完璧な像はない。進んでいると完璧になる。 | やんしんブログ(数学教師@NZ)

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計算と英語が苦手だったのに、今は英語で数学を教える数学教師。
奥さんはNZ人。
波乱万丈な人生の記録始めました。
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あけましておめでとうございます!


一年の計は元旦にあり。

そして、今日、一年の目標を定めることってすごく大事。


でも、目標ってただ闇雲に立てても仕方ない。

だから、ちょっと発信しながら考えてみる。



僕が育った時の日本は、テレビの影響が強かった。


大企業に努め、マイホームを購入し、子宝に恵まれ、お受験に奮闘し…。


これがいわゆるテレビドラマが描く完璧な幸せの像だった。


そんな幸せのカタチには全く興味がなかった自分だが、例にもれず「こうあるべき」って言う完璧なカタチをどこかに思い描いている。


先生として、生徒が目を輝かせて参加する授業を展開し、生徒は僕の言うことをしっかり聞く。


お家はそこまで高級な家ではないにしても、そこそこ広く、見晴らしがいい。


車はプラグインハイブリッドと四駆の2台もち。


今はそんなことを心のどこかで描いている。


これが僕が無意識に考えてしまっていた「完璧な像」


で、自分の人生を振り返ってふと気づく。

完璧を目指して努力することはいいけど、完璧な像を手に入れると、あまりいいことはなかったと。


結論を言えば、今までの経験から、その像は、ある程度の指針であり、目指すところ。努力するため、成長するのに必要な指針であり、達成することは大して大切ではない。


手に入れることに固執すると、うまく行かないときにストレスになり、悪循環のきっかけになる。


特に教育はこのストレスと相性が非常に悪い。


子育ても、親が思ったような結果を子供が出さないと、人に良い親として見られたいと言う意識が働きがちになり、衝突を生む。


教師としても、生徒が言うことを聞かないと、自分が良くない先生だと周りに見られることがストレスになり、生徒との衝突を生む。


これは、目指してる像に「他人の結果」が

含まれるからなんですよね。

でも、教育は常に他人の結果を考慮して行われるもの。


だから、完璧な像は、いつも不可能かつ抽象的に設定してきた。

「世界一の数学教師」だったり「生徒が超楽しくなってしまう授業を常に展開する」であったり。


でも、これは一年の目標にしてはぼやけすぎ。


ということで、今年の完璧な像は


下級生には「うぉぉ!数学ってこういう面白さがあるんだな!」って生徒が病みつきになる授業作り。


上級生には「授業が面白いけど、ついでに単位も取れちゃった!」って言う授業づくり。


プライベートでは「この家買ってよかったな」って思える家の購入。


この3点かな。


そのために、今からできる授業準備と一年間戦い抜ける体力をつける。


戦いは始まった。

無理はしない。

でも、ただでは起きない。


昨日まで3日連続のランニングのせいで疲労がたまっていて、走るのが億劫だった。

だから、距離を落としてランニングをした。

無理をすることは、本気とは違う。
長くしっかりと戦い続けられるよう、自分をコントロールする事が、重要。

今年は手を抜きません。


大きな違いを作ってみせます💪


それでは皆さん、素敵な2022年を!