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ライク・ア・ライター

「心に、小さな火を着けたい。」
映画の感想や日記を通して文章力の向上を目指すブログ。

良いフィクションの主人公には、3つのタイプが有ると思う。

 

 

1 とにかく「変わらない」主人公

 

 

どんな状況に置かれても、自分を、自分の信念を貫く主人公。

 

その物語が、主人公の不変の人間性により進行する。

あるいはその人間性が周囲の登場人物に伝播する。

 

このタイプの物語には、主人公のバックグラウンドや「生態」を緻密に設定しておく必要がある。

マストだ。

このタイプの作品をつくるには、圧倒的なキャラクター愛、情熱が必要となる。

へんなクスリ使ってでも押し切る、精神的筋肉が要る。

 

 

 

2 成長すべくして、成長する主人公

 

 

いわゆる青春モノがこのジャンル。

マイナス状態の主人公がプラス状態に変化していく。

その過程がドラマになる。

だからこそ、舞台装置が重要になる。

周囲の人物、場所、時、天気、経済情勢・・・・・・

 

どこまで論理的に主人公(他のキャラでもいいが)成長させられるか。

そういう、理詰めが要求される物語だ。

作り手は、圧倒的な知能と冷静な観察眼を併せ持つ必要がある。

 

 

 

 

 

3 自らの生き方に葛藤する主人公

 

 

このタイプの作品を満足に完成させられたら、作り手は、絶景と雄大な自然を感じさせる風を全身で感じる事ができる。

だが、一歩踏み外せば奈落の底。

人々に「中二病」と罵られ、コケにされ続ける。

そう、このテの作品は、高山の断崖絶壁にあるのだ。

 

2つか、それ以上の生き方。その選択の物語。

これを描くには、そのキャラクターのもとの人間性をどこまで深掘りできるか、そしてその人物の思考に迷いを生じさせる効果的なマターをひねり出せるか、その両方を高度に両立する必要がある。

つまり、先述の2タイプを併せ持つ、ハイブリッドでなければならない。

 

 

簡単に作れそうで、だからこそいい作品として作り上げるには人智を超えた努力と感性が必要になる。

 

 

 

 

 

 

 

とまあ、長い前フリにお付き合い頂いた訳だが、タイトルの通り、本来は『007 カジノロワイヤル』をレビューするはずだった。

しかし、酔っ払いながら書いた文章を手繰り寄せるのにあまりの労力を割いたので、疲れた。

 

 

 

明日は、このぼくの「主人公論」を踏まえてダニエル・グレイグの演じるジェームズ・ボンドについて語る。

ぜったい。

 

写真を撮るのも好きだ。

 

 

でも、いわゆる「一眼」ではなく、コンデジへのこだわりがある。

 

 

 

きれいな写真が撮りたい=一眼みたいな思考停止をしたくない。

していると思われたくない。

 

 

 

制限されたスペックの中で最高の作品をつくりたい、という気持ちもある。

 

 

 

一眼使えば誰でもきれいで無個性な写真が撮れる、そんな性格の悪さも胸に秘める。

 

 

 

 

 

 

今日、仕事で一眼を扱うことになった。

 

 

電器屋以外で構えたことのない一眼だった。

 

 

 

 

心が震えたのか、緊張したのか、どれも手ブレがすごい。

 

しかも、ピントが全然合っていない。

オートフォーカスとは何だったのか。

 

 

 

一眼と相容れない自分の感性に、嘆かずにはいられない。

 

 

(言い訳だが、使うレンズを間違えていたのだと思う。集合写真なのに望遠レンズを使っていた。たぶん。)

 

 

 

相性もあるが、結局は、「何を使うか」、ではなく「誰が使うか」だったりする。

 

 

 

 

扱えないものだってある。

 

豚に真珠 猫に小判 

犬に論語 馬の耳に念仏

 

どんなに高尚だったり高価なものでも、響かなければ、使えなければ意味がない。

 

 

 

 

使わせてはいけないものもある。

 

 

包丁は便利だ。

でも乳幼児に扱わせてはいけない。

 

 

自動車も便利だ。

でも酒に酔った者には扱わせてはいけない。

 

 

原子力工学は人類の偉大なる発明かもしれない。

でも権力に酔ったものには絶対に与えてはならない。

 

 

 

