あけましておめでとうございます!
一年の計は元旦にあり。
そして、今日、一年の目標を定めることってすごく大事。
でも、目標ってただ闇雲に立てても仕方ない。
だから、ちょっと発信しながら考えてみる。
僕が育った時の日本は、テレビの影響が強かった。
大企業に努め、マイホームを購入し、子宝に恵まれ、お受験に奮闘し…。
これがいわゆるテレビドラマが描く完璧な幸せの像だった。
そんな幸せのカタチには全く興味がなかった自分だが、例にもれず「こうあるべき」って言う完璧なカタチをどこかに思い描いている。
先生として、生徒が目を輝かせて参加する授業を展開し、生徒は僕の言うことをしっかり聞く。
お家はそこまで高級な家ではないにしても、そこそこ広く、見晴らしがいい。
車はプラグインハイブリッドと四駆の2台もち。
今はそんなことを心のどこかで描いている。
これが僕が無意識に考えてしまっていた「完璧な像」
で、自分の人生を振り返ってふと気づく。
完璧を目指して努力することはいいけど、完璧な像を手に入れると、あまりいいことはなかったと。
結論を言えば、今までの経験から、その像は、ある程度の指針であり、目指すところ。努力するため、成長するのに必要な指針であり、達成することは大して大切ではない。
手に入れることに固執すると、うまく行かないときにストレスになり、悪循環のきっかけになる。
特に教育はこのストレスと相性が非常に悪い。
子育ても、親が思ったような結果を子供が出さないと、人に良い親として見られたいと言う意識が働きがちになり、衝突を生む。
教師としても、生徒が言うことを聞かないと、自分が良くない先生だと周りに見られることがストレスになり、生徒との衝突を生む。
これは、目指してる像に「他人の結果」が
含まれるからなんですよね。
でも、教育は常に他人の結果を考慮して行われるもの。
だから、完璧な像は、いつも不可能かつ抽象的に設定してきた。
「世界一の数学教師」だったり「生徒が超楽しくなってしまう授業を常に展開する」であったり。
でも、これは一年の目標にしてはぼやけすぎ。
ということで、今年の完璧な像は
下級生には「うぉぉ!数学ってこういう面白さがあるんだな!」って生徒が病みつきになる授業作り。
上級生には「授業が面白いけど、ついでに単位も取れちゃった!」って言う授業づくり。
プライベートでは「この家買ってよかったな」って思える家の購入。
この3点かな。
そのために、今からできる授業準備と一年間戦い抜ける体力をつける。
戦いは始まった。
無理はしない。
でも、ただでは起きない。
今年は手を抜きません。
大きな違いを作ってみせます💪
それでは皆さん、素敵な2022年を!