邪魔なわけではないんです…
日本人にとっての第二言語といえば、英語とがハングル語とかが多いのかな、と思うのだけど、更にもう一つ言語が増えると、頭の中がこんがらがってくる。
鈴木家の場合、海外に出ると、私はもっぱら英語が専門なのだが、KENSOはスペイン語の方が得意だ。英語とは違い、スペイン語には本人もそれなりに自信があるらしい。生活の中で覚えただけでなく、きちんと先生から習ったことも手伝ってか、彼のスペイン語は単語の羅列ではなく、きちんと話せるし書けるレベルに一応達している。彼いわく、スペイン語には、英語のようにこもったり、舌を使ったりする発音はなく、英語を使うときのように、わかっているのに発生するとうまく伝わらないということもないから楽なのだそうだ。まぁ4年も5年もスペイン語だけで生活したわけだから、そのほうが楽というのも当然なのかもしれないが、とはいえ同じ動詞が主語によって全く違うスペルに変化するし、名詞も男性女性と形が違うスペイン語は、私にとっては今でも英語よりずっと難しく感じられる。
というわけで、私はスペイン語が片言でつい英語を使ってしまうし、KENSOはアメリカに行ってもスペイン語が出る。
これがややこしい。
私たちはそもそも、頭の中で母国語である日本語と《それ以外》という振り分けを無意識にしているらしい。だからスペイン語しか通じないメキシコにいるときには問題ないのだが、これがひとたび英語圏に入ると、《それ以外》の枠の中にある英語とスペイン語の振り分けがうまく出来ず、ごちゃ混ぜになったりする。
例えば、アメリカの入国審査でのこと。メキシコから帰国する際、私は時々アメリカに寄って帰るのだが、中途半端に4,5時間、深夜のフライトでぐだぐだになっている中で審査を受けると、つい数時間前までの癖で、《YES》でなく《Si》と返事をしてしまう。アメリカはスペイン語がかなり共用語になっているから、審査官が気をきかせて、
『スペイン語の方がいいか?』
と英語で聞いてくる。すかさず私は、
『No no,Ingles por favor(いいえ、英語でおねがいします)』
とスペイン語で答えている。この訳のわからぬアジア人の返答に審査官は複雑な表情になり、それでもスペイン語を話しているし…と何気にスペイン語で長い質問をしてきたりするから、私は更に?になり…、そのくせ質問に対し『Si…no no,Yes』みたいないちいちややこしい返答を繰り返してわけがわからなくなる。
言語をめぐるエピソードは色々ある。
先日、メヒコの友人夫婦が日本に遊びにやってきた。
彼はスペイン系メキシコ人の内科医で、奥さんのフェルナンダは画家だ。
彼らとは不思議な縁で友人になった。KENSOが体調を崩して彼の病院に行き、その後カフェやワインショップで偶然に何度も顔を合わせ、KENSOはその医者と会えば挨拶をかわす顔見知りになった。しばらくして偶然友人に誘われた個展で或る女流画家の絵を買い、その画家と大変に気があった。一緒にカフェに行ったり、ワインを買いに行ったりする友人になって、ある日私たちが彼女のアトリエを訪ねると、奥から男性が出てきて、
『これ、私の夫よ』
と紹介された彼が、その内科医だった。
これ以来、私たちは夫婦同士で仲良くなった。
因みに彼の名は《ホルヘ》という。ホルヘと聞くと日本人には馴染み薄いかもしれないが、彼の名前のスペルを英語読みすると、《ジョージ》になる。《J》はスペイン語で《ホタ》で、ハ行で発音するのだ。
そこで《J》の代わりにジャ行になるのが《Y》だ。
《Japon(ジャポン)》は《ハポン》、日本円は《Yen(エン)》で、これはどこに行ったって《エン》のはずが、一つ間違うと《ジェン》になってしまう。
こうしてスペイン語で日本語を発声すると、時々なんだか不思議なことがおこってしまう。
私たちは、成田にホルヘとフェルナンダを迎えに行った。
『イロッコ~~~~っ!!』
と、私の名前が早速微妙なことになっている。スペイン語では接頭の《H》は発音しないため、《HIROKO》がつい微妙に《イロコ》になる。とはいえこれは名前だし、更に《ロコ》は《とち狂った》とか《気が狂った》という意味であるため、彼らも意識して《ヒロコ》と発音するのだが、時々やはりクセでやんわり《イロコ》になる。