今、世界で最も与えてはならない2人の手元に、その利器がある。

最も与えてはいけない2人の手元に、権力がある。

たぶん15年前くらい。

BSE(狂牛病)とかいうのが流行った。

 

 

牛さんの伝染病で、脳ミソがスポンジみたいになっちまうんだとか。こわ。

 

 

 

 

 

 

そんな話をしたいんではねぐ。

 

 

 

文章を書くときの、脳ミソの話。

 

 

 

 

今年に入ってから、ほとんど毎日ブログを書いている。

いや、たまにはサボるし、クソ手抜きもする。

 

 

もする。


 

 

でも流石にこんなに続くとは思わなかった。

 

飽きるか、ネタ切れするかで、一週間が関の山だと思った。

 

 

そんなことはなかった。

 

書けば書くほど、絞れば絞るほど、脳ミソが新しい知識を、言葉を吸収していく。

完全にスポンジ脳。こんにちは、牛さん。

 

 

 

こうなったら出すもん出すしかない。

 

どこまでも絞り出そう。牛乳絞るように。

 

 

 

とはいえ、ただ絞るだけじゃこう毎日は続かねぇ。

 

どんなに良いスポンジだって、水がなけりゃただの宝の持ち腐れよ。

 

これからもいい映画やいいテクストにたくさん出会って、脳ミソのスポンジにしっかり蓄えないといけないな。

 

 

尽きぬように、乾かぬように。

濃縮還元。

みんな聞いたことがある言葉だけど実際何をどうしてるかわかんない加工ランキング第1位。

 

水分を飛ばして、あとで加水する。
輸送費の削減に用いられる手段らしい。

ちょっと意味は違うけど、第一作で描いた人間模様をより濃厚にして帰ってきた映画がある。

標記、『超高速!参勤交代 リターンズ』。

地元のツタヤでようやく旧作になったので、即借りた。

 

 

超高速!参勤交代は、現在の福島県はいわき市に位置した湯長谷藩の奇抜いや奇跡の参勤交代を描いたフィクション。

 

8代将軍徳川吉宗の時代、内藤政醇(まさあつ)が治める湯長谷は一万五千石の小藩だった。

しかし、「金山を発見した」という噂を嗅ぎつけた幕府の老中、松平信祝(のぶとき)に目をつけられる。

 

(現実のいわきは金山ではなく炭鉱の町として近代にかけて栄えることになる。その炭坑の跡地が、『フラガール』でおなじみ「常磐ハワイアンセンター(現ハワイアンズ)」)

 

信祝が、参勤交代を終え戻った折の湯長谷藩に言い渡した命令。

 

「5日のうちに参勤交代せよ」

 

かぐや姫のような無理難題だが、できなければ湯長谷藩は取り潰し。

ありもしない金山もろとも、藩を幕府の支配下に置くと。

 

 

 

民の生活を第一に考え民に愛される殿、政醇一行は、その潔白を証明するため、民を守るため、金も人もない無謀な参勤交代に挑む。

 

 

 

 

 

 

上記が1作目のあらすじ。

「リターンズ」はその帰路を描いた続編となる。

しかし、この第2作のタイトルを「2」ではなく「リターンズ」と題したのは、しっかり意味がある。

 

 

まずは帰路だから「リターンズ」。

 

 

幕府が仕掛けた一揆や幕府のお墨付き侍による湯長谷城の乗っ取りにより、「すぐにでも帰りたいが、帰られない」。

幕府の妨害網をくぐり抜けてふるさとへ戻る様を描く以上、「リターンズ」というネーミングは巧妙。

 

 

さらに、物語も、シリーズ物にありがちな後付設定のオンパレードや筋の通らない強引な進行がほとんどなく、いい意味で第1作の焼きまわしとなっている。

ファンからしたら、まさに「戻ってきた」という感覚だ。

 

しかも、「濃縮還元」だ。

 

 

どういうことか。

 

 

 

第1作では敵味方を問わず、キャラクターの性格や思考・癖がこれでもかというくらいはっきり描き出される。

また、作品全体を通して「性善説VS性悪説」をこれまたはっきりと描いている。

 

 

この辺が「リターンズ」ではさらに強調して描かれているのだ。

 

だから、全てに納得がいく。

 

 

「あー段蔵(第1作で湯長谷に協力した忍び)ならここで出てきそうだよねー」

というところで期待通り出て来る。納得。

 

 

もはや、今作は、「超高速!参勤交代あるある」といっても過言でもない。RGもびっくり。

 

