり、自分にとって本当に大切なものに気づいたりすることができません。
でも、もし。もし、あと1年で人生が終わりを告げるとしたら……。
私が関わってきた患者さん同様、きっと多くの人が、自分の人生に思いをはせるのではないでしょうか。
ただ、元気に生きているとき、私たちはなかなか、その大切なものに気づくことができません。
人生の終わりが近づいてきたとき、初めて、それが何であるかを知ることも多いのです。
ですから、これからの人生を、少しでも悔いなく生きるために。
より良く生きるために。
考えたいことを1冊にまとめました。
【あらすじ & 感想】
結構前に図書館で予約していて、やっと順番が来ました~
偶然ですが、最近生きること、死ぬことについての本が続いていますね
日々何気なく過ごしていると、当たり前のように来年再来年も自分は生きていると思ってしまいますよね。
桜だって、今年見られなくても来年見ればいいや。
あそこに行ってみたいけれど、まあいつか行けたらでいいや。
そうやって後回しにしていることって意外と多いと思います。
けれど。
もし、あと1年で人生が終わってしまうとしたら。
当たり前に来年も生きているだろうと思っていたけれど、そうじゃなかったとしたら。
自分の命は有限である、しかも残り365日だと気づいた時、あなたならどのように残りの人生を生きますか?
こちらの作品では、お医者さんとして多くの患者さんの終末期に関わった著者・小澤さんが、限りある人生をできるだけ後悔なく過ごすための心の持ちよう・考え方をアドバイスしてくれます。
いつどこで死ぬことになるかは、誰にもわかりません。
余命宣告され、残り時間を把握しつつ過ごせることはまだ幸せなのかもしれない。
事故で、自然災害で、急に亡くなってしまう可能性だってあります。
それは、誰にもわからない。
誰にでも必ず訪れる”その日”が来たときに、「いい人生だった、自分は精一杯やりきった」と思えるよう、毎日を大切に生きていきたいと改めて思いました。
誰かの役に立つことだけを「意味のあること」ととらえる考え方には限界があります。
その理屈でいくと「自分は誰の役にも立っていない」と思った瞬間、自分の人生の意味や自分が存在している意味を見失ってしまうからです。(P22)
この世に生きているすべての人に、必ず、何らかのミッションがあり、人はただ生きているだけで、ミッションを果たしています。
ミッションは、他人と比較して「価値がある」「価値がない」などと評価するものではありません。(P25)
夢や目標があれば、生きる指針ができ、励みになるでしょう。
しかし、「やりたいことがあるのは当たり前のことだ」という価値観は、ときに人を苦しめます。
やりたいことがわからないとき、夢や目標がもてないとき、「自分はつまらない人間だ」「自分には価値がない」と思ってしまいがちだからです。(P31)
→SNSを見ていると、やりたいことや夢や目標を持っている人がたっっっくさんいますよね。
見ていると、夢や目標がない私はダメなのかなと思ってしまう。
さらに、何かで自分が頑張っていたとしても、この人は成功しているのに自分は…という卑屈な気持ちになることもあります。
そう考えると、人と比較していいことってあまりありませんよね。
特に私の場合、人と比較した時に良い影響よりも、「自分はなんてダメなんだ・・・」と思ってしまう質なので、やりたいことがわからない時や夢や目標がもてないときのSNSは毒でしかありません
何らかの選択を迫られたとき、わざわざ悪い方を選ぶ人はいません。
ほとんどの人は、常に「より良い」と思った方を選んでいるはずです。(P35)
いくつかの選択肢の中から、常に何かを選ばなければならず、どれほど考えて、より良いと思えるほうを選んだとしても、「あのとき、ほかの道を選んでいたら、どうだっただろうか」といった思いは残ります。(P80)
私たちは、「自分が後悔している」という事実を認め、受け入れていくしかないのです。(P37)
