裏MVPとりました~
先日、全日本、新日本、ノアの三社合同の《オールトゥギャザー》という大会があった。その大会のメインエベントは、《三社のチャンピオンVS挑戦者》。
KENSOは挑戦者として、そのメインエベントに出場したんだけど…
結果、見事に負けた。
ところが暫くして主催の東京スポーツからこんな打診が届いた。
《KENSO選手、今回の大会の裏MVPに選ばれました》
『ひろ、オレ裏MVPに選ばれたらしい』
『裏、って何よ』
『わからん。裏。だけどMVP』
『・・・。あの、大会で?』
『そう』
『負けて?』
『そう。だから《裏》』
らしいよね、というのが私の感想。試合も見たけど、ホント、彼らしいな、と思った。
すっとぼけているようで、実は考えてる。こいつは策士か、と思うと、実は相当天然の不思議くん。実に掴みづらい。それがKENSOだ。
この大会では、特にその色が顕著だった。
『三社合同なんて楽しそうね』
とのん気な私に、
『《三社合同》が本当に三社《合同》だと思うか?』KENSOはあっさりと言いのけた。『これは新日本の大会だよ』
人の世なら、どこにでもパワーゲームは存在する。平等なんて有り得ないわけで、最大手が大きなシェアを持っていくのは当然だ。出場する選手も多かれ少なかれその力加減の影響を受ける。人種の壁、言葉の壁、海外の大手のリングで、どうにも崩せない壁と戦ってきた彼は、物事が《平等に》とはいかないことを理解している。
『僕の場合、どんな話題を振りまこうとしたって、結局は《退団以来初めてのVS新日本戦》というところにフォーカスされるだろうね。
と言っても僕は主役じゃない。主役は新日本さ。僕の厳密なポジションは《にぎやかし》。
《所詮にぎやかし》としてどこまで面白いもんを見せられるかを考えなくちゃいけないんだ』
KENSOは天然かと思いきや、時にひやりとするほど冷静になる。
『今回は考えてるモードだな…』
そう察した私は、この大会について当日まで一切何も触れなかった。
そうこうしているうちにメインエベントへの出場が決まる。対戦相手は案の定、新日本時代に交流のあった選手だ。やりたいことは色々あれど、それをしちゃぁ、お門違いってもの。所詮、KENSOは主役ではない。
メインエベントに出場するが、それでも立場は《にぎやかし》。
つまり裏メインエベンター。
ここが難しい。
KENSOは随分と考えたと思う。そもそも新日本でスタートし、WWE、AAAと何気に大手を渡り歩いてきた彼は、メインエベントというものに相当神経質だ。
メインエベントはつまりそのショーの中枢だ。中枢がコケれば、ショー全体が死んでしまう。他の出場選手も、スタッフも、社員も、全員の生活を背中に背負うのが、メインエベンターだという意識がある。
だって、想像してみて欲しい。
WWEにいたKENSOがメインエベントに出るということは、リックフレアやHHH、アンダーテイカーやジョンシナを差し置いて《イイとこ》と取るということ。
KENSOがいたあの頃の新日本なら、武藤元社長や橋本さんを差し置いてメインエベントで試合をするということ。
『お前で、どれだけの試合が出来るの?』
そんな視線を食らうわけだ。
メインエベンターになった瞬間、彼らスーパースターやその家族の生活まで背負って試合をすることになる。彼らと同等、およびそれ以上の試合で当然、という空気の中で、
『客はピクリとも沸きませんでした。すみません』
ではすまない。
だから逆に、やもするとKENSOは他のレスラーに比べて、ベルトやメインエベントに対する執着が薄いと思われがちだ。第3試合なんかだと何の足かせもなく、悠々自適に試合をエンジョイしている風に見えるし、ベルトなんてどうでもいいと思っているととられがちだけど、実はそうではない。
誰より執着しているからこそ、適当な心意気や手前味噌ではいけないと感じている。
メインエベンターは、泣こうがわめこうが、どんな理由があっても、99.9%、絶対に客が大沸きする試合をしなければいけないという責任があると感じているからだ。
メインエベンターだが、我、主役にあらず。
にぎやかしの立場で何が出来るのか。
『会場に行けば、大半は新日本のファンさ。だからこそやらないといけない。
全日本のためにも、いい試合、やらなくちゃな』
劣勢になると、俄然張り切るのが彼だ。
ハッスルの和泉元弥戦の時もそうだった。相手は素人、下馬票ではファンもドン引き。
あの時も彼の立場は《にぎやかし》だった。
しかし《にぎやかし》とはいえ責任がある。
たとえ自分主導でしたい試合が出来なくても、相手が素人でも、言い訳無用だ。《にぎやかし》なりにできるかぎりをつくして試合をしなくちゃいけない。
今回も然りだ。彼主導の試合が出来るわけがないし、第一そいつをしちゃあお門違い。それでも譲れないのは、全日本のファンへの責任だ。
せっかく見に来てくれた全日本のファンには、たとえ人数が少なくても、
《どうだ!これが全日だ!!》
と大見得をきって帰って欲しい。それが無理でも、彼らが肩身の狭い思いで帰るのだけは、どうしても避けたい。
ビチぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!!