 

脚本ももちろんのこと、殺陣やカメラワークには前作以上の「魅せ」がてんこ盛りなので、これまた前作ファンを飽きさせないスパイスとなっている。たぶん「七人の侍」とかのオマージュも入ってる。

 

 

 

この作品を作り、配給する人たち自身が、「超高速!参勤交代」という作品を愛していいるからこそできた、濃縮還元の映画。

前作ファンは絶対に見るべき一作です。

 

作っている人たちも、湯長谷藩のみんなみたいに互いを信じ、力を合わせて作ったんだろうなぁ。

 

 

 

誰もが自分の言葉で世界に波を起こし、あるいは他人が起こした波でサーフィン出来る時代だ。それでもまだまだ、「遠洋」の言葉と文化が、近海まで伝わるには時間がかかる。
そして、福島にとって東京という海は、まだまだ遥か彼方にある。
 
「せんべろ」という言葉をご存知か。
 
都心部では最早一般的になりつつある。
「1000円でベロベロに酔える」ほど安い居酒屋を、そう呼ぶ。
都会の繁華街を歩くと「ほろ酔いセット ビール2杯に小鉢が付いて1000円」、そんな看板がこれ見よがしに立ち並ぶのが目につく。
 
「せんべろの街」とまで言われる街さえある。東京都は葛飾区の立石という街。
ぼくも先日訪れたが、その一軒ごとの安さに思わず財布の紐が緩んだ。
4軒を飲み歩いてわずか6000円ほど。流石に飲みすぎたか、お腹も緩くなってしまった。
 
せんべろの波がわが故郷に届くにはどれだけの時を要するか。
きっとその波は地元飲食店にとっては「黒船」の波となる。
今の福島の姿を脅かす一方で、福島の夜を盛り上げる側面も、きっとある。
 
ぼくのような浅はかな飲み人には、その波音は、さぞ心地が良いだろう。

(本文章は編集して新聞社への投書予定です。)

 

 

悪心。

 

 

 

 

恥ずかしながら、この言葉の読み方と意味を、初めて正確に理解した。

 

 

 

 

1 あくしん

 

 

これは、「恨みを持ち、悪いことをしようとする心」だそうだ。

 

 

 

先日の僕の行動は決して悪心によるものではない。断じて。

 

 

 

 

 

2 おしん

 

 

今回の記事を書くことになったきっかけだ。

 

 

 

吐き気のこと。

朝ドラでもある。

 

 

 

昨日からこれがすごい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤフーニュースを見る。

 

 

 

他国同士の戦争を煽る大統領。

 

 

白々しい建設会社の談合。

 

 

自動車会社の燃費改ざん。

 

 

そして公文書偽造。

 

 

 

 

悪心を催す悪心の数々に対し、国民はどこに思いを吐き出せばいい。

舌を出しながら歩くと、人波が2つに割れていく。

モーセになった気分だった。

新宿駅の雑踏を誰にも邪魔されずに直進するのは、この上なく心地良かった。
無敵だからだ。





出張先で旧友との馬鹿騒ぎを終え、泥酔のままに向かう宿までの帰路。
どうしようもない悪だくみが脳裏を過ぎった。
いや、決して悪だくみなどではない。社会実験だ。


人は、赤の他人の奇行をどんな目で見るのだろうか。




そう思った時には、既に舌を出し、鼻穴をここぞとばかりに広げていた。




東京では人は無敵になれる。
ぼくはスターをとったマリオだった。



なにも怖くない。
失うものも何もない。


新宿駅のホームを、別れの挨拶が飛び交う改札を、無敵の男が闊歩する。


人々は目を合わせず、恋仲らしき男女ですら両脇へと避けていく。
何を怖れているのやら。




一夜が明けた。
体内にボウリングの球を入れられたような鈍い感覚がある。
一杯の水で頭を冷やすと、昨夜の自分が微笑しくて仕方がない。


そして、わずかに酔いが残る頭には、今度は至って真面目な考察が思い浮かんだ。







人は皆、大きな不安を抱えている。







すれ違う人間が襲いかかってきたらどうしよう。

不安だから、目を合わせないように。近づかないように。


たとえそいつが、舌を出していようと、出していなかろうと。





大きな不安は、ただ息を潜めているだけではない。

時に大きく鋭い牙となる。





差別。





不安だから、避ける。虐げる。



小さな小さな差別もある。




これは今朝の話。
舞台は同じく新宿駅。
西洋風の女性旅行者と、スーツの男の会話だ。







「英語話せますか?」

「いいえ。」





脊髄反射のような速さで男は答えた。





男は、昨夜、新宿のど真ん中を万能感のままに闊歩していた男だ。
ぼくが就職活動を始めた4年前、鉄道会社に執拗にエントリーしまくっていた。
なんとなく
安定しているような気がした。
特に都市部の私鉄。