それでも、久しぶりの再会に、彼らが運んできたラテンの陽気な空気に私たちも大喜びなのだが、日本で彼らのスペイン語を聞くと、とんでもない間違いを繰り返している。
彼らは二十日間の滞在で、最初と最後の合わせて一週間をうちに滞在し、それ以外はツアーを申し込んであった。京都に奈良、広島の宮島と静岡と各地を観光する予定になっていて、静岡が観光に入っているのは、《どうしてもこの目でご来光が見たい》というフェルナンダのリクエストで、明け方目指して富士山に登るためだ。
『ケンソー、今日から三日は君の家に世話になるよ』
成田で彼らをピックアップして車に乗り込むと、几帳面なホルヘは早速日程を確認し始めた。
『あぁ、勿論だよ』
『そしたら、それから二週間は京都や宮島を観光して回って、最後にまた数日とめてもらうけどいいかい?』
『勿論さ。で、その間の《オテル》は予約してあるんだね?』
スペイン語では、Hotelも頭の《H》が取れて、発音は《オテル》だ。
『あぁ。ツアーだから大丈夫だ。ツアーの集合が三日後、集合場所は…』というと、フェルナンダが答えた。『トキオ駅よ』
『OK。うちから東京駅なら一本だよ。《総武線》に乗ればいいから』
『ソーブ?』
『あぁ。総武』
『いや』とたんにホルヘの顔が曇った。『違う…』
『えぇ。違うわ』
ホルヘとフェルナンダはそろって苦い表情をして、とたんに書類を確かめる。『ケンソー、今、何線だって言った?』
『だから総武線だよ』
『違う』几帳面なホルヘが日程表と詳細の書かれた紙をじっと見つめ、字面を指でゆっくりなぞっている。『ジャマ…ノテ』
『ジャマノテ?』
『そう』フェルナンダが日程表を運転中のKENSOの顔面に強引に差出して、繰り返している。『ソーブじゃない。ジャマノテのトキオ駅よ』
そこからの数日間は鈴木家にとって強烈な異文化交流になった。
『イロコの家族が近くにいるなら、ぜひ紹介してくれ。ファミリア皆で食事をしよう!!』
と言われて実家に連れて行ったところ、私の両親は挨拶でいきなりだきつかれ、頬にキスをされた父は
『オヨヨヨ…』
と言葉を失った。更に彼らは常に相手の目をしっかりとみつめて会話する。考えてみればアメリカ人もそうだったが、現地にいるときにはそれを特別に感じることもなかった。しかし場所が日本だと、どうも違和感がある。結局父は食事の間中、頬にフェルナンダの口紅をつけたまま、気の毒なほど目のやり場に困っていた。帰り際、彼らが挨拶を始めると、
《また抱きつかれるのでは…》
と両親の背中はがっちがちに硬直していた。
芸術家のフェルナンダの要望で美術館めぐりをしてみたが、街中でも驚くほど声がでかく、上野公園の路上ではサルサを演奏するチリ人をみつけて一緒に踊りだした。これでKENSOは自分の試合に彼らを招待するのをビチッっとやめた。
どうなることかと心配したホルヘ夫婦の日本滞在だったが、二週間後、ツアーを終えて戻った二人は実にご機嫌だった。ツアーガイドはとても親切で、そのツアーに参加した他の旅行者はツアーを終えると共に成田から帰国したらしく、更に三日をうちで過ごすホルヘとフェルナンダを、ガイドはわざわざうちの近くへ送迎までしてくれたらしい。人懐っこいホルヘ夫婦は、ガイドとも個人的に友達になっていた。
『最後の食事は、ナオキも呼ぼう!!』
ナオキというのは、そのツアーガイドで、ホルヘたちは、最後の日の夕食は鈴木のファミリアと、世話になったツアーガイドも呼びたいといいだした。深いことは考えず、いつもにぎやかに大勢で食事をするメキシコ人らしい発想で、二人は自らガイドの携帯に連絡し、彼をうちに誘った。客に誘われても断るかな…と思ったのだが、なんと彼は本当にやってきた。
私とKENSO、ホルヘとフェルナンダは四人で近所のデパ地下でテキーラを5本買い、コーラも5本買って、駅に《ナオキさん》を迎えに行った。人ごみの奥を覗き込んでいると、改札の手前のあたりで小柄で人のよさそうな男性がケーキの箱を持って出口に迷っている。
その姿を見たとたん、ホルヘが叫んだ。
『あそこっ!!ナオキ~~っ!!』
すかさずフェルナンダが更に大きな声で呼ぶ。
『ジャマダ~~~っ!!ジャマダさ~~ん!!』
『はじめまして。山田です』
