出会い
人生には特別な出会いがいくつかある。ところが人間はそこにきがつけないことが多い。私たちの目には《心の形》がみえないし、目があるせいで、わかりやすく優秀だったり、肩書きがあったりする人にばかり執着したり、感動したりするから、なかなか真価をみぬけない。
しかし実は往々にして、《ちっぽけ》に感じているような出会いややりとりにこそ、人生を左右するような《特別な出会い》は隠れているものだと私は思う。
KENSOにもそんな出会いがあった。
これまでにも数人の友人との出会いをここに綴ってきたが、今回のこの友人とのエピソードは、KENSOのメキシコ時代の最も激動の部分に大きくかかわっている。
書けないことも多くて、はっきりしないと思われる部分もあると思うけど、ご了承願いたい。
彼はあるホテルの支配人だ。メキシコは国土が日本の5倍あって、中にはシティー以外に自宅を構えている選手も少なくない。そういうわけでシティーにはツアー中に利用するプロレス団体御用達の《レスラー常泊の宿》というのが二三件あるのだが、彼のホテルもその一つだった。
メヒコに渡った当初、本格的な引越しをせず、身一つで渡墨していたKENSOも、自宅を構えず会社持ちでその宿に泊まっていた。そのホテルは日本で言えばほとんど《ラブホ》で、はっきりいってラグジュアリーというわけではなかったが、他方の御用達宿は更にランクも落ちるしエリアも悪く、トップ選手は皆こちらのホテルを利用していたことを知り、当初からその宿を用意してもらえただけでも、会社からの扱いは相当良かった、という感じだった。
いざそこに住み始めると、当時所属していたCMLLから、その後所属したAAAの選手、またフリーの選手たちとも顔見知りになる。
特に、ホテルの支配人は新人のKENSOに暖かかった。
『おはよう、KENZO,昨日の試合、良かったな!!』
と、一人のKENSOにいつも声をかけてくれた。
『おつかれ。飲むだろ?』
深夜になって試合から戻る時は、いつもフロントにビールが用意してあった。現地の仲間も増え、様々な情報も耳に入るようになり、仕事も順調、生活は充実していた。
『よし、このまましばらくメヒコでやっていけるかな』
・・・・・・・・・と、思った矢先だった。
ある日、KENSOは突然と干された。
実は、本人も知らないところで、と或るトラブルに巻き込まれていた。と言っても何をしたわけでもない。本人は寝耳に水。ノーマークの足元を不意打ちでスコンっといかれたような形で、昨日まで予定表にぎっしりと書き込まれていたKENSOの名が卒然と消え、何週待っても、何度会社に予定表をチェックしに行っても自分の名前は戻ってこない。
ぶっちゃけ自分は何もやましくない。社長ときちんと顔を突き合わせて話をしようとすると、どういうわけだかそれを阻止され、説明の余地すらない。
『おれ、してやられちゃったみたい』
そう言い出したのは、すこし経ってからだった。
《体育会系ど真ん中》で《口下手》のKENSOは言い訳が苦手だし、相手を恨んで仕返しをするのも柄じゃない。一体自分に何が起こったのか、いよいよ状況がわかってきても、イラつきキレる私の一方で、KENSOはそんなことをかけらも考えていなかった。そんなことより既に無給のまま数ヶ月が経過していて、ここからどうするかの方が問題だ。
『わけがわかんねぇよ…』
一応彼も、毎週TVショーに登場していたメインエベンターだ。つい先日まで毎度一万人近い聴衆の前で連日試合をし、街で子供たちに囲まれていた人気者だ。それが、今は仕事が入らず、金も底を尽きている。
『もう、待っててもだめなんじゃないかしら…』
私の中ではとうに結論が出ていて、早く次の手に出たいのだが、これだけの窮地を乗り越えるには、肝心の本人がその気にならないうちはどうしようもない。
『俺はどうすりゃいいんだ…』
KENSOは荒れた。連日の喧嘩。ぐだぐだと悩んで酒ばかり飲み続ける。飲んだところで解決しない、と言おうものなら更に荒れる。
《もうダメか…、でもまだはっきり結論が出たわけでもない》
世話になった会社で、本人もそこが大好きだった。それがわけもなくこんなことになったから、だからかえって先に進めなくなる。