→自分はいつも悪い方ばかり選んでしまうと過去をクヨクヨと悩むことが多いのですが、そう考えてみると、確かにその時は「こっちのほうがより良さそう!」と思って選んだんですよね。
悪い方を選んでしまったとクヨクヨ思うことで、過去の自分をひたすら責めているんです。。。
だから、いつまで経っても自分の選択や行動に自信が持てない…。どんな選択をしても、未来の私に責められる…。
何か…自分で自分を責めて、、、いつまでも認められない過去の私が可哀そうだなと思いました
(なんかいつも同じようなことで悩んでいる気がするな…)
歩ける距離が徐々に短くなり、布団で過ごす時間が長くなります。
次に、食事量が減っていき、昼でも寝ている時間のほうが長くなっていきます。(中略)
肉体が死に向けて、きちんと準備を整えてくれます。眠るように赤ん坊に戻っていくのです。(P52,54)
→赤ん坊に戻っていく、という表現が印象的でした。赤ん坊として産まれて、だんだんとできることが増えていって、そして少しずつ出来ることが少なくなって、赤ん坊に戻っていく…。
孤独を楽しむことができれば、これから先の人生に、たとえ辛い別れがあったとしても、きっと乗り越えていけるはずです。(P87)
何らかの存在とつながっている、見守ってもらっていると感じられること。
それこそが心の支えになり、孤独を癒やしてくれるのです。(P92)
→孤独だけど、孤独じゃない。1人で生きているようでも、実際は沢山の人たちや自然などによって生かされている。
運転手さんがいなければ当たり前に乗っている電車も動かないし、店員さんがいなければお店も成り立たない。木があって雨が降って、酸素があって水があるから、自由に呼吸ができて水分もとれている。
自分なんて独りぼっちだと思っても、実は、実はそうじゃない。
まあめちゃくちゃ孤独を感じる時(鬱期)は冷静にこんな風には考えられないんですけどね。
一人称の幸せは、多くの人とわかち合うことはできませんし、お金でも地位でも名誉でも、何かを手に入れれば、必ず「失う恐怖」がつきまといます。
一人称の幸せは、他社との奪い合いになることが多く、常に他人と競争したり、人と比べて優越感に浸ったり、落ち込んだりすることになるため、心に平和が訪れることはありません。(P102)
世の中は理不尽です。
努力が必ず報われるとは限りませんし、「努力すれば報われる」と思っていると、現実とのギャップに苦しむこともあるでしょう。
でも、たとえ良い結果につながらなくても、「努力をした」という事実は残ります。(P112)
→学生の頃、ディベートの授業があって、同じグループの子が全く事前準備等してこない子だったんです。
ちゃらんぽらんというか調子いい人というか、明るくて常に笑っている印象の子だったんですが、そういう真面目な部分では非協力的でした。
確か自分がチームリーダーかなんかで、事前準備とかまとめたりとか大変で…ディベートなので勝ち負けがあったんですが、負けた時はすごく悲しかったのを覚えています。
しかも、その子は非協力的なのに「負けちゃったよ~!!!」とか残念がって言う子で。
「いや、お前なんもやってないじゃん」「私のせいなの?」とイライラして悲しくて、でも面と向かって怒ることはできなくて。
そのとき他のチームメンバーの男の子から言われたのが、
「この経験は絶対無駄にならない、努力は絶対に誰か見ていてくれてる、いつか報われるよ」という言葉。
これ、すごく良い言葉にも捉えられますが、私は今でも「綺麗ごとを言うな」と思っています
結局上記出来事から12~3年経っていますが、いまだに報われたとは感じていません。
どこに行っても調子のいい人はいるし、こちらの努力を平気で横取りする人もいるし、「ありがとう」って言えばすべてチャラになると思っている人もいる。
彼の言葉であっている部分を挙げるとしたら、「経験は無駄にならない」だけです。