現実は全滅だった。
学歴でダメだったとか、そういうんではないと思う。
ぼくは確実に自分の強さたる「誠実さ」をアピールしたはずだった。
鉄道のような公共事業には誠実さが1番必要だと感じたからだ
でもダメだった。
単純にぼく自身に魅力がなかったか、それを伝える能力がなさすぎたか。
いずれにしても企業にとっては要らない人間だったのだ。



現実の鉄道会社はどうか。



リニア鉄道の建設談合。

台車の亀裂。



安定や誠実さとは程遠い現実。

経営に困っての画策か、それとも銭ゲバの欲ボケか。

いずれにしても消費者や経済システムをバカにした体制に変わりはない。




同じようにトラブルを起こしたコインチェック株式会社とは雲泥だ。

あくまでコインチェックは「被害者」のはずだ。
不正なハッキングを受けた。ぶっちゃけ防ぎようがない。
新興産業の若い会社だから。


でもJRは違う。
確たる経営基盤とその歴史や知名度を欲しいままにしている。


JRは倒産しようがない。

それは今までも、きっとこれからも。
特に東海。

車両の土台の1つや2つに亀裂が入ったくらいでは、会社の土台には傷1つ付かない。


不安定な車両を走らせる過剰に安定した企業を、ぼくたちはいつまで許すことができるだろう。


そんな憤りを覚えながら、ぼくは時速300kmの車両に乗られ、明日一番の会議へ向かう。

僕はプロ野球観戦が好きです。

 

 

各球団の春季キャンプも順調に進み、選手たちの体とともに、ぼくの段々と野球欲も温まってきました。

 

 

プロ野球、今年は各球団の補強はやや控えめだったように感じます。

 

 

そのおかげもありまして、メジャー挑戦の大谷選手には、メディアも大注目です。

もっと日本の守護神牧田選手にも注目しよう!

 

 

大谷選手はメジャーリーグでも投手と野手の二刀流に挑戦するようですね。

ぼくもそれがいいと思います。彼の選手特性は「オールラウンダー」としての強さだからです。

 

 

メジャーの「二刀流」には、野球ファンでなくても知っているかもしれないほどの伝説的選手がいます。

ベーブ・ルースです。

伝説的二刀流成績、二桁勝利二桁本塁打。投手にしてホームラン王。

大谷選手はそんな野球の神様に真っ向から挑戦することになります。

 

 

メジャーリーグには伝説的選手が数多くいますが、このベーブ・ルースに、その伝説度で肩を並べることができるのは、この人だけではないでしょうか。

 

ジャッキー・ロビンソン。

 

黒人初のメジャーリーガー。

今日はそんな彼がメジャーのスター選手となるまでのシンデレラストーリーを描く映画、『42~世界を変えた男~』を軽くレビュー。

 

 

 

 

 

「普通の人」の残酷さが描かれる

 

 

この作品を観て一番感じていたのは、「普通の人」の恐ろしさだ。

 

 

フェアプレーを良しとする「スポーツ」の世界で、観客はグラウンドに立つ黒人にためらいもなく大ブーイング。

この世でも指折りで高いサービスをする職業の航空会社職員も、当然のように黒人を差別。

 

 

これが、「自由」を重んじる国で行われている。

しかも、誰も、何の悪意もなく。「ただ、そういうものだから」。

 

 

これって恐ろしくないですか?

明らかな悪意に基づいている「悪行」なら、裁きや指導によって改心させられるかもしれない。

 

でも、それに何の疑問も持たずにやる人間。これは恐怖ですよ。

 

万引きを悪いことだと思っている人を正しい道に戻すのは多分簡単。

一方でそれを無意識にやっている人間を「更生」させるのって難しくないですか?