ツアーガイドの山田さんは、今回のツアーで取った写真を持ってきた。寺院の写真や、宮島の鳥居の写真に混じって、富士山の写真もある。明け方の富士山で、《勘弁してくれ》とばかりに顔面蒼白のホルヘと、ノリノリのフェルナンダが映っていた。
《うわわ…》
と思ってみていると、更にショートパンツにTシャツ姿のホルヘとフェルナンダが少年の様な満面の笑みで水に飛び込んでいる写真が出てきた。
最悪だ。案の定だが、lきっとまた勝手な行動を取ったのだろう。この二人のハイテンションを連れて山田さんは散々だったに違いない。
『海水浴の予定って…ありましたっけ?』
因みに…と遠慮がちに尋ねた私に、山田さんが苦笑いで首を振る。
『ですよね』としか答え様がない。『すみません…ご迷惑かけて』
『いや、いや…お二人は明るくて。悪気がないのはわかってますから』
山田さんは人のよさそうな笑顔で笑っている。その間もフェルナンダは
『ジャマダさん、テキーラ、もっと!!』
『ジャマダ!!食べて、もっと!!』
そっとトイレに立つ山田さんにわざわざ注目を集めて、
『ジャマダっ!!どこに行くのっ?!』
私とKENSOは何度もフェルナンダに《彼はジャマダじゃないの。ヤマダさんよ》と繰り返すのだが、ラテン気質丸出しの彼女は、すかさず山田さんと肩を組んでこう言う。
『細かいことはきにしないよ。な、セニョール ジャマダ。あなた、ジャマダでいいでしょ?』
気づくとKENSOまで
『ジャマダさん、ビチッと一杯いきましょう!!』
明日は帰国するにもかかわらず、その晩ホルヘとフェルナンダは本人たちの希望で朝まで飲み明かし、酒臭いまま成田に向かい帰路についた。私たち同様、山田さんも付き合って飲み明かし、一緒に成田に見送りに向かった。出国ロビーでも、山田さんはジャマダジャマダと繰り返され、荷物検査の列に並ぶと、最後の最後、極めつけに叫ばれた。
『ジャマダ~~!!あなた良い人ね~っ』
この程度の二日酔いと寝不足も、三十五才を過ぎると洒落にならない。《ぐったり》を通り越し、ふわふわしながら駐車場に向かいながら、山田さんがつぶやいた。
『因みにホルヘさんたちが飛び込んだのは海じゃないんです』
その言葉にKENSOがはたと振り返ると、山田さんが頬を引きつらせて言った。『旅館の池です』
言語ってのはなかなか難しい。ここでの常識も、他では通じなかったりする。私もアメリカやメヒコにいたときには、笑わせるつもりもないところで爆笑されたりしていたけれど、きっとこんな感じだったのだろうと思う。
ホルヘ夫婦は、初日本旅行で、良い思い出を作れただろうか…。
おそるべし不思議君
あらためて語ることもないが、KENSOは相当変わっている。日本社会の中では、彼は極めて不思議なタイプの人だけれど、アメリカやメヒコで生活してみると、更に不思議な人が結構いることに驚かされる。
中でも、KENSOがある意味尊敬し、KENSOをして
『俺でもあそこまでは貫けない』
と言わしめた男が一人だけいる。
彼の名はミスターEとしておこう。
Eはメキシコのレスラー仲間だ。珍しく実に仲が良かった。仲が良かったといっても、KENSOだけに日本人の考える《友達》みたいな付き合いではないことはわかって欲しい。
なんせ変わっているから。
Eはストリッパー出身のレスラーだ。《出身》というと大昔のことと思われそうだが、彼の場合、数年前までストリッパーだった。大人気のストリッパーで、AAAの先代の社長が
《あれは客が呼べる》
と彼のスター性を見抜いてスカウトした。実に美形だが、私が見るに、顔かたちが整っているとか何とかの前に、強烈なフェロモンが出ているというかセックスアピールがあるというか…その手のタイプのイケメンだ。
メヒコではルチャドールは人気者のスター勢だから、スカウトされたストリッパーは当然ながら二つ返事で入団を決めた。しかし年齢は少々いっている。KENSOと同い年の37歳だが、ルチャドールになったのはなんと33歳を過ぎてからだった。それまでにルチャやレスリングの経験も無く、プロレスは強烈にへたくそで当初は洒落にならない有様だったらしい。それでも彼が入場すると、それだけで女性客が総立ちになった。彼は入場すると腰をくねらせてダンスを踊るのだが、それが女性客をまんまとたまらない思いにさせるらしい。
そりゃ当然だ。だってプロのストリッパーなんだから。
