youthful days -15ページ目

I need the fire

寒くなってきましたね。

肌に感じる寒さを

人恋しさだと勘違いして

恋人作りに励んでる豚共は

是非スティーヴィー・ワンダーの

「TO FEEL THE FIRE」でも聞いて温まってください。



どうも

スティーヴィー・ワンダーの虜になっている

今市です。




最近

イライラはしても

爆発するような怒りは

全くない。


中高時代は何故に

あんなに気が短かったのでしょうか。

たぶん大学入ってから

大方の事がどうでも良く思えてきたんですよね。
投げやりな意味でなく

怒るような場面でも

「仕方ないか」と思うような。

一応は考えるようになったみたいです。


中高時代と言えば

僕が怒る事でもないのに

怒ったりしてましたね。

少年ジャンプの影響ですかね。

「仲間をバカにする奴は許さねぇ」

って今思えば

お前アホかっちゅう話ですね。


言ってしまうと

友情とか愛とか

そんなもの一切ないと思うんですよ。

こんな事言えば

友達が一切消えそうですけど


友情って

自分にとっての都合の良さと

見返りと馴れ合いでしょう。


今のところ

僕はそんな風にしか思えない。

友を信頼するか?

と聞かれても

「はい」とは言えない。

僕が友達にするのは半分諦めている「期待」くらいのもの。

信用なんてもってのほか。


でも許してほしい

僕の下らない人生が終わる頃には

「友達、友情って大切」って思うかも知れないし

僕に幻滅する君たちも

よく考えてみれば

僕のような考えを持つようになるよ。




あると思われている友情すらも

僕にとっては不確かなものなのに

ましてや僕が

愛なんてものがあると

思うわけがない。


愛があるならなぜ

浮気をする?

「人間も動物だから」とか

そんな愚かな言い訳をするなよ。

人間が動物と同じなら

文明を築く意味も

規範を作る必要も

全てなくなるじゃない。


愛の「あ」の字も知らず

それについて考えたこともない男に限って

女の首を舐めまわしながら

「愛してる」と囁く。

それを喜ぶ女もまた愚か者。

「冷めた」とかいう

苦し紛れの言い訳を

人はよくするが

最初から何も温まってなかったんじゃないのか。

温まってもないものを

「冷めた」だなんて

まるで温まっていたかのように思わせる為の

卑怯な手口だね。



ふざけて「愛してる」と口にしたことはあっても


本気では一度もまだ口にしてない。

きっと皆も

よく思い返せば

「あれは本気じゃなかったな」

と思い、

自分がまだ本気で

言ったことがないことに

気付くはず。


僕は「愛や友情はあるわけがない」

という表現をしてはいるが

それは言葉の綾で

ないと決め付けているわけではない。

是非見つけてみたいが

見つからないことは

もう決まっている。

なぜなら僕がこのような考え方を持ち

人を愛そうとしないから。

それでもいつか

真剣な顔で口に出来るか

その言葉を呑んだまま生涯を終えるのか


楽しみなところではある。



日本人は多くが無宗教で

神を信じない。

でも愛を信じる。

僕にとっては

愛よりも神の方が

少しは現実味があるように思う。


「神を信じない」ということが

もはや一つの宗教なのかも知れない。

そして僕らは神の代わりに

愛を信じる。


不思議だ。

ぶりーん



あーやば


いま何でも出来んどーい


ぼぼぼぼぼぼぼー



ふぁぁぁぁぁい



だぁぁぁぁぁぁあ



ぬぉぉぉぉぉぉん

変態、吠える。ガオー

(最近はあまり変態扱いされることも少なくなったが、)