っとお役を果たしたいじゃない?
で、最終的にどうだったのか。その結果、ビチっといけたかどうか、ということについては…私が語ることではないだろう。それはファンの皆さんが感じて決めること。
ただ、東スポさんから、裏MVPをいただけたのは、正直嬉しいね。
劣勢の、思い通りにならない環境で、彼なりに頑張ったんじゃないかな。
会社員でも、誰でも、社会に出るとそう感じていると思うんだけどね、人間は全員が平等に出来るわけじゃない。
それは事実。
大切なのは、それをどう克服して前に進むかだと私は思う。
そのためには今の自分を素直に受け入れること。よく《自分探しの旅》なんていうけど、私はそのフレーズが嫌い。
今の自分が自分、だもん。嫌でも仕方が無い。
その等身大の今の自分を受け入れて初めて、前に進めるんだと思う。
まぁ、そんなこんなで、《裏》MVPとは、まさに言いえて妙。
今のKENSOは《表》じゃないのよ。《裏》っていうのがいいじゃない?
高級フレンチのうまさはうまさだし、B級グルメにはB級グルメのうまさがある。
・・・・・・なんて言ったら、怒られるかしら。
出会い
人生には特別な出会いがいくつかある。ところが人間はそこにきがつけないことが多い。私たちの目には《心の形》がみえないし、目があるせいで、わかりやすく優秀だったり、肩書きがあったりする人にばかり執着したり、感動したりするから、なかなか真価をみぬけない。
しかし実は往々にして、《ちっぽけ》に感じているような出会いややりとりにこそ、人生を左右するような《特別な出会い》は隠れているものだと私は思う。
KENSOにもそんな出会いがあった。
これまでにも数人の友人との出会いをここに綴ってきたが、今回のこの友人とのエピソードは、KENSOのメキシコ時代の最も激動の部分に大きくかかわっている。
書けないことも多くて、はっきりしないと思われる部分もあると思うけど、ご了承願いたい。
彼はあるホテルの支配人だ。メキシコは国土が日本の5倍あって、中にはシティー以外に自宅を構えている選手も少なくない。そういうわけでシティーにはツアー中に利用するプロレス団体御用達の《レスラー常泊の宿》というのが二三件あるのだが、彼のホテルもその一つだった。
メヒコに渡った当初、本格的な引越しをせず、身一つで渡墨していたKENSOも、自宅を構えず会社持ちでその宿に泊まっていた。そのホテルは日本で言えばほとんど《ラブホ》で、はっきりいってラグジュアリーというわけではなかったが、他方の御用達宿は更にランクも落ちるしエリアも悪く、トップ選手は皆こちらのホテルを利用していたことを知り、当初からその宿を用意してもらえただけでも、会社からの扱いは相当良かった、という感じだった。
いざそこに住み始めると、当時所属していたCMLLから、その後所属したAAAの選手、またフリーの選手たちとも顔見知りになる。
特に、ホテルの支配人は新人のKENSOに暖かかった。
『おはよう、KENZO,昨日の試合、良かったな!!』
と、一人のKENSOにいつも声をかけてくれた。
『おつかれ。飲むだろ?』
深夜になって試合から戻る時は、いつもフロントにビールが用意してあった。現地の仲間も増え、様々な情報も耳に入るようになり、仕事も順調、生活は充実していた。
『よし、このまましばらくメヒコでやっていけるかな』
・・・・・・・・・と、思った矢先だった。
ある日、KENSOは突然と干された。
実は、本人も知らないところで、と或るトラブルに巻き込まれていた。と言っても何をしたわけでもない。本人は寝耳に水。ノーマークの足元を不意打ちでスコンっといかれたような形で、昨日まで予定表にぎっしりと書き込まれていたKENSOの名が卒然と消え、何週待っても、何度会社に予定表をチェックしに行っても自分の名前は戻ってこない。