あの経験により、どこに行ってもあの時のような調子の良い人はいるから、注意しなければいけないということがわかりました。
あとは、あの時のディベートメンバーはいまでも大嫌いですが、あのときやり切った自分は偉いなと思ってます。
努力は報われてはいないけれど、努力した自分は偉い。
もうだいぶ前のことなのにいまだに引きずっている原因は、あのとき彼女に面と向かって「あなたもちゃんとやってよ」と怒れなかったからかなあ。
いまなら言えるけれど、当時は言えなかったんだよなあ~。
そういう意味では、この経験から成長はできたのかな~。
世間はどうしても、華々しい活躍をした人ばかりに注目します。
歴史の教科書に名前が残るのも、ごく一部の人だけです。
でも、そのような人たちの人生と、私たち一人ひとりの人生に、価値の違いはありませんし、
他人の評価と、「本人が自分の人生をどのやうにとらえているか」「本人が自分の人生にどれだけ満足しているか」は、まったく関係ありません。(P120)
「あと1年で人生が終わるとしたら、これをやる必要はあるだろうか?」と考えてみるのも、いいかもしれません。(P152)
→そう考えてみると、今の仕事も、とろうと考えている資格も無意味に感じてくる…のですが、極端にあれもこれも無駄だ~と考えるのは早計ですよね。
自分がいつ死ぬかわからないけれど、それは逆に90歳くらいまで長生きする可能性もあるということで…
やりたいことをやって後悔を減らすのはいいけれど、投げやり(どうせあと1年で死ぬかもしれないなら仕事も辞めよ~!保険も解約しよ~!貯金も使っちゃお~!)になるのは超危険ですよね。。。。
あと1年で人生が終わるかもしれないと思いつつも、長期的な目線も持っていないといけない…。
自分の気持ちに誠実に、正直に生きれば、人は自ずと、進むべき道へ進み、本当に自分らしくいられる場所にたどり着くことができると、私は信じています。
そして、自分が本当に自分らしくいられることこそが、自分の尊厳を守ることにつながります。(P161)
→自分らしく、が一番難しい
誰の期待にも応えようと、自分を出来るだけ押し殺して生きてきた人にとっては、自分らしさってなんだっけ?というスタート地点からまず躓くんですよね。
私ってどんな人間だったんだっけ…何に楽しいと感じて、何を嫌だと感じたんだっけ。。。
本を読むことは変わらず好きです生き物も好き
他には…。
これがパッと出て来ない時点で、自分の軸を大事にしないでいままでやってきたんだな~ということがわかります。
しかも、コロナ禍で尚更やりたいことができずにいたら、そもそもやりたいことってなんだったっけ…になってしまった。
結婚、妊娠、出産を経験すれば、否が応でも仕事から切り離される期間が出来ると思うんですが、私の場合はそうではないので普段はほぼ仕事のことが頭の中を占めているし、プライベートは楽しい気持ちよりも不安な気持ち(私は一生独身なのだろうか…親は健康でいるだろうか…等)のほうが多くて…心休まることがほぼないんですよね
楽しみにしていたゼルダBotWの発売も延期だし…(より良い作品が出来上がると考えたら楽しみだし、仕方ないんですけど、、、仕方ないんですけど)
そりゃ白髪も増えるし鬱にもなるわ~と思います。
仕事でうまく行けばその時しばらくは嬉しいけれど、そうじゃないことのほうが多いんですよね~。
私は営業職なので、常に数字数字だし、上手く行っている時でも「あの見積り・構成にミスはなかったかな…」「あの人にあれをお願いして、これを忘れないように持って行って、この申請をして…」と大丈夫かなと常に頭のなかがいっぱいです。
営業職……向いていないのでは……
そう思うと仕事も大事だけれど…
自分の好きなことは何か、やりたいことは何か、どうしているときに自分は楽しいのか、嬉しいのかをもっと考えて、必要なら仕事とプライベートのバランスを変えていかないといけないな~と思いました