それで彼はあっという間に人気者になった。試合の内容は散々でも、毎回必ずテレビショーが入るメジャー選手になっていく。
こうなると、周囲のレスラーが黙っていない。よく女同士の妬みはどろどろというけれど、出世や生活がかかっている男の方が、その妬みやいじめは更に汚い…というのが私の意見だ。とはいえ日本のプロレス界は比較的穏やかでのんびりしていて、そこまで仲間を警戒することもないが、仕事の規模が大きいWWEやAAAでは常に足の引っ張り合いや陰口が絶えず、選手たちはにこにこと笑って冗談をいいながら、腹の中で常に警戒しているのが当然だった。
新入りが入れば、自分の試合の枠が一つ減る。まして人気となれば、確実に自分の試合枠に影響する。
新入りは当初壁を作られて様子見される。控え室では、見ていないふりをして、一挙手一投足を見入られジャッジされている。日本やWWEではそこまででもないが、メヒコでは凄まじかった。KENSOいわく、これはちょっと参戦したような選手では感じられない《内側》の独特の空気らしい。そこに本格的に根をはろうとすれば必ず感じる空気らしいが、《よそ者》は簡単には受け入れられず、その代わり一度《アミーゴ》だと受け入れてもらったら、どこまでも仲間としてくれるというスタイルで、出だしは、特にメインに近い選手になればなるほど、空気が尖り、視線も硬く、よほど用心しないといけないらしい。
それでEもこっぴどくやられてしまった。ジュースにおしっこをいれられたり、バッグを捨てられたり、バスの出発時間をわざと間違えて教えられ、乗せてもらえなかったり…。実は、残念ながら当初からメインに顔を出していたKENSOもその手のいじめを受けた経験があり、随分ときつかったらしく、あの頃のKENSOは自宅に戻ってもひどい剣幕で、私に対してもけんか腰になることが多かった。
いづれにしても、そういう状況で仕事をすることのきつさを少なからず知っているKENSOは、Eが席を立つと悪口三昧になる控え室でも、絶対に口を割らなかったらしい。ただ黙り、絶対に話には入らない。話を振られないようにいつも本を読んで、それでも話を振られそうな空気を感じたら、すかさず席を立つ。
『きついだろうな…』
Eの気持ちを思うと気の毒で、これで辞めたりしないといいけれど…とKENSOは思っていた。
ところがだ。
Eは予想以上に…強かった。
ある日の試合で、Eはとうとう客の面前でいじめを受けた。その日の試合は3対3にもかかわらず、Eを外した5人がしめしを合わせたように試合からEを外し、Eは全く試合に入れてもらえず、3人もいる対戦相手の手ひとつさわれないまま試合が終わってしまったのだ。
裏でいじめを受けるのは百歩譲って仕方がないとしても、客の前でそれをうけるのは問題だ。あまりにひどすぎる。
試合を裏で見ていたKENSOは試合後Eのところに飛んでいった。
『E。お前、大丈夫か』
さすがに血相を変えるKENSOに、Eは顔を赤らめ、興奮した表情で言った。
『すごかっただろ?今日の沸き』
『・・・。…え?』
『俺のダンス。今日は新しいバージョンにしたんだ。試合中も女はみんな俺のケツに釘付けだぜ』
『というか、試合は…』
『試合?あぁ、試合ね。あんなもんじゃないの』
こいつ・・・強い。KENSOはこの時、初めてEの強さを感じたらしい。
その後、地方での試合で、試合後の深夜、全選手がバスに乗り込んだ。最後にEが乗り込もうとすると、とたんに目の前でバスが発車。唖然とするEの前で、バスの中からは大歓声があがり、彼を置き去りにして次の巡業先へ本当に出発してしまった。
なんせそこはジャングルのようなど田舎で、タクシーだって走っていない。
『E。どうやってきたんだ?』
翌日それでも遅れずに淡々とした表情でフツーに会場入りしたEにこっそりとKENSOが尋ねる。
『どうやって、って、車でだよ』
『タクシーあったのか?』
『ない』
『じゃどうやって…』
『隣町まで歩いた』
『あれじゃホテルもなかっただろう?』
『でも歩いたら朝になったから』
《朝になっちゃったからホテルもいらなかったって…》と思っていると、Eが時計をみて焦りだす。
『ケンソー。ジム行こうぜ』
『だってお前寝てないんだろう?』
『これ見てくれよ』と言って、Eが正面の鏡で自分にうっとりしながら胸筋をピクピクと上下させる。『こいつがジムを待ってるんだ』
