コンビニ人間
村田沙耶香
2019/03/02
★ひとことまとめ★
いろんな意味で衝撃を受けた本
↓以下ネタバレ含みます↓
作品読みたい方は見ないほうがいいかも
【Amazon内容紹介】
「普通」とは何か?
現代の実存を軽やかに問う第155回芥川賞受賞作
36歳未婚、彼氏なし。コンビニのバイト歴18年目の古倉恵子。
日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、
「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる――。
「いらっしゃいませー!!」
お客様がたてる音に負けじと、今日も声を張り上げる。
ある日、婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて、
そんなコンビニ的生き方は恥ずかしい、と突きつけられるが……。
【感想】
36歳、未婚、恋愛経験もない。
コンビニでアルバイトを始めたときから、自分のコンビニ人間としての人生が始まった。
自分の、細胞が、血が、肉が、体が、全てコンビニのために存在していると思いながら働く彼女。
家族から、周りから、自分が「変わっている」と認識されていると知ってから、みんなの言う「普通」になるために、周りが求める人間像、正常な人間にあてはまるために、コンビニで働きながら「普通」なように振る舞い続ける。
「あちら側」である彼女だからこそ思いついた、「普通」の人ならば思いつかないであろうあることをきっかけに、少しずつ彼女の環境が変わっていく。
「店員」であったはずの仲間たちが、「オスとメス」に成り果て、コンビニ人間であった彼女はコンビニを去る…。
コンビニ人間でなくなった彼女はどうなっていくのか…?
ストーリーの中でなるほどなと思った部分が、
「大学生、バンドをやっている男の子、フリーター、主婦、夜学の高校生、いろいろな人が、同じ制服を着て、均一な『店員』という生き物に作り直されていくのが面白かった」(P21)
これはたしかにな~って思って。いろんな境遇の人とかいるけれど、制服を着てしまえば、ただの「店員」として均される感じというか。
「今の『私』を形成しているのはほとんど私のそばにいる人たちだ。(中略)過去の他の人たちから吸収したもので構成されている。」(P31)
「私の喋り方も、誰かに伝染しているのかもしれない。こうして伝染し合いながら、私たちは人間であることを保ち続けているのだと思う。」(P31)
きっと自分もそうだと思うな。流行りとかもそうだよね。
誰かが言って流行った言葉をみんなが使うのと同じように、仲いい友人の口癖が移ったり、さらにその移った口癖が別の友だちにも移ったりして、自分は人に影響を与える人間だとは思っていないけれど、もしかしたらどこかで誰かに、私のなにかが伝染していってるのかもしれない。
「店長も、店員も、割り箸も、スプーンも、制服も、小銭も、バーコードを通した牛乳も卵も、それを入れるビニール袋も、オープンした当初のものはもうほとんど店にはない。
ずっとあるけれど、少しずつ入れ替わっている。それが『変わらない』ということなのかもしれない。」(P57-58)
「18年間、辞めていく人を何人か見ていたが、
あっという間にその隙間は埋まってしまう。
自分がいなくなった場所もあっという間に補完され、コンビニは明日からも同じように回転していくんだろうなと思う。」(P142)
なんて言ったらいいんだろうな~。
同じようで同じじゃない。でもずっとある。それって当たり前みたいだけど、実はすごいことだよね。
2つ目に関しては、スタッキング可能を読んだときみたいなイメージを抱いたけど、代わりってよっぽどの専門職じゃない限りいくらでもいるんだよね。
自分みたいな会社員が、ABCDって何人もいて、代替可能というか、歯車が壊れたらすぐ補充して、また動き出すというか。
自分がアルバイト辞めたり、会社辞めたときは特に痛感したなあ。
自分にしかできないだろうって仕事も、数ヶ月したら別の誰かが同じポジションになっていて、もちろんそうやっていかないとお店や会社がうまく機能しないってことはわかってるんだけど、代わりはいくらでもいるんだな~ってのを実感したな。
全体を読んでみての感想としては、私はとても衝撃を受けました。
というのも、私の友達にそっくりで。
私の親しい友達に、おそらくよく言われる「アスペ」を疑う子がいて、まさにその子の話し方や物事の捉え方にそっくりだったから。
私自身はおそらくこの本で言う所の「普通」の人間だし、「こちら側」の人間だと思う。
だからいままで友人との関わり方で何度も悩んだし、実際いまも悩んでる。
この本ってすごく人気になったし、賞もとったし、この本の主人公が「普通」の人から見たら、「異質」に見えるのもわかる。私もそう見えるから。だから、自分が理解出来ない物に対して興味というか、怖いものみたさというか、なんか物珍しい気持ちというか、きっとそういう気持ちでこの本は読まれてるのではないかなと私は感じた。
でも、本の中の登場人物ってだけではなく、実際自分の友人だと思って、友人の物語として読んでいたらすごく…なんとも言えない気持ちになって。
私もこの本で主人公をなんとか「治そう」とする主人公の妹のように、友人に「普通」を教えてきたんですよ。
友人はいまではだいぶ「普通」に近づいてきたと思うけれど、昔は本当に人の気持ちを考えたり、言ってはいけない言葉だったり、してはいけない行動だったり、そういうのが本当にわからなくて。
こういうことは、人には言わないほうがいいんだよ、とかこういうことは、しないほうがいいんだよ、と伝えても、主人公のように、
「自分のしたことはどうやらいけないことだったらしいと思ったが、それが何故なのかは、理解できなかった。」(P15)
「自分はまた何か悪いことをしてしまったらしいが、どうしてなのかは、わからなかった」(P16)
って友人は実際に思っていたし、同じように言われたこともある。
結局、私の友人も
「皆の真似をするか、誰かの指示に従うか、どちらかにして、自ら動くのは一切やめた。」(P16)と近い状態に今なっている。「普通」に見えるように、振る舞うというか。
私自身も、主人公の妹のように、なんでわからないの?