僕の場合変態というよりは

スケベくらいのもんであるが

スケベという意味も含め変態と言わせてもらう。


変態というポジションで扱われ

何年も過ぎてきたが

それはなかなか心地がよいものであった。

しかし色々と思うことはあるのである。

今日は変態チックに

ここで溜まったものを

ぶちまけてやろう。






僕が口を開けば出てくるのは

大抵下ネタであるが

本当はね


下ネタはそんなに好きじゃない。


極端に嫌いか好きか言われると

それは迷わず好きである。

でも大好きってわけでもない

ならなぜ言うのか


下ネタを言えば簡単に人を笑わせることが出来るから。


下ネタ以外に簡単に人を笑わせられるものがあるなら

僕は迷わず下ネタよりもそっちを選んでる。

ちなみに僕は

女性に極端な下ネタを口にされると

軽く嫌気がする。

さらに女性の生々しい経験談は

耳を塞ぎたくなるくらい嫌いだ。

というよりはそれを聞いて

自分では認めたくなくとも

どこか興奮気味な自分に

嫌気が差しているのであり

酷い男の話は

どこか耳が痛かったりするので

嫌いなのだ。



sexについては

僕はもう

そんなこと考えずに生きていたい

でも僕の動物の部分がそれを許さない。

臆病で小心者であることを差し引いても

理性には自信がある。

散々色々しておいてよくそんな事が言えるな

と言われるかも知れないが。

出来ることなら

終わった後の

罪悪感と虚無感と喪失感を

普段から感じていたい。

そしてそのような行為に及びたくない。

本当は手も繋がなくていいんじゃないかと思う。
と言うか

極論すると

付き合わなくてもいい。



度々

醜いだけの性欲がなくならないかと考える。

しかし性欲がなければ

誰かを好きになることなんてきっとない。


だが性欲がなければ

もっと女性を大切に出来ることも確実。

いっそのこと

切り落としてしまった方が賢明か

と思う日があるが

そんな突飛な行動に出る勇気はない。

何より痛いのは嫌いである。




男連中がよく口にする

「あーヤリたい」が

僕にはとても耳障りだ。

その言葉の意味も

その言葉を口にする意味も理解し難い。

例え親友が口にしても

僕は内心

「ヤリながら死ねば」と思っているのが

実のところ。




女友達や知り合い

の裸を想像してしまった日には

所詮僕は彼女たちを

そういう目で見ているのかと

自己嫌悪に陥る。


これら全ての行動と思考を

「男の性だ、仕方ない」

とは思いたくない。



欲望のままに

人を傷付けて

生きることは容易いが

そうなりたくはない。

「好きなことだけして
欲望のままに生きればいいじゃないか」と言う人だっているが

これと言った理由はないがそれは嫌だ。

それはきっと

僕は外見に置いては大方諦めてるが

内面に置いてはナルシストだからだ

もう一度言おう

僕は内面において

ナ ル シ ス ト だ 。

自分の考えだけが正しいとは思っていないが

自分の考えには自信を持ってる。


翼があるわけでもなければ

何かを守る力も

守るべきものもなく

他にこれと言った取り柄の無い

大きな劣等感を背負いこんだ

卑屈で矮小な人間が僕だ

内面くらいには自信を持ったって

神も怒らないだろう。




僕が変態になりたがる

その一番の理由は

はっきりしている

それは僕が


普通だからだ。


どうしようもなく陳腐で

平凡だからだ。



僕は自分自身が

面白さの欠片もなく

真面目で無口で

他人に興味がなく

怠惰な人間であることを

分かっている。

「おまえどこが真面目やねん、無口やねん」

と思うだろうね。


真面目というか、

僕は完璧主義者だ

それも妥協好きの。

ちなみに本気で何かをしているところや

本気の顔を人に見られるのはとても嫌だ。




幼い頃から

面白くないと思われたくない

一心で僕は笑いに走っていた。

それは止まることなく

笑いに貪欲であった

そしていつしか面白い人だと思われたが

かえってそれが

僕を追い込んでいく。

大勢でいる時と

二人きりで素に違い状態になった僕を比べたら

確実に大勢でいる時の僕の方が

皆好きだというであろう。

素の僕を目の当たりにすれば大抵の人が落胆する。




家族は

僕が友達と騒いでいるのを見ると

いつも珍しそうにする。

よく母には

「あんたみたいな気難しい子おらんで。みんなよう相手してくれるな。」

と言われる。

うるさいと言いつつも

確かにそうだなと思ってもいる。


父は僕が小学生の頃

よく母に向かって

「なんでこいつはこんな生真面目なんや」

と僕のことを指して言っていた。

友達といる時と

家族といる時では

どう考えても

家族といる時が

もっとも素の状態に近いことは

ほぼ間違いない。

しかし心や気持ち、思考など

実体のないものは

自分自身でも把握のしようがなく

僕ですら分からない。


僕は僕自身の前でも

仮面を被っているのかも知れないという

可能性だってなきにしもあらずである。

さて

いよいよ自分というものが

一体何なのか分からなくなってきた。

しかしその答は

どうせくだらないものであるに違いないので

探す気はない。



こんなに長い文を書いて

どう締めようかと

完全にタイミングを見失った僕であるが

結局のところ何なのかと言うと


そろそろ変態だとか下ネタなどに頼るのは

やめていこうと思っているのである。






おっぱい。







タイ━Φ|(|゚|∀|゚|)|Φ━ホ