そうしてジムに行き、帰りにはKENSOにこう言い出す。
『ケンソー。お前、もうちょっとだけトレーニング続けてくれよ』
何かと思ったら、そこで出会ったムチムチのお姉ちゃんとトイレで《用》をたしたいらしく、終わるまで待っててくれということらしい。
あんな目に遭った後で、KENSOはひどく心配していたわけだが、会場までの道すがら、Eはそのお姉ちゃんとの《トイレでの情事》の一部始終を語った。
『よくその気になれたな』
『なにが?』
『いやぁ…だって…寝てないんだろ?』
驚きに目を見開くKENSOに、Eが驚き返している。
『寝てなくたってあのケツ見たらセックスしたいだろ』
KENSOは度肝を抜かれた。とにかく落ち込まないし、いじけない。忘れている。びびるほど忘れている。彼は40才近く、既婚者で、二児の父親だが、お姉ちゃんの大きなお尻を思い出し、よだれをすする真似をする。そんな無邪気なEをまじまじと眺めながら、KENSOは涙が出そうになったと言っていた。
『すごいです…あなた』
これでKENSOは、Eを心から尊敬してしまった。何をされても反応せず、必要以上に口を聞かず、Eは寡黙な男に徹していたが、二人の時には案外よく喋る男で、馬鹿だった。控え室では、KENSOの真似をして本を読んだ。開いた、と言ったほうがいいだろう。Eはペラペラペラペラと一時間近くページをめくり続け、結局一行も読んでいなかった。
一行も読まず、一時間もパラパラと本をめくり続けている方がきつい。
そんなところでもKENSOはEの精神的な強さを感じてしまう。
それからもしばらく標的になり続けたEだが、KENSOが絶対にその手の話に入らないし、口を割らない男だということは、彼にも通じたらしく、いつしかEは団体で唯一、KENSOのことだけを信頼し、色々と話をするようになった。
それでも若い連中は面白がっていじめを続けていたが、
『あいつは馬鹿だ。何にも感じてねぇし』
と、Eを笑って馬鹿にするものの、、KENSOを信頼する他のレスラー達も彼を認めるようになってきて、随分といじめの火も弱まった。KENSO同様、《時期》がくるとかえって票を得て、Eをからかい、ペラペラと喋るお調子者の若手レスラーに自然といじめの標的も移ってしまった。
ひとたび標的から外れ、ファンに大人気のEの周囲には、今度は逆にこびてくるレスラー仲間も増え始めたが、Eは当初から自分に対し好意的だった人間以外は、何をしてくれても徹底的に信頼しなかったらしい。
『あいつら若いんだよ。バカばっかりさ。仲良しクラブじゃないんだぜ。ここでは銭をかせぐんだから』
以前、一度だけ、Eがぽろりと吐いた率直な言葉だ。
Eの方が何枚もうわ手だったと、KENSOはこれでまた尊敬した。
彼はシティーではなく、地方都市に住んでいるのだが、時々子供たちや奥さんを呼び寄せる。そんなときには必ず私も呼ばれて、みんなで食事をする。彼は実にいいパパだ。
『ケンソー、ヒロコ。俺はここで銭を稼ぐんだ。一番大事なのは家族だろう?大事な家族に贅沢させて幸せにしてやるんだ』
クリスマスに一緒に行った教会で聞かされたこの言葉に、私たちはとても感動したのだが、一方で彼は、KENSOと二人の時には道行く女のお尻ばかりを見て、いまどき古典的だがよだれをすする真似を繰り返しているらしい。それが巨漢といえる超大柄のおばさんでも、『でかいケツは最高だぜ』と、同じくよだれをすすり、本当に誘ってしまう。
大きいにもほどがあるのでは…と聞いた私はドン引きするが、KENSOは
『あいつは動物に近いんだ。本能的だから、したきゃする。関係ないものは関係ない。余計な感情がないんだよ』
と、そんなところも《野生的》と、目を輝かせて尊敬する。
それにしても、ある意味、彼ほどぶれない人も珍しいだろう。失礼かもしれないが、出身は田舎のストリッパーで、底辺の生活を知っている彼や彼の家族にすれば、捨てるものもない。何が大切か、ぶれないところはすばらしい。
《人》の言うことは関係ない。人は人、俺は俺。それがここまで徹している人間も日本ではなかなか見られない。
彼は客が自分に何を求めているのか良くわかっているから、とにかく外見のトレーニングだけはどんな時も欠かさないし、くじけない。周囲がくだらないいじめに騒いでいる隙に、プロレスの猛特訓も続けている。これまでの37年の人生に比べれば少々周囲に何を言われたところで、それで自分の人生の大きなチャンスを捨てるほど馬鹿ではない、というのが彼の生き様なのかもしれない。