なんで普通になれないの?なんでこんな簡単なことがわからないの?って思ったこともあるし、泣きたい気持ちにもなったことも何度もある。いまでも思うときある。
でも、この本を読んでいて、友人の気持ちを覗いているような気持ちになって。
「あ、私、異物になっている。ぼんやりと私は思った。(中略)正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく。そうか、だから治らなくてはならないんだ。治らないと、正常な人達に削除されるんだ。」(P84)
友人はいつもこんなことを思っていたのだろうか。
実際、自分がまわりと比べて少し違うということは言われたことがあるし、人と話していて違和感みたいなものも、何度も感じてきたんだと思う。
私はもう何年も一緒にいるから、性格も理解してきてるし、それも友人の個性と思えるようにようやくなったけれど、初対面の人や、所謂「普通」が当たり前の世界で生きてきた人達からすると友人は「異物」でしかないから、そういうコミュニティーに友人が参加すると、「なんか変わってるよね~」「天然」とか、物珍しい生き物を扱うような感じで、皆友人に発言をするのね。本人は「そうかな~?」って感じで答えているけれど、聞いている私はすごく辛い。
「変なの~」とかさ、そうなの、友人は変だよ、たぶんあなた達の言う「普通」とは友人はかけ離れてるし、きっと「変なの~」という言葉がウケる~みたいないじりの気持ちだけではなく嫌味だったり中傷みたいな気持ちも混じっているのも友人は気づかない。
でも、それを聞いている私はすごく悲しい気持ちになる。
友人がそんな扱いを受けなくていいように、友人をなんとしても「普通」に近づけたいけれど、それができない。
私の友人もそうだけれど、この本の主人公も、どう生きていけばいいのだろうね。
人からどう言われても、理解できないものは理解できないんだもんね。なぜおかしいのかもわからない、人から「変」と言われることが、彼女たちの「普通」「当たり前」なのだから。
私は友人を「治す」ことはきっと無理なのだろうと、長年かけてようやく察した。でも、治すことはできなくても、友人が傷ついたり、人を傷つけたり、孤独になってしまわないように、
助言だったりをこれからもずっと続けていこうと思ってる。
友人にとっては「普通」な言葉、私からしたら「傷つく」ような言葉を友人に言われて辛い気持ちになることもたくさんあるし、それに苛立って私も怒ってしまうこともあるけれど、自分で言うのもなんだし、そんな大層なものでもないだろって思われるかもしれないけれど、ほんのちょっとでいいから、「普通」の世界と、友人の「普通」の間に立てるような存在でありたいなと思う。
この本の主人公のように、「普通」になるために身近な人の真似をしたりするんだよねやっぱり。だから、最近少し友人は考え方とかが、私にも似てきたなと感じるときがある。
そんな調子で、友人と向き合っていけたらな~と思うような作品でした。
普通の人とはちょっと違う視点からの読みかた、感想だったかもしれません…
普通の人がこの主人公を見たら「頭おかしい」「怖い」「キモい」「めんどくさい」みたいに思うだろうな。私も思うしね。
でも、世の中には実際この主人公みたいな人もいるからさ。
普通の人間が配慮してあげる義理もないけれど、それでもやっぱり同じ人間だし、彼らにも心があって、言われて悲しい言葉だってあるだろうし、なんかこう、尊重しあって生きていけたらいいね…
めちゃくちゃ長文ですね。それくらい自分の中で、
考えさせられるような本でした。(普通の人はここまで思わないと思います)