ぶっちゃけ自分は何もやましくない。社長ときちんと顔を突き合わせて話をしようとすると、どういうわけだかそれを阻止され、説明の余地すらない。
『おれ、してやられちゃったみたい』
そう言い出したのは、すこし経ってからだった。
《体育会系ど真ん中》で《口下手》のKENSOは言い訳が苦手だし、相手を恨んで仕返しをするのも柄じゃない。一体自分に何が起こったのか、いよいよ状況がわかってきても、イラつきキレる私の一方で、KENSOはそんなことをかけらも考えていなかった。そんなことより既に無給のまま数ヶ月が経過していて、ここからどうするかの方が問題だ。
『わけがわかんねぇよ…』
一応彼も、毎週TVショーに登場していたメインエベンターだ。つい先日まで毎度一万人近い聴衆の前で連日試合をし、街で子供たちに囲まれていた人気者だ。それが、今は仕事が入らず、金も底を尽きている。
『もう、待っててもだめなんじゃないかしら…』
私の中ではとうに結論が出ていて、早く次の手に出たいのだが、これだけの窮地を乗り越えるには、肝心の本人がその気にならないうちはどうしようもない。
『俺はどうすりゃいいんだ…』
KENSOは荒れた。連日の喧嘩。ぐだぐだと悩んで酒ばかり飲み続ける。飲んだところで解決しない、と言おうものなら更に荒れる。
《もうダメか…、でもまだはっきり結論が出たわけでもない》
世話になった会社で、本人もそこが大好きだった。それがわけもなくこんなことになったから、だからかえって先に進めなくなる。
『健ちゃんは大丈夫よ。なんとかなるから。夜はろくなことを考えないんだから、このどん底を抜け出した自分を楽しく想像するのよ。さもなくば、寝ろ』
《寝られないよ》が口癖だったこの頃の彼に、こんな発破をかけるのだから、私はやっぱりダメな嫁だ。
『もう帰ろうかな…』
『今あきらめて日本に帰ったら、この先ずっと世界に目を背けて生きていくことになるわよ』
『それでいいじゃん』
『よくないわよ。そこを見ないふりをして《俺はすごい》って思うような裸の王様の道連れはごめんっ!!』
そんなこんなでガタガタした空気が続き、友人らもいよいよ慌て始める。
『大丈夫か、KENZO?まだオフィスとは話せないのか?』
アメリカから一緒に流れてきた仲間たちも心配して、試合の合間に頻繁にKENSOを訪ねてくる。しかしご飯に誘われてもお金がなくて断っていると、気を使って
『ロビーで話そう』
と、何も言わず《ご飯抜き》で訪ねてくれる。
男のプライドが、傷つく。
そこで、事が動いた。ある日、ホテルの支配人が、KENSOを呼び出した。毎月ごとに団体に部屋代の請求を出すのだが、KENSOの部屋の精算だけが、されずに返ってきたという。
『お前さんの分は、お前さんで払えってことらしいぞ』
その一言で、KENSOの顔色が変わった。
『それで…』彼は息を呑んだ。『現時点で、未払いにされたのは何か月分?』
『二ヶ月だ』支配人はKENSOを静かに覗き込んで続けた。『今月を入れると三ヶ月分になる』
これでKENSOは決心がついた。もうあの団体に戻ることは出来ないのだ。既にホテルのツケまで
背負ってしまっている。
KENSOは吹っ切れた。もう終わりだ、とはっきりした。
《一晩だけ考えさせてください》と支配人に時間を貰い、翌朝、早朝にフロントへ向かうと、彼は支配人にこれまでの事情を全て話した。
フロントの奥の部屋で、二人きりで向かい合って座りながら、KENSOは最後にこう付け加えた。
『メヒコにはうちの団体以外にも、もう一つメジャー団体がある。AAAだ。
俺は今日、そっちに行ってみようと思う。とはいえツテはないし、雇ってくれるかもわからない。でも俺はもうちょっとだけメヒコでやってみたいと思ってる。
保証はない。だけど絶対に仕事を手に入れるつもりだ。
だから、あと一ヶ月だけ、支払いを待ってもらえないだろうか』