《彼は客が呼べる》
とは、先代の社長の見る《目》も凄い。その容姿やオーラだけでなく、Eの精神的な強さは、確かに大切なスターの要素に違いない。
因みに、KENSOが日本に帰ることを控え室で告げた日、その場でEは珍しく驚いた表情を見せた。試合後、ホテルで部屋に呼ばれ、行ってみると、
『あれ、本当か?』
と一言だけKENSOに尋ねたらしい。こくりとうなずくKENSOに
『もう戻らない気だな…』
と独り言のように言った後、ベッドサイドにおいてあった十字架の前で手を合わせ、ロザリオに聖水をかけ、何か唱えた後、それをKENSOにくれた。
『赤ん坊が出来るように願ったから。できるぞ。』
涙が出そうで、お礼の言葉でごまかすKENSOに、またEらしい《オレ節》が炸裂する。
『ヒロコとは赤ん坊できてないんだろ?』
『あぁ』
『大丈夫だ。これでできるから』
『ありがと』
『で、お前は何人だ?』
『え?』
『お前の子供は何人だ?』
『だからいないよ』
『ヒロコとの子供がいなんだろ?他の女の子供は?』
『…いないけど…』
『お前、37才で子供ひとりもいないのか?』
『あぁ』
『種無しか?』
『わかんないけど、違う…と思うけど…』
『だいじょうぶだ。できると主は仰った』そして最後にこう付け足した。『オレは全部合わせて11人だ』
メヒコの人は堕胎をしないし、とにかく子供を作るので兄弟も多い。異母兄弟がいるのも稀ではないのだが、
やはりこいつは強かった、とKENSOはしみじみ感じ入り、おもわずつぶやいた。
『まじかよ…』
『会ったことないの入れたらもっといる』
KENSOはこのロザリオを今も大切に身につけている。なんせミスターEだけにまんざらでない気がするからだ。
『このロザリオは、マジでご利益あるよ。だってあいつだぜ』
彼は今も、変わらずわが道を歩いているだろう。PCを持ってないし、いまどき面倒くさいとメールもしないので連絡も取れない。それでも彼は間違いなく、今日も淡々とトレーニングをし、鏡を見て自分に酔い、余計なことは全て無視しているに違いない。
そんなEの姿を想像して笑う私のとなりで、KENSOはEから勇気を貰っている。
KENSO的エンターテイメント論
今やクラシックは私達の一番の趣味だ。メキシコで覚えた。メキシコは元スペイン領で、シティーには欧州人が多い。治安の悪いエリアを避けて、外国人居住区に移り住んだ私たちの周囲では、頻繁にクラシックのコンサートが行われていて、欧州の質の高いオーケストラやオペラも数多く来ていた。今は劇場として使われている古い城では、時々無料で練習演奏なんていうのもあったから、KENSOの試合のない日には、二人で散歩をしながら劇場に顔をだし、コンチェルトやピアノなんぞをのんびり聞いて帰ったりしていた。
メトロポリタンオペラだろうが、ベルリンフィルだろうが、ポスターを見て飛び込んでも十分チケットが取れたし、《これでいいの…?!》という金額だったメキシコだが、日本となるとそうはいかない。そんな行き当たりばったりで良いものを聞くことは難しいし、それなりの予算もかかる。
それでもフジコさんのチケットは取った。
KENSOはフジコさんのピアノが大好きなのだ。CDも沢山持っている。彼は全くの音楽素人だから、細かい音楽性について語ることは出来ない。感想はもっぱら《印象》だが、彼曰く、フジコさんの音色は、
《心臓を打ち抜かれるほど悲劇的で、痛烈に寂しいのに、涙が出るほど情熱的》
で、あるらしい。
言葉で説明するのは難しいが、KENSOはその手の音色が好きなのだ。試合前や、朝一番の巡業バスで毎朝新聞を読むときには、悲劇の歌姫マリア・カラスのオペラを聞いているらしく、
『マリア・カラスの歌声があまりに痛すぎる時は、読み終わってから名人・志ん生師匠の古典落語を聞く』
なんてことを言っている。そういえば以前、フジコさんの特集番組を見た時、フジコさんが
『私は毎朝必ずマリア・カラスを聞くんです』
と仰っていたから、なんとなく、《痛いほど切なく、その一方で強烈に強く、情熱的》というのは、フジコさんの音色にも、マリア・カラスの音色にも共通する色なのかなと思ったりする。
