仏教のひみつ(学研まんがでよくわかるシリーズ)
漫画:谷 豊
構成・文:松本 義弘
2019/05/22
★ひとことまとめ★
子供向けなのでわかりやすく学べます◎
↓以下ネタバレ含みます↓
作品読みたい方は見ないほうがいいかも
【内容紹介】
愛する者を失った悲しみを乗り越えるには…。まんがでわかる!!日本人が大切にしてきた仏教のこころ
【感想】
またまたまた子供向けの学習まんがですw
とりあえず一旦漫画シリーズはこれで終わりです!
また読むかもしれないけれど。
私は熱心な仏教徒というわけではありませんが、一般常識としてしろうと思ってね!
ストーリーは、主人公の葉月ちゃんの飼い犬が亡くなって、悲しくて立ち直れないときにお父さんから仏教の話を聞いてすこしづつ立ち直っていくってお話なんだけど、結構唐突に仏教の話になるから…w
ママ「ねえパパ、お釈迦さまの話もっとくわしくしてあげたら?」という、一般家庭ではなかなか出てこない会話…。
・卍は、インドの言葉ではスヴァスティカと読み、めでたいことの前兆・めでたいことの印という意味。中国では万字と読む。卍が一万を表す印として使われていたため。(P32-34)
→でことはマジ卍ってマジめでたい~なの!?って思うけど、そんなことはなく、やばいとかそういうニュアンスの言葉です
・お釈迦さまと呼ばれているのは、カピラヴァスツという国の王子の、ゴータマ・シッダッタという人物。ブッダという呼び名は、「目覚めた人」「さとった人」という意味で、ブッダを尊敬する人があとから付けた呼び名。
16歳で結婚するも、東の城門を出て老人に、南の城門を出て病人に、西の城門を出て死人に、北の城門を出て修行者に出会ったことで、29歳のときに妻子を残し、王宮を出て修行者となった。(P37-45)
・一切皆苦とは、すべてのものはみな自分の思い通りにならない。この世で生きることは苦しいことだという意味。この苦しみは煩悩によるもので、煩悩を消すことで苦しみが消えるので、修行を行う。(P51)
・ルンビニー(ネパール)、ブッダガヤー(インド)、サールナート(インド)、クシナガラ(インド)を仏教の四大聖地という。ブッダガヤーは釈迦がさとりをひらいてブッダになった場所、サールナートはブッダが最初に説法を行った場所、ルンビニーはブッダが生まれた場所、クシナガラはブッダが亡くなった場所。(P46-53)
・仏教に関係のある言葉
シャリ:亡くなったお釈迦様の骨を仏舎利というが、火葬したあとの粒上の骨が米粒に似ているから、シャリというようになった
だんな:もともとは人にものをほどこすこと、お布施の意味。そこから、僧がお布施をしてくれる信者をだんなと呼ぶようになり、やがて主人や年長者をだんなさまと呼ぶようになった。
醍醐味:醍醐とは、バターを煮てとかしたときに、表面にできるクリーム状の上澄みを精製したもの。ブッダの教えのすばらしさをこの醍醐にたとえて醍醐味といっていた。(P63-65)
大丈夫:仏教では菩薩のような人をさし、このような人の言動はまちがいないので、今のような使い方になった。(P122)
・木魚はもともとは寺院で僧侶たちを打ち鳴らした道具で、魚の形をした板だった。魚の目は閉じることがないため、僧侶たちが目を見開いて修行に励むように、魚の形の木魚を作った。(P80-81)
・仏像の種類
如来:悟りを開いた仏を意味する。渦巻状の盛り上がった頭で、手は印を結んでいるのが特徴。釈迦如来は仏になった釈迦の姿を表した仏像。出家後の釈迦がモデル。
菩薩:如来になることを目指して修行する者のこと。多くは装身具を身に着けている。観音菩薩は人々の願いの声をすべて聞き取って救済する菩薩。千手観音は千本の腕を持ち、掌のひとつひとつに目をもつ。その目で人々の苦悩を見て、救いの手をさしのべてくれる。地蔵菩薩は釈迦が入滅してから弥勒菩薩があらわれるまでの仏がいない間、人々を救ってくれる菩薩。
明王:厳しく戒めて仏の世界へ人々をみちびこうとする仏の姿。多くはおそろしい表情で描かれている。不動明王は明王の代表的な存在で、右手に剣、左手に「羂索」という縄を持っている。ふつうは、燃え盛る火焔の光背(仏の体から放たれる光を形どったもの)を背負っている。(P86-107)
あと巻末に書かれているうさぎの話がなるほどな~って感じでした。
月にうさぎさんがいて~ってよく言うけれど、あれは仏教説話からきていて、やつれた老人を助けるためにどうぞ自分を食べてくださいと自ら火に飛び込んで焼け死んだうさぎの話という。やつれた老人は実は帝釈天で、うさぎの捨て身の行動に感心して、うさぎの真心を永遠に残そうと月の中にうさぎの姿を留めさせた。さらに、そのうさぎはお釈迦様がまだこの世に出られる前に、うさぎと鳴って修行されていた姿だったという。
他にもネットで調べてみたら、実は続きがあって、焼け焦げたうさぎの皮を剥いで月に映して、剥いだあとのうさぎは復活したとか…。だから月の黒い部分(ようは、焼け焦げた皮)がうさぎらしい…。
仏教由来の言葉もそうだけれど、意外と子供のうちから仏教の教えに慣れ親しんできたんだな~と。除夜の鐘とかもそうだよね。
ブッダの教えが広まってもう何千年も経つわけだけど、文明も科学もいろいろ発展しても、それでも結局一切皆苦なんだよね、今の時代も。
いくらいろいろと便利になっても結局眼の前の苦しみ・煩悩からは逃れられなくて、修行を積んだりさとりを開かない限り苦しみつづける。というか、むしろSNSが発達したり、便利になったからこそ煩悩も増えたのでは?もちろん昔だって人と比較して苦しんだり、手に入らない物を手に入れたいと悩んだりしたかもしれないけれど、現代のほうが悩みや煩悩が生まれるきっかけというか、機会が多いのでは…。
わたしも諸行無常、すべてのものは変化し、生じては滅びるを信じて頑張っていますが、令和になっても一向に会社のお局様×2からの陰湿いじめが終わりません
とうとう社長に言いましたけども。
これが一切皆苦なんでしょうか???
ほんと生きていると苦しみばかりですね!!
1日8時間×240日会社行って仕事してるだけでおつかれって感じなのに、陰湿いじめもあるとか拷問ですぞ~