18冊目:ライオンのおやつ | 【読書感想文Blog】ネタバレ注意⚠

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読んだ本の感想とたまーに日常( ᐛ )

ライオンのおやつ

小川 糸

2020/06/03

 

 

 

 

★ひとことまとめ★

生きていることのありがたさを考えさせられます。

 

 

↓以下ネタバレ含みます↓

作品読みたい方は見ないほうがいいかも

 

 

 

【Amazon内容紹介】

人生の最後に食べたいおやつは何ですか――
若くして余命を告げられた主人公の雫は、瀬戸内の島のホスピスで残りの日々を過ごすことを決め、穏やかな景色のなか、本当にしたかったことを考える。
ホスピスでは、毎週日曜日、入居者がリクエストできる「おやつの時間」があるのだが、雫はなかなか選べずにいた。
――食べて、生きて、この世から旅立つ。
すべての人にいつか訪れることをあたたかく描き出す、今が愛おしくなる物語。
 
 
【感想】
緊急事態宣言が解除され、私の会社では6/1から出社&週1日のテレワーク義務化(今後もずっと)になりましたキョロキョロ
もともとテレワークを奨める側の仕事をしている会社なので、緊急事態宣言中も柔軟に対処してくれたのはありがたかったです星
ただ、家で仕事をしていたため、通勤時間がなくなったので本を読む機会がまったくなくなり…滝汗本
5月は1冊しか読んでないという結果に…ハートブレイク
ですが、通勤が復活したので今月からまた本を読む時間を積極的にとっていこうと思いますラブ
 
そして、まず読み始めたのがこちらの本。
ずっと前から気になっていて、ようやく購入しましたがひと月近くそのままにしていましたえーん
 
 
さっそくあらすじに入ります!
 
お話は、クリスマスの日、主人公である海野雫が”ライオンの家”に向かう場面から始まります。33歳という若さで癌を患い、余命宣告を受けた雫。担当医の見立てが正しければ、梅の花が咲き桜の花が咲く前には命は燃え尽きてしまう。そんな雫が終の住処として選んだのが、冬でも温暖な気候の瀬戸内に位置し、海が見渡せるホスピス”ライオンの家”だった。
 
ライオンの家にはマドンナと名乗るライオンの家代表や、食事担当の狩野姉妹、その他医師などのスタッフが常駐しており、ゲストが最期を迎える瞬間まで徹底したケアが行われている。
 
ライオンの家では毎週日曜日の午後3時からお茶会が開かれ、その際には”ゲストが最期にもう一度食べたい思い出のおやつ"がふるまわれる。おやつはくじ引きで決められ、できるだけ思い出の味に近づくよう忠実に再現される。
雫は、ライオンの家で飼われている犬の六花や、ゲスト、ライオンの家のスタッフと触れ合いながら、自分自身の人生や、生きること、死ぬことに向き合っていく。
三回目のおやつの時間のあと、雫はようやく自分が最期に食べたいおやつをリクエストする…。
 
 
これ通勤時間で読んだらだめですねえーん
涙をこらえるのに必死でした。雫がライオンの家についてからの生活は、結構のんびりゆったりとしているので、まるで何か月も経っているかのように思ってしまうのですが、実際はたった1か月ほど。おやつの時間は週に一度ですが、次のおやつの時間までがとてつもなく長く感じます。
というのも、ライオンの家にいるゲストはみな終末期のかたのため、1日の濃度というんでしょうか、とても濃いためです。
 
リクエストのおやつを作ってもらえても、もう食べることもままならないため食べることができない。先週のおやつの時間にいた人が、今週のおやつの時間にはいない。おやつのリクエストをしていた当事者が、おやつに間に合わず旅立ってしまう。
そしてそれは雫も例外ではなく、はじめは自力で歩いたり出かけたりすることができていたけれど、読み進めていくにつれて雫の容態もだんだんと悪化していきます。確実に死に近づいていっているのが伝わってくるので、読んでいていたたまれなくなってきます。
 
雫とは年齢が近いのもあって、読んでいて考えさせられました。
もしいきなり治らない病であることが発覚し、余命を告げられたら。それも、もう二度と同じ季節が迎えられないくらいの短さだったら。
”いつか”行こう、”いつか”会おう、”いつか”やろう、が、もう二度とできないことを知ったら。
自分はその立場にたったことがないので、その時の気持ちは想像することしかできないけれど、自分はただただ後悔と絶望すると思いますショボーン
とても、「この人生でよかった」「人生を味わった」とは思えないと思う。こうなるってわかっていれば、どうして自分が、と取り乱すことしかできないと思います。
 
今回のコロナもそうですが、人間ってなかなか”普通の日常が送れることに感謝”し続けるってことが難しいですよね。悲しさとか苦しさとかも含め、ストレスに対処したり進化するために人間には”慣れ”や”忘れる”といった機能があるので仕方ないですが、当たり前が当たり前じゃないって思い続けるのがなかなかできないですよね。
実際私も今回のコロナ禍で、当たり前に並んで買い物をしたり、映画を見に行ったり、カラオケに行ったりってことが、実は当たり前じゃなかったということに気づかされ、学校生活での行事や入学式、卒業式なども人生で一度も中止や延期になったことがなかったことも恵まれていたんだなと思いました。こういう悪い状況になってみないと、いままでの日常に感謝できないってのもどうかなと思ってしまいますが、そのくらいいろいろなことが自分の中で”当たり前”になっていたんだなと気づきましたショボーン
 
また、おやつの時間についても考えさせられました。
いままで生きてきて、おいしかったお菓子ってたくさんあります。有名などこそこのケーキとか。けれど、やっぱり最期に食べたいと思うのは、子供のころに母親と一緒につくったホットケーキだったり、家族と作った生クリームをべたべた塗ってフルーツを挟んだ不格好な手作りのクリスマスケーキだったり、食パンの耳が嫌いな私のためにあまった食パンの耳を揚げて砂糖をまぶしたものなど、そういった子供のころに食べた手作りのものかなあ、とキョロキョロ
 
小川糸さんの作品は、読んでいるだけでまるで食べ物の見た目・香り・味まで想像できてしまうような書き方なので、読み終わるころにはすっかり作品に出てきたおやつを食べたくなっていました。(カヌレ食べたかったんですがなかなか売ってませんでしたえーん明日買いに行こうかなと思ってますお願い
瀬戸内の風景も実際に見たことはないのに、きらきらとした海や、穏やかな島の様子もありありと頭の中に浮かんできました。こんな素敵な場所で素敵な人たちに囲まれて穏やかに最期を迎えられるなら、それは確かに幸せかもしれないなあとも思いました。
 
元気なうちに、やりたいことやって、行きたいところに行って、会いたい人に会わないとなと思いました。人生何が起きるかわからないですからね。楽しんで楽しんで楽しんで、死ぬときに「まあ悪くなかったかな」って思えるくらいにはしたいな。
 
 
いや~良いですね。考えさせられますが、同時に穏やかな気持ちにもなりますし、自分の生き方を見つめなおすいい機会にもなると思いますキラキラ
おすすめです。