とはいえそれは、練習や才能で出るものではないかもしれない。
『彼女たちの音色の根源にあるのは《生き様》だよ』
と、KENSOは言う。
確かに、マリア・カラスの人生は壮絶だ。舞台の上の彼女とは反比例して、私生活はズタボロだった。結局、歌に人生を賭けるしかなく、それなのに最後にはその声まで奪われた。それでもソプラノにこだわって高い音を出し続け、酷評を受けながらも歌い続けたのがマリア・カラスだ。フジコさんにいたっては、あれだけの才能がありながらも、売れたのはついここ十年の話で、それまでの壮絶な生き様や生い立ちには、(他人事と叱られてしまうかもしれないが)心底圧倒される。
それでも彼女は淡々と、静かにピアノを弾き続けている。それが、凄いな…、と思う。
それにしても今では大人気のフジコさんだが、人気に火をつけるきっかけになったのが、NHKの特集だったというから、やはりファンは彼女の《生き様》を知ることでその音色を更に深く感じるようになったのかもしれない。本当に見る目のある《通》ならば、そんな生き様をしらなくても、その音色を聞くだけで全てを感じるべきなんだろうけど、わかりやすく、目に見えることしか理解出来ないのが《人間》だから、そうした彼女のバックグラウンドを知り、人々は更に感動したのだと思う。
残念ながら私もKENSOもその一人にすぎないのだが、それにしても、一流と言われる芸術家やエンターテイナーは、その裏側に壮絶な人生を抱えていることが多い。《壮絶》とまではいかなくても、長い下積みがあったり、ホームレス同然、ゴミ箱を漁るほどの貧乏時代があったり、大事故で命からがら生き残ったり…何らかのハンディを抱えていたり。
どうしてかなぁ…とKENSOと考えた。
所詮一介のプロレスラーにすぎないKENSOだが、それでも人様の前で舞台に上がる者のはしくれとして、彼曰く、人を心底感動させるというのはそう簡単なことではないらしい。相当のパワーがいるのだという。
そりゃそうだ。だって、人間は誰しも、生きていれば、他人にはいえない様な現実を抱えるもので、苦労は特別な人だけのものじゃない。みんなそれぞれに苦労を抱えて《壮絶な人生》を生きてくるわけで、そうした人様を一様に感動させようと思ったら、それはそれは至難の業だ。派手なプロモーションや《なんちゃって》な後付けストーリーでそれらしく飾れば、一時のブームにはなるとしても、にわかな知識や芸では、確かに、心底、人様の心に響くことはないのかもしれない。
だって、人間は皆それぞれ、人生と戦ってるわけだから。顔がきれいなら、とか、才能があれば、とか、やもすれば人はエンターテイメントを簡単に考えがちだが、そうして人間はそれぞれに様々な辛さや苦労を抱えて生きてきているわけで、その皆を本気で感動させようと思えば、べらぼうなパワーがいるのは当然だろう。そうした人様を本気で感動させるだけの底力と精神力は、確かに、それ以上の艱難辛苦を嘗めてきた人間にしか出せないのかもしれない。
『そう簡単には、人を《心底》感動させるなんて出来ないんだね、きっと』
というのがKENSOの結論だ。
何度も言うが、所詮一介のプロレスラーに過ぎないのだけど、KENSOもやっぱり今となると、彼なりに《苦労様々》と思う部分が随所にあると感じるらしい。WWEをクビになったこと、メヒコでも散々悲惨な目に遭ったこと(詳細はのちほど詳しく、ここでひとつづつ紹介していこうと思うが)、テレビショーのレギュラーすら、試合が悪ければ翌週には簡単におろされ、無報酬になるという流動的な中で試合を鍛錬してこられたこと。だから帰国してからのKENSOは、テレビカメラがあろうがなかろうが、常に緊張感を持って、いつ放送されても恥ずかしくないだけの試合をしようと心がけていられる。
更に彼が受けたこの数年の荒行の中で、もっとも大きいのは自動的に肉体的鍛錬をさせられたことだ。
彼は肺に穴が開く肺気胸を二度もやっている。その時、医者に
『プロレスはもう出来ない』
と言われた。それが原因でWWEを辞めることにもなったのだけど、彼はそれでもプロレスをあきらめなかった。
答えは一つ。
《僕にはプロレスしかないから》
自国に帰ればそれなりの待遇で、もう少し楽が出来ただろうけど、ハッスルに数ヶ月参加して行き着いたのは
『これじゃ駄目だ』
