そもそもカンニングすること自体、割にあわない行為です。
切羽詰まった気持ちは分からないでもないですが、例えば隣の、前の席の人の答えが正しいなんて保証はありませんし、数年前の京大入試みたいに、携帯で情報を集めるのも、行為として目立ちすぎます。
正直、リスクの大きさの割に、メリットは少ないですし、そもそも難関大学の試験は、そんなことをしてる時間が惜しいくらいに、読解・記述・計算しないといけないくらいの量が出ます。
素直に必死に解いている方が、良い結果が出るだろうな、と思います。
さて。質問に対する答えは、「ついていくことは可能でしょうが、その負い目のプレッシャーに耐えられないと思います。」かな。
大学の授業そのものは、しっかり授業を受ければ、そして本人にやる気があれば、ついていけない、ということはないだろうと思います。
しかし、それ以上に自分の抱えている「闇」の重さに耐えられるかなぁ、と思いますし、そこに罪悪感を感じないのだとしたら、それはそれで人としてどうなのかなぁ、と思います。
裏口入学しかり。
難関大を目指すことの意味を考えれば、カンニングの無意味さに気付くはずです。

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