永遠のおでかけ
益田ミリ
2022/03/28
★ひとことまとめ★
誰もが行くことになる、永遠の旅
↓以下ネタバレ含みます↓
作品読みたい方は見ないほうがいいかも
【Amazon内容紹介】
「大切な人の死」で知る悲しみとその悲しみの先にある未来。
誰もが自分の人生を生きている。
益田ミリ、新たな代表作! 珠玉のエッセイ20編を収録。
(目次)
・叔父さん
・タクシーの中で
・売店のビスケット
・ほしいもの
・おでんを買いに
・ドールハウス
・父語る
・縁側のできごと
・父の修学旅行
・美しい夕焼け
・冷蔵庫の余白
・クジラの歌
・おばんざい
・最後のプレゼント
・クラスメイトのこと
・ひとり旅
・桜花咲く頃
・わたしの子供
・卓袱料理
・ハロウィンの夜
【あらすじ & 感想】
もう桜が満開ですね
桜ってほんのりピンクで本当に可憐で可愛らしいです
お花だと薔薇や椿なども好きですが、はらはらと散る桜の花吹雪には切なさや儚さを感じて、他のお花とはまた違った魅力があります
↑青山霊園
この作品は、読んでる間終始泣きっぱなしでした
益田ミリさんの本は過去に何冊も読んでいますが、その中でも益田さんがお父さんについて書いた本があるんです。(こちらのブログに書いています。)
その本を読んで、なんだか益田さんのお父さんを身近に感じていたので、余計に今回の作品は辛かったです
この作品は、「死」についてのお話が中心となっています。
益田さんの叔父さん、そしてお父さんの死。
身近な人の死を通じて、益田さんが感じたこと、心の動き、などが書かれています。
死は、来てほしくないと思っても、絶対に避けることはできず、だれにでも必ず訪れます。
私の話になりますが、
一時期鬱が酷かったとき、私は「両親の死」に対してものすごく恐怖を抱いてました。
自分が死ぬことは怖いと思わなかったのですが、両親が今この瞬間に事故にあっていたり、
明日急に体調が悪くなって亡くなってしまったらどうしよう、この前会ったのが両親との最後だったらどうしよう、
と、ひたすら一寸先の未来に対して不安を抱いてました
むしろ、両親が亡くなることを考えたら、
辛すぎて耐えられそうにないので、
そうだ、それなら自分が先に死んじゃえばいいのかもしれない…というとんでもない発想もしていました
それなら辛くない!と……。。。
鬱が良くなってから、そこまでのことを思うことはなくなりましたが、
人はいつどのタイミングで亡くなるかわからないな、ということは日々心に留めています。
いつどこで亡くなるかは誰にもわからないし、大きな病気もないからずっと元気だと思っていても、急に…ということもあるし、
事故や自然災害などもいつ起こるかわからない。。。
次も元気で会える保証は、どこにもない。
本当は、大切な人たちには長生きして欲しい、というのが心からの願いなのですが、
もしかしたら今日が最後の日なのかもしれない、と思っていつも人と接するようにしています。
それはそれですごく精神的にしんどいんですが(全力で楽しめないし)、あとになって後悔の念に苛まれるよりはマシかなと。。。
なので、相手に対しての言葉もできるだけ選んで使うようにしているし、特に「ありがとう」という感謝の言葉は恥ずかしがらず言うようにしています。
昔は、父親に向けて「ありがとう」と言うことが少なかったのですが、最近は意識して使うようにしています。
とにかく、両親も、私自身も、周りの大切な人たちも、後悔ができるだけ少ない状態で最期を迎えられたら良いなと思っています。
そんな、私の死に対する話は置いておいて…、
この作品では、叔父さんやお父さんの死を経験し、その時に感じた益田さんの心情がリアルに書かれています。
リアルに、というのは、生々しいとかそういう訳ではなく、とても現実的なんですよね。
日常で、ふと悲しみが襲ってくる瞬間とか、そういう時の気持ちの描写にとても共感できるんです。
・病人に食べたい物をリクエストされるのはうれしい。生きることに貢献できる喜びである。(P21)
・そう遠くないところにある父の死。父の死は、本人にも、誰にとっても初めてである。(P25)
→当たり前のことなんですが、最初で最後、1回きりだからこそ、本人も周りもどうするのが一番良いのか悩みますよね。
・父が元気になったと言っても、趣味のグランドゴルフや畑仕事ができるようになることは、おそらくもうないのだった。好きだった読書も、疲れるようですっかりしなくなった。(P38)
→私の祖父が癌で入院していたとき。
祖父は登山や写真、絵を描くのが趣味だったので、「また山に登りたい」とつぶやいていたのですが、
結局そのまま退院できず、山登りにいく願いは叶いませんでした…。
また行きたいと思う場所に、人生であと何回行けるだろうか?