KENSOはつけていたオメガの時計を外し、支配人に渡した。『もしも一ヶ月待って、支払いが出来なかったときには、これを売ってください。それで足りるかどうかわからないけど』
日本から身一つで来ているKENSOには、金目のものと言っても、ここにはその時計くらいしかない。厳しい表情でじっとKENSOの話を聞いていた支配人は、差し出された時計を無表情で受け取ると、《わかった》と一言だけ口にして、静か席を立ち、口元をほころばせながらKENSOの肩をたたいた。
『待つよ。仕事を手に入れて来い。こっちのことは気にするな』
そしてKENSOはAAAのオフィスに向かった。ホテル仲間のAAAの選手から、会社の場所や、社長がどういう人物か聞いた。ところがそれでオフィスに行ってみたものの、社長が出張中で、実際に社長に会えたのは一週間ほど経ってからだった。
《今日こそは…》
支配人とは毎朝、話を続けている。いい結果にしろ悪い結果にしろ、とにかく一刻も早く話を進展させたい。アポもないKENSOがオフィスの入り口で早朝からたっていると、一台の黒塗りの車が現れた。車はオフィスのゲートをくぐり、中に消えたが、その車から降りた男性の一人が、KENSOの元まで戻ってきた。
『君はKENSOだね』
男性は、握手の手を差し出し、名を名乗った。
『社長、…ですか』
『あぁ』
面食らうKENSOの前で、社長が笑顔でうなづいている。
『僕を、…ご存知ですか?』
『もちろんだよ。WWEの頃から知ってるさ』
『それが…実は』
『わかってる。中で話そう』
KENSOはそのまま社長室に通された。社長は、秘書も誰もいない部屋で、ゆっくりとKENSOの話に耳を傾けてくれた。
《とにかくこのチャンスをものにしなければ》
KENSOは、ここ一番、にめっぽう強い。まずはこの会社でまで勘違いをされてはいけない、とこれまでの事情を細かく話そうとすると、社長は既に《事実》を知っていた。KENSOを疑い勘違いするどころか、立場を把握して、今回のことの流れや、関係人物の人間性まで逆にきちんと教えてくれた。
KENSOはこれで仕事をゲットした。
『セニョール!!やったよ!!』
ホテルに戻り、KENSOがこれを真っ先に報告した相手は、私ではなく支配人だった。偶然買い物に出ていた私がフロントを通ると、オフィスから戻ったKENSOが支配人と抱き合っていた。
オフィスとの話は思いのほか簡単に進んだKENSOだったが、実際に契約にこぎついたのはここから更に数ヶ月たってからのことだ。元の団体で発行されたビザがまだ有効期限内で、それを放棄して欲しいと頼んだものの、KENSOが日本に帰るのではなく敵対団体に入るとわかると、
《うちの団体の選手として、まだ雇っている》
とビザを手放してもらえなくなった。散々資本をつぎ込み、TVショーで売り込んで知名度を上げた選手を、人気選手になってからヒョイっと他団体で使われるのは面白くなくて当然だろう。
結局、オフィスは特別の弁護士を雇い、協会まで巻き込み、多額を費やして、ようやくKENSOの契約にこぎつけた。
前の団体で干されてから半年近くがたっていた。窮地にチャンスをくれたことだけでなく、ここまで労力を費やして自分を雇ってくれたことで、KENSOは何があっても必死に歯を食いしばってこの団体のリングに身を投じた。その後の四年をAAAの所属選手として働き、AAAは彼のプロレス人生の中で最も長く所属した団体となった。
これで、ようやくツケの全額を支払うと、私たちは新居を持ち、ホテルを後にした。一ヶ月の約束が数ヶ月まで伸びたが、支配人は何も言わずに待ってくれた。最後に現金を持っていくと、口数の少ない支配人が《ちょっと話がある》とKENSOを中に呼んだ。
『お前さんの名前は《ケンソー》だけど、スペルはKENZOだろう?だけどここでやるなら、いっそKEN“S”Oにしたらどうだ?そのほうがわかりやすいぞ』