『健ちゃんは大丈夫よ。なんとかなるから。夜はろくなことを考えないんだから、このどん底を抜け出した自分を楽しく想像するのよ。さもなくば、寝ろ』
《寝られないよ》が口癖だったこの頃の彼に、こんな発破をかけるのだから、私はやっぱりダメな嫁だ。
『もう帰ろうかな…』
『今あきらめて日本に帰ったら、この先ずっと世界に目を背けて生きていくことになるわよ』
『それでいいじゃん』
『よくないわよ。そこを見ないふりをして《俺はすごい》って思うような裸の王様の道連れはごめんっ!!』
そんなこんなでガタガタした空気が続き、友人らもいよいよ慌て始める。
『大丈夫か、KENZO?まだオフィスとは話せないのか?』
アメリカから一緒に流れてきた仲間たちも心配して、試合の合間に頻繁にKENSOを訪ねてくる。しかしご飯に誘われてもお金がなくて断っていると、気を使って
『ロビーで話そう』
と、何も言わず《ご飯抜き》で訪ねてくれる。
男のプライドが、傷つく。
そこで、事が動いた。ある日、ホテルの支配人が、KENSOを呼び出した。毎月ごとに団体に部屋代の請求を出すのだが、KENSOの部屋の精算だけが、されずに返ってきたという。
『お前さんの分は、お前さんで払えってことらしいぞ』
その一言で、KENSOの顔色が変わった。
『それで…』彼は息を呑んだ。『現時点で、未払いにされたのは何か月分?』
『二ヶ月だ』支配人はKENSOを静かに覗き込んで続けた。『今月を入れると三ヶ月分になる』
これでKENSOは決心がついた。もうあの団体に戻ることは出来ないのだ。既にホテルのツケまで
背負ってしまっている。
KENSOは吹っ切れた。もう終わりだ、とはっきりした。
《一晩だけ考えさせてください》と支配人に時間を貰い、翌朝、早朝にフロントへ向かうと、彼は支配人にこれまでの事情を全て話した。
フロントの奥の部屋で、二人きりで向かい合って座りながら、KENSOは最後にこう付け加えた。
『メヒコにはうちの団体以外にも、もう一つメジャー団体がある。AAAだ。
俺は今日、そっちに行ってみようと思う。とはいえツテはないし、雇ってくれるかもわからない。でも俺はもうちょっとだけメヒコでやってみたいと思ってる。
保証はない。だけど絶対に仕事を手に入れるつもりだ。
だから、あと一ヶ月だけ、支払いを待ってもらえないだろうか』
KENSOはつけていたオメガの時計を外し、支配人に渡した。『もしも一ヶ月待って、支払いが出来なかったときには、これを売ってください。それで足りるかどうかわからないけど』
日本から身一つで来ているKENSOには、金目のものと言っても、ここにはその時計くらいしかない。厳しい表情でじっとKENSOの話を聞いていた支配人は、差し出された時計を無表情で受け取ると、《わかった》と一言だけ口にして、静か席を立ち、口元をほころばせながらKENSOの肩をたたいた。
『待つよ。仕事を手に入れて来い。こっちのことは気にするな』
そしてKENSOはAAAのオフィスに向かった。ホテル仲間のAAAの選手から、会社の場所や、社長がどういう人物か聞いた。ところがそれでオフィスに行ってみたものの、社長が出張中で、実際に社長に会えたのは一週間ほど経ってからだった。
《今日こそは…》
支配人とは毎朝、話を続けている。いい結果にしろ悪い結果にしろ、とにかく一刻も早く話を進展させたい。アポもないKENSOがオフィスの入り口で早朝からたっていると、一台の黒塗りの車が現れた。車はオフィスのゲートをくぐり、中に消えたが、その車から降りた男性の一人が、KENSOの元まで戻ってきた。
『君はKENSOだね』
男性は、握手の手を差し出し、名を名乗った。
『社長、…ですか』
『あぁ』
面食らうKENSOの前で、社長が笑顔でうなづいている。
『僕を、…ご存知ですか?』
『もちろんだよ。WWEの頃から知ってるさ』
『それが…実は』
『わかってる。中で話そう』
KENSOはそのまま社長室に通された。社長は、秘書も誰もいない部屋で、ゆっくりとKENSOの話に耳を傾けてくれた。
《とにかくこのチャンスをものにしなければ》
KENSOは、ここ一番、にめっぽう強い。まずはこの会社でまで勘違いをされてはいけない、とこれまでの事情を細かく話そうとすると、社長は既に《事実》を知っていた。KENSOを疑い勘違いするどころか、立場を把握して、今回のことの流れや、関係人物の人間性まで逆にきちんと教えてくれた。