好きなことをあとどのくらいできるだろうか?
と祖父の死のあとから私も考えるようになりました。
もしいまの私だったら…、
登山ができない祖父に、Youtubeなどにあがっている山のVR動画とか見せてあげたかな…?
でも、それもどうなんだろう。
もう本物を見ることができないということに、余計悲しさを感じさせてしまうのだろうか…。。。。
・父はなんの躊躇もなくポケットから布の小銭入れを出し、おでんを買った。父が、わたしに買ってくれる最後のものかもしれなかった。(P41)
→やることなすこと全てに対して、これが最後なのかもと思ってしまいますよね。
・叔父が亡くなり、布団の中の亡骸を前にしたとき、一瞬、怖い、と思った。しかし、清められ、布団から棺に納められた姿を前にすると、なにかが、フッと、変わったのだった。
亡骸は、あらゆるものから守られているように感じられた。もう怖さはどこにもなかった。そこにあるのは安堵だった。(P47)
→祖父が亡くなった時、私は高校3年生で翌月には受験だったので、塾にいたかなんだかですぐに駆け付けられませんでした。
私が祖父と対面したのは、病院からすでに安置所に移送されて、1日近く安置されたくらいのタイミングでした。
亡くなってから時間も経っていて、冷蔵されていたのもあり、肌はとても冷たくて、乾燥していたからか髭が伸びていました。
いまでも祖父と対面した瞬間は覚えていますね。とてもショッキングで、怖かったです。
父と2人で車で行ったのですが、父の前では泣きたくないという気持ちがあり、(肌が)冷たいね、とかそんなことしか言わなかった気がします。
おじいちゃんありがとう、なんて言ったら涙が止まらなくなりそうでした。
後日、棺桶に入った祖父を見ても、安堵の気持ちは湧きませんでした。
身近な人の初めての死だったので、ショックで怖くて、その感情しかありませんでした。
けれど、それから父方の祖父母が亡くなり、最後に母方の祖母が亡くなった時は、対面した瞬間怖さよりも安らぎを感じました。
それは、ひとえに祖母の入っていた施設の方たちのおかげだと思います。
安置されているお部屋には、お花と祖母の写真が貼ってある色紙、祖母は死化粧もしてもらっていて、祖母はいろんな人に見守られて、旅立って行ったんだなと思いました。
長い間お疲れ様でした、いままでありがとう、と心の底から思えました。
棺桶に入って、たくさんのお花や好きなもの、そして子孫に見送られる祖母を見た時、そこに怖さは全くありませんでした。
過去3回祖父母の死を経験したことで、4回目でようやく死に対して怖さだけでなく、安らぎを感じられたのかなと思いました。
・父がこの世に存在しているうちに、聞いておきたいことがあるだろうか。考えてみたが、これといってなかった。そこそこ聞いてきたような気がするからである。
しかし、父自身に改めて語りたいことがあるかもしれない。聞いてみようか。(P50)
→もっと祖父からいろんなことを聞いておけばよかった。
仕事をしてたときのこと、趣味の登山のこと、若かった頃のこと…もう、祖父から直接聞くことができないんだ。
と後悔しました。
祖父が亡くなったとき、私の中で思い浮かんだのは漫画”黒執事”のワンシーンでした。
読んだことある方は知ってるかもしれませんが、死神によって、その人の走馬灯(レコード)が映画のフィルムのようにブワッと放出される、あのシーン。
祖父にも祖父のフィルムがあって、けれどそれはもう祖父自身から聞くことはできない。80年以上の長さがあるフィルムの中で、私が知っているのは数年分、いや、純粋に祖父と会っていた日数で考えると、365日分にも満たないかもしれません。
祖父のフィルムの、断片的な複製であれば母や叔父叔母から聞くこともできますが、あくまでも語り手の主観が混じった話になるので、純粋な祖父の話とはまた違った内容になるはずです。