支配人はそう言って、預かっていたKENSOのオメガを差し出した。
これだけ待たされたにもかかわらず、その後も支配人は私たちに一度もツケのことを口にしたことがない。
実はリッキーマーティンという歌手もこのホテルに世話になっていた一人らしい。最初に人気が出たのがメキシコで、ハリウッドを目指し、下積みしていた彼を面倒見ていたのがこの支配人だったと、近所のお菓子屋で後から聞かされた。今となれば彼はワールドツアーをするほどの売れっ子ハリウッドスターだが、売れず、金の無い時分には、きっとツケでここに泊まりながら、《ここ一発》のチャンスに一球入魂していたのだろう。
あの、ラテン系では珍しく、物静かな支配人の元で。
人生は、窮地でこそ決まると私は思う。調子のいいときにうまくやれるのは誰しもで、人の本当の評価は、人間だったら誰しもやさぐれたりあきらめたり、ずるい手に出たくなるような《ぶれる瞬間》に、どれだけぶれずにいられるかだ。
そんな時に良い出会いを持てることこそが、《運の良さ》だと私は思う。波風も問題も起こらないのは《運の良さ》ではなく、人生の無味乾燥と言える気がする。だって、そんなときにこそ、私たちは色々な勉強をするのだから。
その後、AAAはとにかくKENSOを大切にしてくれた。何があってもKENSOの意思を尊重してくれる。こういうことがあったから、KENSOにはメヒコやAAA、その仲間たちにも特別の思い入れがある。WWEの時以上と言っていい。
彼は、今となっては、あの頃の大惨事も含め、そこで起こった全てを受け入れている。
『僕はああいうことがあったこと自体、全てに感謝してるよ。あれがなきゃ、今だって甘かったよ、きっと』
《最大の復讐は、幸せになってしまうこと》
と聞いたことがある。幸せになること、ではない。なって“しまう”こと。この《しまう》が重要だ。こちらが幸せになってしまえば、何をされても関係なくなる。大切なことは、前を見ること。腹を立てるにしろ、落ち込むにしろ、後ろばかりを見ていたのでは《思う壺》で、こちらが台無しになる。
《全てに感謝している》と、こう言って後腐れもない彼の言葉は、さすが生粋の明大ラグビー部だなと関心する。その後頑張ったからこそ出るものだろう。
我が千葉四区から出た野田総理ではないが、まるでノーサイドだ。
堂々とこう言える彼を、私は誇りに思う。
隠れた真実
メヒコに住んでいた頃の話。或る友人の映画監督と話していたら、彼は昔、ワイン農園を買い取って、家族と地方に移住してワインを造っていたんだって。彼の銘柄のワインは美味しいし、ワイン農園を持つなんて羨ましいじゃない?それで私が、
『夕焼けの葡萄畑でワインを飲んだり、のんびりオリーブを摘んだりなんてあこがれるわ!』
って言ったら、彼の奥さんは顔を真っ赤にして否定したの。
『冗談じゃないわよ。シティーからあんな不便な場所に引っ込んで、毎日毎日虫や泥にまみれて葡萄の世話をするのよ。生き物は目が離せないから、一年中バカンスもろくにとれないし。ワイン農園なんて、聞くほどいいもんじゃないんだから』
言われてみればそうなのよね。言うほど格好のいいもんじゃないし、それ以上に大変。それが実は現実なんだよね。
仲良しに見える家族が実は中でガタガタとか、誠実そうな人が実はそうではなかったり。しれっと涼しい顔をしている人が、実はとんでもなくしたたかな策士で人をおとしいれていたり。
震災も政治も、放射能の問題もそう。
《隠れた真実》ってのは、どこにでもつきものだなと思う。人の世ではいつも世間に見えない《真実》がある。
KENSOもね、こういう現実に直面したの。日本にいると、こういうこと、あるんだよね。
私も彼もぐったりしちゃって。どうしようもないし、ここでや世間に全部ぶちまけるわけにもいかないし、そもそも《解決》がない。つまり無き寝入るしかない問題。こうなると、イラつくとか腹が立つとかの前に、唖然としちゃう、っていうのかな。
