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やんしんブログ(数学教師@NZ)

計算と英語が苦手だったのに、今は英語で数学を教える数学教師。
奥さんはNZ人。
波乱万丈な人生の記録始めました。
#教育 #国際結婚 #数学 #英会話 #教師 #熱血教師 #ニュージーランド #ギランバレー症候群

昨日、嫁さんの体調が悪かったので、娘たちをCityに連れて行った。

Cityというのは、オークランドの中心部です。

 

8年ほど前、長女が3歳の時に、嫁さんが友達と出かけている間に、僕と娘がデートする際に行くのは、いつもCityだった。

午後5時以降は無料で路上駐車できる場所をぐるぐる回って、やっとの思いでスペース見つけて駐車する。

チャイルドシートから降ろして、手をつないで町の中心部まで5分ほど歩く。

 

あたりは真っ暗で、この街のシンボルのスカイタワーがライトアップされているのを見上げるだけで、普段の生活からは遠くかけ離れた世界を訪れている体験が得られ、それだけで娘は上機嫌になった。

 

やることと言ったら、夕飯を食べるだけなのですが、それだけではあまりにも淡白なデートになってしまうので、ロケットに乗り込むことにした。

 

「ロケット乗りに行こう!」って言ったら、娘が目を輝かせて「やったー!」って。

当時よく見せていたお母さんと一緒のDVDのロケットの歌を歌いながら歩く。

 

「ボロボロロケットボロボロロケットびゅーんびゅーんびゅん♪」

 

着いたのは、1階がフードコートになっている映画館。

僕がワーホリでNZに滞在していた時、当時彼女だった嫁さんと、よく食事したところ。

 

そこのエレベーターがロケットの形をしているんです。

嫁さんとデートしてた10年後、今度は長女とデートするとは、あの当時の僕は夢にも思っていなかっただろう。

 

エレベーターで1回と最上階を3往復ぐらいしたら、今度はゲームセンターに行き、娘をバイクに乗せたり、レースのゲームの車のハンドルを握らせたり、ジュラシックパークのゲームのライフルを握らせたりした。

 

それだけで、長女にとっては十分刺激的だった。

 

それが終わると、麵達というラーメン屋さんに行く。

そこで僕はラーメンを、娘は餃子とふりかけご飯を頼む。

当時、2人で30ドルもしないで食べられた。

 

そこから車に戻り、家に帰る。

ガソリンも当時は1リッター1.5ドルぐらいで、当時はCityの近くに住んでいたので、1リッターで行って帰ってこれるぐらいだった。

 

昨日は娘二人と、ほとんど同じようなコースをたどった。

もちろん昨日は、娘たちはゲームセンターでゲームを実際にプレイしたいと駄々をこねた。

 

まぁ、やらせはしなかったけどw

と言うのも、それまでに昼飯やら、駐車場代やら、そもそもCityに来るのに使うガソリン代も最近は馬鹿にならない。それまでにもう100ドルほど使っていたので、ゲームは諦めてもらった。

まぁ、プレーさせてもよかったんだけどね。

 

その夜、ベッドで横になりながら嫁さんと話す。

 

「俺ら、長女が3歳ぐらいの時って、本当にお金に余裕がなかったんだよね。俺は先生になれてなかったし、嫁さんの収入も決して高いわけではなかったし。だから、そんな娘とのデートもふた月に1回ぐらいが限界だったよね。」

 

振り返ると、金銭的には本当に苦しかった。

ぎりぎりだった。

それが、実は2年ぐらい前まで同じだったんです。

日本でまだ子供がいない時代に一生懸命二人で働いて作った貯金を、移住後に徐々に食い減らしていく生活だった。

フラットメイトを入れたり、個人指導をしたり、中古車輸入会社に名前を貸してあげたりして、なんとか貯金が減っていくスピードを送らせていく、そんな生活だった。

だから、贅沢なんて全くできなかった。

だから、無料で子供たちが楽しめるところを探して連れてってあげていた。

博物館や公営プール、牧場や公園。

長い休みに行くのは、嫁さんの実家だけ。

そうやって、無料で行けるところは大体いきつくした。

 

たまに日本に帰った時に、友達と飲みに行ったりするのも実はいっぱいいっぱいだった。

 

2年前から、僕は正規教員になり、収入が当時の4倍ぐらいに跳ね上がった。

僕のキャリアが反映され、さらに今の学校にフルタイムで採用になったおかげで、教員としては一番高い収入にランクされている。

そこでさらに嫁さんがうちの学校の受付で働き始めて、やっと子供ができる前と同じうように、貯金できるようになった。

 

「当時は、本当にケチケチしなければならなくて、そんな自分が嫌いだった。」と嫁さんに言ったら

 

「でもさ、すごく楽しかったよね。ニュージーランドに移住してから、ずっと貧乏だったけど、たくさん素敵な友達ができて、子供たちは心優しく育って、私たちの目の前にはずっとぶつかりがいのあるチャレンジがあって。すごく楽しかった。」

 

「本当だね。その通りだ。制限された部分はあったけど、それで不幸だとは思ったことがなかった。むしろ、本当に幸せだった。」

 

それでよかった。

それでよかったのだが、ここでタイトルの真意に触れると・・・この経済的な困難が起こることがわかっていたら、はたしてあんなに簡単に移住しようって思っていたのだろうか?

7年間も、英語の辛い勉強に耐え抜かなければならないとしたら、はたしてニュージーランドで現地の数学の先生になろうと思っていたのだろうか?

答えは明らかにNoだ。

 

で、結果論で言うとどうだろう?

日本と比べると、ニュージーランドの先生の給料はびっくりするほど給料は高い。

労働環境も比べ物にならないほどいい。

そして、受けられる刺激が半端ない。

 

結論から言うと、やらなければならない苦労は、やる前に確認しない方がいい。

知らない方がいい。

 

だから、今移住を考えている人は、苦労よりも、その先にある刺激的な魅力的な生活を夢見て飛び込んだほうがいいんじゃないかって思う。

 

・・・とはいえ、してきた苦労が苦労だっただけに、「移住大変じゃねぇか!やんしん!」ってクレームは受け付けないので、注意してください(笑)

 

では、みなさん、よい週末を!