という結論だった。
一度、一流の舞台を踏んだものの性かもしれないが、《にわか》では納得できない。
《アメリカで見た○○選手のような、本物になりたい》
そう思って進んだ先は、世界第二位のプロレス団体があるメキシコだった。しかもそこが標高1500メートルの高山地帯だから、富士山の三合目から五合目にも近い標高で、ただでさえ空気の薄い場所で自動的に肺を鍛えていたKENSOはそれだけ肺にリスクを抱えながらも、それ以来、日本でどんなハードな試合をしたって息が上がることはほとんどなくなった。
そんな無茶な苦労をしなくても、同じだけのトレーニングをすればいいことだけど、新日本で鳴物デビューをして、すばらしいお膳立てをいただいていたあの頃のKENSOだったら、それと同じだけのトレーニングを自らに課すことはきっとできなかったに違いない。
実は、彼は大学時代にアキレス腱を断裂している。明大ラグビー部に入った直後で、そのときも医者には
『いくらなんでもラグビーは無理』
と言われたらしい。その後数回に渡る靭帯の損傷や網膜はく離があったものの、結局彼はそれでもラグビーを続け、レギュラーを取り、日本代表候補になった。続けた理由は、
《僕にはラグビーしかないから》
それがあったから、彼はプロレス界に入ってからのどん底も、体当たりで乗り越えたのかもしれない。博打を打つような思いだっただろうけれど、それでもどこかで《無駄にはならない》と信じてこられたのだろうと思う。
時に人間は逃げ場を失うような窮地に追い込まれる。けれどそうして嫌でも苦労をさせられたことは、神様に感謝だって、KENSOはいつも言う。
『客をなめたら絶対に駄目なんだよ。僕たち舞台に立つ人間が一番肝に銘じておかなくちゃいけないことは、ファンをなめるな、ってことなんだ。客の気持ちを考えず、リングの上で、自己満足でやりたいことをやるマスターベーションみたいな試合は客にはすぐに通じる。舞台に立つレスラー本人どころか、それを管理する社長やエージェント以上に、ファンの目は厳しいよ。内側を見抜いてるんだから』
ここまで書きつないでひどいオチなのだが、結局KENSOは試合があり、フジコさんのピアノリサイタルには行けなかった…。びびるほど落ち込んでいたが、日本では、半年も前に申し込まなければチケットが取れないのだから仕方がない。私は母を連れ立ち、母はお土産にフジコさんの新作CDをKENSOにプレゼントした。
ここ一週間、朝目覚めると、我が家には必ずフジコさんの《ラ・カンパネラ》が流れている。CDには、最近のラ・カンパネラと三十年前にフジコさんが弾いた同曲も入っているのだが、素人の私たちが聞いてもわかるほど、二つの音色は全く違う。良い悪い、ではない。《違う》のだ。
私たちは彼らの芸を見て、《芸》そのものだけでなく、その《人》を感じているのかもしれない。
確かに、KENSOの言う通りかな、と思う。
エンターテイナーや芸術家に限らず、人は上に上ろうとすればするだけ、絶対不可欠な厳しい鍛錬があるのだと思う。神様から大きな才能を授かった芸術家たちは、その才能を開花させるために尋常ではない《精神的体力》が必要で、時に強烈な悲劇や災難を受けるのは、いやおうなしに精神鍛錬をさせられているということなのかなぁと思う。
選ばれた芸術家やエンターテイナーたちの場合、《自ら》ではなく、追い詰められなければ出来ないような、窮地でのすさまじい《精神的鍛錬》が必要なのかもしれない。
それが彼らの血や肉になって、いつか《芸》として人様を感動させることになるのかな。
すべては才能を開花させるためなのかな、と。
だから逆に言えば、目に見えなくても、陽の目を見なくとも、一生懸命生きて、本気で取り組んでいれば、《本物》は必ず伝わる。ファンは必ずそれを見抜いてくれる。伝わるときは来るわけだ。
KENSOは今日も、iPHONEを片手に朝っぱらからラ・カンパネラでビチッと目覚め、プロレス道に打ち込んでいる。
『朝から暗くない?』
と尋ねるものの、
『ネクラの本質が呼び起こされるから、かえっていいんだ』
とわけのわからない言い訳をしている。それで彼が彼らしく頑張れるなら、そりゃそれでいいとして…。
いつか、彼もプロレス界の《本物》になれますように、と祈りつつ、私も朝から《フジコ漬け》になるのである。