祖父の、80年以上あったフィルムは、もう2度と再生されることなく、消えてしまったんだなあ…と、とても悲しくなりました。
同じく漫画の”走馬灯株式会社”のように、わざわざ祖父の走馬灯を再生してまで覗き見してみたいとは思いませんが、祖父の口から直接、祖父の経験談や感じてきたこと、長年生きたうえでの人生の教訓など、聞いておきたかったな、と。
・長生きすれば、誰もが、いつか老人になる。頭では理解していても、それを実際に肌で感じられるようになるには時間がかかる。
あの頃は、父も母も若かったのだなぁと思うことが増えてきて、わたしもようやく実感できるようになっていたのだった。(P63)
→私は30歳過ぎてから実感するようになりました。よく見る夢では、父母は40~50代の頃の見た目で出てくるんですよね。
恐らく、私が高校生大学生くらいの時ですかね。見た目も今よりも若くて、少しふっくらしてる感じ。
今の父母は、夢で見るよりも一回りくらい小さいです。たまに、「あれ?こんなに細かったかな?シワがあったかな?こんなにはっきり骨も
浮き出てたかな?」と感じることもあり、
当たり前だけれど、両親の老いを感じます。
また同時に、自分自身もいままで無かったシワやシミの出現に驚いたり、体の不調を感じることがあり、当たり前ですが自分も同じ分だけ歳をとっているんだと実感しています
・残してもいいから、なにかを食べたいと言ってほしかった。高くてもいい、無理難題でもいい、この先は父においしいものだけを食べてもらいたかった。(P64)
・小さな部品が、少しずつ外れていくみたいに、父の調子が悪くなっている。(P68)
・死んだ父親に会いに行くという、人生最初で最後の帰省であった。(P72)
・悲しみには強弱があった。まるでピアノの調べのように、わたしの中で大きくなったり、小さくなったり。(P73)
→津波レベルの悲しさが急に来ることも有れば、いきなり凪のように穏やかな気持ちになったり、けれどまたジワジワと波がたってきたり。
私も1日泣いてたと思いきや、
急に「そうだ、うどん食べよ」みたいに気持ちが切り替わったり、けれどうどん食べていると「よく天ぷらうどん作ってくれたな…」とか
また思い出してきて泣いたり…。
ずっと悲しみのどん底というわけではなくて、浮いたと思ったら急に沈んだり、また浮き始めたりと、すごく波がありました。
・こんなにきれいな夕焼けも、もう父は見ることができない、死とはそういうものなのだと改めて思う。(P73)
・もう、父のからだのことを心配しなくてよいのだ。心配して泣かなくてもよいのだ。そう思うと、胸のつかえが下りたようだった。(P88)
→確かに、大切な人がいつ亡くなるかと心配し怯え続けるのは、相当ストレスです。
大切な人が亡くなってしまうことはとても悲しいですが、もう毎日死に脅かされなくて良いと思うと、本人も遺族も穏やかな気持ちになれるのかなと。
・わたしのオトーさんだけではなく、誰のオトーさんも死んでしまうのだ。(P96)
・物語が人を強くする。(中略)大切な人が世界から失われてしまったとしても、「いた」ことをわたしは知っている。知っているんだからいいのだ。
それが白い蝶に代わるわたしの物語だった。物語のヒントは外側にあり、そして、人の数だけあるのだなと思った。(P98)
→私の祖父母たちの死に関する物語で言うと、過去に書いたのですが、てんとう虫の話があります。
詳しくはこのブログに書いてあるのですが、
先日久しぶりにてんとう虫の話を母としたら、私と母では解釈が違う部分があって驚きました。
私は、てんとう虫が家に来るときは、祖父母の誰かしらと思っていたのですが、母は、父方の祖母オンリーだと思っているらしいです。
じゃあ、複数匹来たときは?と聞くと、
それは全部(父方の)おばあちゃんだよ。と
おばあちゃん、どれだけいっぱいのてんとう虫に生まれ変わっているの…ww
母と私でも捉え方は違って、それぞれ違った物語になったんだな〜と感じた一件でした。