まさに暖簾に腕押しってやつでしょう。

罪の意識がないんですから。

 

ぼくたちだってその次代のアメリカにいたら、同じことをしていたかもしれません。

ヘイトスピーチやLGBTといったホットワードはもちろん、部落差別や原発の避難児童へのいじめが未だにある国のぼくたちですから。

 

 

差別に負けないために必要なもの

 

 

 

この映画でなにより主張したいのは、これだと思います。

 

ぼくが読み取ったのは3つ。

 

 

 

 

まず1つ。

芸を持つこと。

 

誰にも負けない芸を持つこと。

 

 

ジャッキーは「超人的」な身体能力と投手を惑わす盗塁技術によって、チームの強さの原動力となります。

 

 

 

2つ。

自分に自身を持つこと。

 

 

心理学的には、精神的な弱さ(不安)は攻撃性を招くといわれます。

 

仕事を取られる「不安」。黒人に劣ってしまうことへの「不安」。

差別をする側の人間は、もしかしたらこの「不安」によって差別を続けるのかもしれません。

 

差別される側も、不安に流され、怒ってしまえば終わりです。

「やっぱり黒人は暴力的で危険だ」

そうレッテルを貼られるだけだから。

 

 

 

そして最後にもう一つ。重要。

「支える人」の存在。

 

 

ジャッキーの妻レイチェルの存在なくして、ジャッキーの忍耐と成功は語れません。

 

物語の序盤にジャッキーのプロポーズを受け結婚。

その後も、ジャッキーの人生そのものに大きな変化をもたらしたかのような描写は殆どありません。

 

殆どないのに、ずっと出て来る。ことあるごとに。

 

 

それだけ重要な人物なんです。

どんな彼の姿も肯定し、応援する。

そんな彼女があってこそ、彼は精神的にも、選手としても強くあり続けられたのでしょう。

 

 

 

 

 

結論

 

 

 

 

つまらない言い方をすれば普通の映画。

ドキュメンタリー映画としても際立って精緻な取材をしているようにも感じられない。

オチもだいたい読める。

 

でも、それをふまえても、これだけ「平等」へセンシティブな人間が多い昨今。

一見の上、自分の価値観を疑ってみるきっかけとなる、いい映画だと思います。

 

 

敬遠せず、真っ向勝負で観てほしい。

仮にあなたにとっては空振り三振だったとしても。

 

 

運転中もインプットの時間にしたい。


基本的にはラジオを聴くことになるのだが、最近落語も少し聴くようになった。



映画も趣味だし、落語も聴きたい。

のんな欲張りを満たす映画はないか。


そんな気持ちで手に取ったのが『しゃべれどもしゃべれども』。


古典落語にこだわる「2つ目」の落語家、今昔亭三つ葉(国分太一)。

ひょんなことからコミュ障たちに話し方講座を開くことになった三つ葉と、彼に心を開いていくコミュ障たちの成長の物語だ。




感想



落語も映画も楽しむという意味ではどちらも中途半端かなぁという印象。

大きな見せ場があるわけでもないので、万人にウケるかというとそうじゃないような気がするし、かといって映画ファンや落語ファンがみると物足りないんじゃないか。






ここに注目


超絶コミュ障美女の十河(香里奈)に注目。
3次元史上最強かもしれない香里奈のツンデレ演技は一見の価値あり。

十河は、大阪から来た小学生の若林(松永悠希)とともに、三つ葉から「まんじゅうこわい」の指南を受ける。

2人は話し方講座の集大成として、小さな小さな落語発表会でそれぞれの「まんじゅうこわい」を披露するはずだった。
しかし土壇場で十河が演じたのは『火焔太鼓(かえんだいこ)』。
それは三つ葉が、師匠の十八番を見取り稽古で苦心の末自分のものにした、特別な演目だ。

しかも、三つ葉は師匠の猿真似ではなくオリジナリティを取り入れた『火焔太鼓』を作り出したが、十河が演じたのは完全に三つ葉バージョン。


なにこれ。萌える。




ちなみに、火焔太鼓は冴えない旦那とサバサバ嫁の掛け合い掛け合いが見どころの演目。
まさに、三つ葉と十河のやり取りそのものを落語にしたようなストーリーなのだ。

原作では十河は「まんじゅうこわい」を、三つ葉も別の演目をやるのだが、わざわざ火焔太鼓をチョイス。原作ファンは複雑な心境だろうが、この改変はアリだと思う。

原作者とは別のテーマを選び、それをきちんと描こうとする。
それこそが原作モノの醍醐味なのかもしれない。