『あぁ、二時間ドラマや現実のニュースで、復讐に燃える話があるけれど、そういうのってこういう時に始まるんだろうなぁ』
ぼんやり空を眺めていたらそんなことも思うんだけど、基本的にその手のタイプでもないし、やったことは返ってくるって信じているし、お天道様が見てるって思っちゃう方だし。だいたい現実的に、その元気もない。
それでぼんやりしていたら、ふと、友人の言葉を思い出したのね。
これもメヒコにいた頃、ハビエルという友人に言われた言葉。
彼はNY育ちのプエルトリカンで、大学で講師もしている小説家だった。ゲイでね。嫌な思いも一杯しているからか、すごく優しくて、繊細だった。
因みに彼は神聖なカトリコ(カトリック教徒)で、彼の話にはよく天使が登場するんだけど、とにかくかわいらしい人で、今でも最も大切な友人の一人。
そんな彼に、私は一度、泣いて相談をしたことがある。ちょうど彼が突然と日本に帰国すると言い出した頃で、家の中はギクシャクしていて、喧嘩を繰り返してた。それである日、大喧嘩になって夜中に飛び出して、彼の家に行ったわけ。
『どうしてKENSOはわかってくれないんだろう。だっておかしいでしょう?どうして~なの?なんで彼は~なの?そんなのおかしいでしょう?』
今思えば、よくある女の愚痴。男と女はそもそも脳の構造が違うから、こんな風にああだこうだといっぺんに色んなことを言われると、男の方は、《うるさいっ!》になって尤もなんだけど、私も納得がいかなくて、《WHY》なんで、なんで、なんでの百連発。
そうしたらハビエルは私をなだめて笑ったの。
『ヒロコ、大空を眺めるのよ。そんな涙を流したら、人生がもったいないわ』
『夜中で空は真っ暗よ』
『随分、現実的ね』
『だってそうだもん。そんなこと言ってる場合じゃないもの。なんでこんな時にそんな呑気に言えるのよ』
『だから日本人は優秀なのかしら?』
『現実的ってこと?』
『違うわよ。そうして何でも、どうしてだろう、なぜだろう、って思うから』
『どういう意味?』
『ヒロコは《どうして》って考えすぎよ。なんでもかんでも《どうして、なんで》って考えるのは体に良くないわ』
その時に彼が使った言葉が、《It is what it is》だった。
『It is what it isよ。これはこういうもんなんだ、とありのままを受け入れるのよ。どうもこうもない。《それは、そうなんだ》って考えるの』
そうして彼は私に、流れに任せなさい、と言った。時の流れや起こることに抵抗しないで、あらがわず、それはそうなんだと、そのままを受け入れなさいと。
『どうして、じゃなくて、ヒロコは日本に帰るの。そうして彼の言うように新しい生活を始めるの。あなたが今からああだこうだと心配していることは、きっとその半分も現実にはならないわ。自分の周りに起こることをそのまま受け入れて、流れていればいいの。ヒロコなら、きっとそれはそれで楽しいことを見つけるわ』
日本で自殺率の高い某企業の社訓に、《常に、なぜか、を考えろ》とあったと聞いたのは帰国してからのこと。そうしていつも、どうして、なんで、と考えることは時々しんどい。確かに、これはこうなんだ、と受け入れてしまえたほうが気楽なこともある。
ぼんやり空を眺めていたら、ハビエルのこの言葉が脳裏に浮かんだ。
こんなもんか、と思えば、確かにそんなもんだと思えてくる笑。呑気かな。だって確かに、どうして、なんで、とイラついても結果は同じなのだから。
《最大の復讐は、幸せになってしまうこと》
と聞いたことがある。
隠れた真実にイラついていても何も始まらない。
It is what it is.
それは、そういうものなのだ。
KENSOと二人、空を仰いだ。
真っ白い雲にハビエルを思いながら、流れてみよう、とのんびり思う。