こんにちは。
カウンセラー修行中のれいこです。
本日もお読み頂きありがとうございます




先週末、息子は保護司さんに誘われ


ソフトボールをやりに出かけました。


近所の小学校でやっているので、


私はてっきり、ちびっ子達と一緒に


やってきたのかな〜?と思っていたのですが


私:ちびっ子沢山いたの?


息子:いや、おじいちゃんばっか。

   少しのおじさんと一人若い人がいた。

   なかなか、いい運動になったよ。

※おじいちゃんの山なりボールがトリッキー過ぎて

 タイミングが掴めず打てなかったようでした。笑


と夏日の気温だったその日、


顔を真っ赤にして運動してきた息子が


懐かしいな〜と感じながら見ていました。




実はですね、このソフトボール、


保護司さんからのお誘いを二度


息子は寝坊してすっぽかしています。


保護司さんとの連絡のやり取りは


全て息子と保護司さんで行うのですが、


そのようなすっぽかしがあると、一応


私の所へ電話が入り、


◯◯君寝ていますか?電話出ないんで、

代わってくださいって、


息子に代わるのですが、


保護司さんもですね、だから親がどうしろ


こうしろとか一切言わないです。


あくまでも本人(息子)が自ら動き出す


というのを待つ。


という姿勢を持っているのではと感じます。




以前の私だったら、


〝ひぃぃ〜!二度もすっぽかしてる?

 寝坊?も〜う!ありえん!〟


と、無意識下で保護司さんから


どう思われるか?どう見られるか?


息子と自分が一緒くたになり、


不安と心配の意識で、


こうなって欲しい!こうならないで欲しい!


というコントロールで寝坊を阻止しようと


していたと思うんですね。


これは、私の無意識下にあった


助けなければ、守らなければ価値がない


ブロックがあったからです。




これらのブロックは、


自分のお母さんとの関係から  


創られることがほとんで、 


助ける、守ることができないと感じると、  


無意識下で「死ぬぅぅぅ!」と


感じるほどの恐怖なのです。



マグロが泳ぎを止めると酸欠状態で


窒息死してしまうのと同じなのです。


マグロが泳ぐ=命を保つ


私が助ける=命を保つ


くらい無意識下の潜在意識では


死活問題なのです。


なので、一般という名の普通から外れたり


問題があったりすると、


助けなければ!守らなければ!


「死ぬぅぅぅ!」と無意識下で自動運転


のようになり、


その「死ぬぅぅぅ!」恐怖から


自分が解放されたいがために必要以上に


先回りしたり、口出し手出ししたりの


コントロールになるんですね。




でもね、それらの無意識下の思い込み


マイナスに偏り過ぎていたブロックを


一つ一つ紐解いていき、


そだそだ、


泳ぎ続けなくて良かったんだ


助けなくて良かったんだ


私の仕事じゃないんだった


と何度も何度も上書きすることで、


今まで無意識に通っていた道ではなく、


新たに開発した道を何度も通ることで、


そのマイナスに偏っていたブロックや道を


通らなくなるのです。



そして、そうなることで、


他者とも境界線が引け、


コントロールしなくなる。


すると、


子どももパートナーもコントロールを


向けられなくなることで、


エネルギーが奪われなくなり、


エネルギーを充電することができ、


自分ごととして


考えて、感じて動き出して行けるのです。






家の雰囲気が良くなったのは 



私が仕事をやめたからでも、


家にいるからでもない。


お母さんが仕事をしていたって、


家にいなくたって、関係ない。


お母さんが


「どんな意識でいるのか?」


もうコレが全てと言っても過言ではないと


私は感じます。




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