KENSOはこれで仕事をゲットした。
『セニョール!!やったよ!!』
ホテルに戻り、KENSOがこれを真っ先に報告した相手は、私ではなく支配人だった。偶然買い物に出ていた私がフロントを通ると、オフィスから戻ったKENSOが支配人と抱き合っていた。
オフィスとの話は思いのほか簡単に進んだKENSOだったが、実際に契約にこぎついたのはここから更に数ヶ月たってからのことだ。元の団体で発行されたビザがまだ有効期限内で、それを放棄して欲しいと頼んだものの、KENSOが日本に帰るのではなく敵対団体に入るとわかると、
《うちの団体の選手として、まだ雇っている》
とビザを手放してもらえなくなった。散々資本をつぎ込み、TVショーで売り込んで知名度を上げた選手を、人気選手になってからヒョイっと他団体で使われるのは面白くなくて当然だろう。
結局、オフィスは特別の弁護士を雇い、協会まで巻き込み、多額を費やして、ようやくKENSOの契約にこぎつけた。
前の団体で干されてから半年近くがたっていた。窮地にチャンスをくれたことだけでなく、ここまで労力を費やして自分を雇ってくれたことで、KENSOは何があっても必死に歯を食いしばってこの団体のリングに身を投じた。その後の四年をAAAの所属選手として働き、AAAは彼のプロレス人生の中で最も長く所属した団体となった。
これで、ようやくツケの全額を支払うと、私たちは新居を持ち、ホテルを後にした。一ヶ月の約束が数ヶ月まで伸びたが、支配人は何も言わずに待ってくれた。最後に現金を持っていくと、口数の少ない支配人が《ちょっと話がある》とKENSOを中に呼んだ。
『お前さんの名前は《ケンソー》だけど、スペルはKENZOだろう?だけどここでやるなら、いっそKEN“S”Oにしたらどうだ?そのほうがわかりやすいぞ』
支配人はそう言って、預かっていたKENSOのオメガを差し出した。
これだけ待たされたにもかかわらず、その後も支配人は私たちに一度もツケのことを口にしたことがない。
実はリッキーマーティンという歌手もこのホテルに世話になっていた一人らしい。最初に人気が出たのがメキシコで、ハリウッドを目指し、下積みしていた彼を面倒見ていたのがこの支配人だったと、近所のお菓子屋で後から聞かされた。今となれば彼はワールドツアーをするほどの売れっ子ハリウッドスターだが、売れず、金の無い時分には、きっとツケでここに泊まりながら、《ここ一発》のチャンスに一球入魂していたのだろう。
あの、ラテン系では珍しく、物静かな支配人の元で。
人生は、窮地でこそ決まると私は思う。調子のいいときにうまくやれるのは誰しもで、人の本当の評価は、人間だったら誰しもやさぐれたりあきらめたり、ずるい手に出たくなるような《ぶれる瞬間》に、どれだけぶれずにいられるかだ。
そんな時に良い出会いを持てることこそが、《運の良さ》だと私は思う。波風も問題も起こらないのは《運の良さ》ではなく、人生の無味乾燥と言える気がする。だって、そんなときにこそ、私たちは色々な勉強をするのだから。
その後、AAAはとにかくKENSOを大切にしてくれた。何があってもKENSOの意思を尊重してくれる。こういうことがあったから、KENSOにはメヒコやAAA、その仲間たちにも特別の思い入れがある。WWEの時以上と言っていい。
彼は、今となっては、あの頃の大惨事も含め、そこで起こった全てを受け入れている。
『僕はああいうことがあったこと自体、全てに感謝してるよ。あれがなきゃ、今だって甘かったよ、きっと』
《最大の復讐は、幸せになってしまうこと》
と聞いたことがある。幸せになること、ではない。なって“しまう”こと。この《しまう》が重要だ。こちらが幸せになってしまえば、何をされても関係なくなる。大切なことは、前を見ること。腹を立てるにしろ、落ち込むにしろ、後ろばかりを見ていたのでは《思う壺》で、こちらが台無しになる。
《全てに感謝している》と、こう言って後腐れもない彼の言葉は、さすが生粋の明大ラグビー部だなと関心する。その後頑張ったからこそ出るものだろう。
我が千葉四区から出た野田総理ではないが、まるでノーサイドだ。
堂々とこう言える彼を、私は誇りに思う。