・いつか来る母との別れは、母の料理が失わる日でもあった。(P108)
→いつか父母の作る料理を食べられなくなる日が絶対に来るのですが、私も不思議と教えてもらおうという気にならないんですよね。
教えてもらって同じように作っても、同じ味にならないだろうなぁ、そうすると、教わっても意味ないかな~と。
そういえば母方の祖母が亡くなった時、「おばあちゃんが昔よく作ってくれたの」と、母が肉団子のもち米蒸しを作っていたことがありました。
再現できなくても、教わっておこうかなあ…
・「いいなぁ」描きながら、思わず口に出た。昨日も、今日も、明日も。漫画の中の家族は、みな、変わらなかった。歳もとらず、誰も死んだりしない。(P112-113)
・故人にゆかりがある食べ物に反応するのは、なにを意味しているのだろうか。
確かに生きていた。生きてなにかを食べていた。
その人がいたことの証明であるような気がするのかもしれなかった。(P147)
・心の中に穴があくという比喩があるが、父の死によって、わたしの心の中にも穴があいたようだった。
それは大きいものではなく、自分ひとりがするりと降りていけるほどの穴である。のぞいても底は見えず、深さもわからない。
しばらくは、その穴の前に立っただけで悲しいのである。それは、 思い出の穴だった。
穴のまわりに侵人防止の柵があり、とても中には人って行かれなかった。
けれども、しばらくすると、侵人防止柵を越え、穴の中のはしごを降りることができる。
あんなこともあった、こんなこともあった。
一段一段降りながら、懐かしみ、あるいは、
後悔する。
涙が込み上げてくる手前で急いで階段を上がる。その繰り返しとともに、少しずつ深く降りて、しばらく穴の中でじっとしていられるようになっている。(P154-155)
→誰かが亡くなってすぐは、故人をチラッと思い出すことさえ辛くて到底できず、
生前に私の名前を呼ぶ故人の声を思い出しただけでもうダメでした。
辛い、悲しい、もういない、信じられない、
後悔、などの感情が、さながらガスのように穴から出続けていて、穴に近づくとやられてしまう。そんなイメージでした。
暫くすると、ガスは薄まってきて、近づくことができる。それでも、その時の精神状態によっては、薄まったガスでもやられることもある。
ガスが薄まる速度は、故人との関係性に比例する気がしました。
大切な人であればあるほど、何年経っても穴付近への侵入禁止が解除できないレベルで、
濃厚なガスが漂ってる。
私が読書を好きになるきっかけをくれた祖父の場合は、10年経ってようやく滅多にガスを感じないレベルになりました。
それでもたまーに、後悔の気持ちなどが湧いて来ることはありますが、普段は祖父の死を自然に受け入れられています。
思い出しても、悲しさよりも懐かしさを感じる。
桜も、祖父ともう見られなくて悲しいではなく、祖父もどこかで見てるかな〜という気持ちになる。
前は妄想ですら悲しくなりましたが、
いまは祖父母みんな揃ってどこかでお花見でもしてるかな〜とか、そんな妄想も楽しめるようになりました。
結局すべてのことに共通すると思うのは、
「時間薬」なんだなと。
結局は時が解決してくれる。
悲しくて辛い気持ちも、時が経つことで昇華されていく。
その過程では、受け入れられないと泣きわめくこともあるかもしれないし、
一生この悲しみから立ち直れる気がしないと思うかもしれないし、
自暴自棄になることもあるかもしれない。
けれど、どんなに時間がかかっても、
いつかは時が解決するんじゃないかと私は思ってます。
なので、辛いときは辛い気持ちに正直に向き合って、好きなだけ泣いて悲しんでいいんじゃないかなと思います。
むしろ、我慢すればするほどガスが薄まる時間も長くなる気がします。
いつか絶対に誰もが永遠のおでかけに旅立つことになるから、そのときに後悔しないように、
大切な人たちと日々接していきたいと改めて思える作品でした